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zoom RSS アテルイ 「阿弖流爲」の首塚 探訪記 その1

<<   作成日時 : 2007/06/12 02:17   >>

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征東将軍 紀古佐身美の率いる軍勢が 東山道 不破の関を越えた
まだ 朝廷の威光がとどくといえども ここからは 東国である
賀茂の河原で訓練を積んだ尖鋭の朝廷軍の兵士たちだが
都を出る時に 陰陽頭 藤原菅嗣が口にした 戦勝の呪術を
思わず心の中で復唱した
 
小説風に書けばこんな感じだろうか
とにかく 紀古佐身美の率いる軍勢は 789年 陸奥国 衣川で
戦にたけた蝦夷軍に負けた 後をまかされたのは 田村麻呂である

796年に征夷大将軍に任命された 田村麻呂は 801年に
蝦夷を討伐  802年 アテルイとモレら 500人の蝦夷軍が降伏した
と「日本紀略」にある

戦をしても 苦しむのは 蝦夷の民たちである アテルイについて
詳しくは わからないが 指導的立場にいた人物だろう 戦闘要員と指導者
の自分が降伏することで これ以上 犠牲をださないようにしたのかもしれない

しかし 無理難題を押し付けてきたのは 朝廷の方である
これまで 平和に暮らして来た 蝦夷(この呼び名も 甚だ失礼だが)の人たちに
貢ぎ物(租庸調)を出せ やれ都に出て諸役に服せ 兵役に徴用するだの
しかも 土地の 所有権まで主張する  蝦夷の人たちにとって そこは
先祖代々 誰の土地でもなかったのに
あげくの果てに 抵抗すれば まつろわぬ民として 成敗するという・・・


画像
  
雨が強く降りだしたので 片埜神社の東門(室町時代)の下で雨宿りします


画像

片埜神社の拝殿 
アテルイとモレの首塚はこの片埜神社のとなりの牧野公園にあります
もちろん その昔はその公園も 片埜神社の社内でしたが

画像

河内国一宮 片埜神社 垂仁天皇の時代に野見宿禰が創建したという
もちろん 式内社    室町時代後期は荒れ果てていましたが
羽柴秀吉が大坂城の鬼門の守りとして再建しました
拝殿の裏には 羽柴秀頼が寄進した 重要文化財の本殿が残っています

河内国一宮 ! って それ 枚岡神社じゃないの?
まあ そう硬いことは言わないで 社格 歴史とも 枚岡神社の方が
上なんだけれども  大坂城の鬼門除けとして「一宮牛頭天王」と称し
江戸時代初めから 河内国一宮と名乗りを上げたというわけ

諸国一宮に関しては 公式の認定がないので その国で一番 羽振りの
いい神社が称している  ものの本によると 国司が 任命された国に
赴いた時に回る神社の順番の一番目が 一宮ということだが 
それゃそうでしょ
誰だって おみやげをいっぱいくれるところを一番にするもんね


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