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zoom RSS 平城京 十条大路は南九条大路?

<<   作成日時 : 2007/06/17 20:42   >>

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奈良 大和郡山市の下三橋遺跡で 十条大路らしき道路遺構が
見つかったと 大和郡山市教育委員会と元興寺文化財研究所が
発表した(6月13日付) 

十条大路なんていうと 誤解されてしまうかもしれません
もともと 南京極大路(九条大路)の東南の張り出し部分は
添上郡京南辺条と呼ばれ 今回発見された 十条大路?との
間に 京南特殊条里の地割が存在していました

画像
 
添上郡京南辺条の小字に「道代」や「大道ノ上」があり 道路跡が田畑に戻った跡が  
南北に長い小字区画になって連なっているので 昔から 大路の存在はいわれていた
京南特殊条里もその先で終わっており それ以南は 京南条里(大和統一条里)である
しかし 下津道より 西側(右京)には まだ 十条大路(京南道)の痕跡は見つかっていない
 
平城京はその京域がいびつで 張り出し部分(外京)が多い 
十条大路が右京側になければ 張り出しなのかもしれないが
九条大路に 羅城門が建設されることになり 張り出しは おかしいとされたか
あるいは藤原京の九条以上の京域条坊の踏襲をしたが 本家の長安城(大興城)が
南北九条だったので 十条の建設を中止したのか とにかく
早い時期に(730年ごろ)埋め戻されてしまった というのが 大方の研究者の意見
です 

はじめに 私が今回発見された 大路跡を 十条大路というと誤解されるといったのは
もともと 平城京を建設し始めた時に 今回見つかった大路跡が 十条 そして その
ひとつ北の大路を九条と決めながら造ったとは思えないからです

南京極大路が 南面する京域の最初の大路です そこに 羅城門を築きます
今回見つかった 大路跡を南京極大路として建設したかどうかはわかりませんが
結果的には 十条大路(南京極大路)にもなっていません 
あえて 呼び名をあたえるとしたら 南九条大路でしょう

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平城京―その歴史と文化  小学館
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