なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS アンネ・フランク 「アンネの日記」を読む

<<   作成日時 : 2007/06/28 02:14   >>

トラックバック 0 / コメント 1

毎日 すこしづづ読んでいた 「アンネの日記」を ほぼ2年がかりで読み終えました ずいぶん前に まだ 小学生頃に子供向けの要約したものは読んだことはありましたが 完全版をほぼ日記が書かれた月日と同じように読みました


画像

   アンネの日記 増補新訂版 文春文庫

アンネの日記は アンネこと アンネリース・マリー・フランク(1929〜1945)が1942年6月12日から1944年8月1日まで 13歳の時に祖母からもらった日記帳に キティと愛称をつけて書き続けたものです

日記そのものは 完全な形では残っていません しかも アンネ自身が本来の日記とは別に 清書していた日記の存在もあり 14〜15歳の少女が書く内容としては不釣合いだと指摘されるような記述が日記にあったりと 日記が世に出た頃から ナチシンパの連中の アンネ・フランク非実在説と合いからまって 日記そのものの真贋が議論されてきました



研究も進み 多少の削除や追加 編集もおこなわれて ”完全”なアンネの日記が出来上がったわけですが 筆跡が 別人だとか 文体がおかしいといまだに言われていますね 私はそんなことはあんまり気せずに アムステルダムの隠れ家 「後側の家」で 困難な生活でも最後まで希望をもちつづけながらホロコーストの犠牲になった 多感な少女の日記として読みましたよ



画像

アンネ一家は 1944年8月 某人の密告により ゲシュタポに捕まります  その時はもちろん有名人じゃありませんから収容所でのアンネの最期は 本当のところは 何もわかっていません 

アウシュビッツ絶滅収容所を経由してから ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られたのは まちがいないのですが 最期に関しては 当時の収容者の複数ひとたちの証言があるだけで それも 後になってから あの娘がそうだったのか的だから・・・ (収容所で働いていた看護婦の1945年2月〜3月ごろに チフスで死亡との証言又は手紙が公式な最期としている  しかし 当時 チフスで死亡する人は数限りなくアンネ その人を特定しているわけではありません  あまり考えたくはないが  アンネは死亡したあと その他大勢のひとたち同様焼却?されたか あるいは・・これが一番可能性があるが 大きな穴にまとめて埋められたとおもわれます)
その時の収容所の状況(発疹チフスの蔓延 連合軍進軍によるドイツ側の混乱)を考えても とうてい理解できない人間の扱いかたであった とにかく英国軍による解放時(1945年4月)にはすでにアンネは生存はしていなかったとされていて  もちろん遺体も遺品もわからない


夜と霧 新版  みすず書房
アンネの日記を読み終えた時に感じた 
夏の終わりのような寂しさはなんだろう
アンネ一家たちユダヤの人々がたどることになる運命を知っているからだ
人間の極限を文字どうり強制する強制収容所・・・ アンネもそこにいた
夜と霧 新版

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは(^0^)
アンネの日記、ですか、なつかしいです。
わたしは、高校生の頃に完全版というのが出版されて読みましたよ。なんか最後まで読んだあと、気持ちがずっしりと重くて、切なくて悲しくなったのを覚えてます。
ミコ
2007/06/28 21:53

コメントする help

ニックネーム
本 文
アンネ・フランク 「アンネの日記」を読む なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる