なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS 大和三山 ふらふら探訪記 畝火山口神社〜伝神武陵

<<   作成日時 : 2007/08/27 00:26   >>

トラックバック 0 / コメント 0

畝傍山頂上でひと休みして
再び登山道を戻り 畝火山口神社の方へ

画像

畝火山口神社・・・・創建は いつかはっきりわかりません 平安時代初めにはあったらしい
            もともと 畝傍山の麓にあった(今の東大谷日女命人神社のあたりか?)
            戦国時代に山頂に移されたが 不敬で1940年に現在地に・・・
            祭神はなぜか気長足姫命です



画像

                    山口神社を後に 大谷の町に 



画像

            大谷の町(町というより静かな村落)から見る畝傍山



画像

                慈明寺前の水田に花が・・・・


画像

      大谷の村落を抜け 時計周りに畝傍山をまわりこみます
      のどかな水田にかこまれた道をゆくと 大帥堂がありました



画像

      この大帥堂の横には井戸があります いうまでもなく 弘法大師空海の井戸 
      このあたりには7つの井戸があったらしいのだが 
      いまでも水が出るのはここだけ 地元の人が汲みに来ています
      私もすこし飲ませてもらいました


画像

                 伝神武陵に向かう道


画像

         夏草に覆われた細い農道をしばらくいくと 神武陵の石標が


画像

                   宮内庁  神武天皇陵   

画像
     
陵墓に向かう 白玉の道は カーブして先が見通せない なかなか演出してますね


画像

伝神武陵(畝傍山東北陵 )・・・・・神武天皇及び神武陵に関しては 考古学的にはっきり
していません 神武陵に関しては 古来より候補地が複数あり 現在の神武陵は 白橿村にあったミサンザイという塚  
これ 以外にも 洞村の丸山 四条村の福塚(現在の綏靖天皇陵)が有力だった

江戸時代を通じて 丸山がもっとも支持されていたのだが 洞村との関係その他で
なぜか ミサンザイに決定(孝明天皇の御幸が原因か?)  
日本書紀に 672年 壬申の乱のおりの記述に神武陵が出てくるが これをみるかぎり
丸山らしき場所を神武陵と認識していたみたいだが 延喜式の神武陵は東西約100m
南北約200mと とてつもなく大きい 数年前に丸山を見にいったことがあるがとても
そんなに大きくはなかった(宮内庁?の石柱の囲みがなければわからない)

実在したかいないかは別にして古代から神武以下歴代の天皇の陵墓が実際に存在していた
か またはある時期に 一斉に陵墓を建造(捏造)したとも考えられる
どちらにしても 長い間にそれすら場所がわからなくなってしまった・・・

                                              つづく 次へ
神武天皇―日本の建国 中公文庫
ずいぶん前に読んだ本ですが 神武天皇は実在して 東征したという結論はどうかと思う
けれど それ以外は 知的好奇心を満足させてくれました

神武天皇―日本の建国 (中公文庫)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大和三山 ふらふら探訪記 畝火山口神社〜伝神武陵 なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる