なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS 御願塚古墳考

<<   作成日時 : 2007/09/23 00:36   >>

トラックバック 0 / コメント 0

暑い日が続きます
今日も 上方は 30度を軽く越えています

さて 以前から気になっていた有名な御願塚古墳の話です

画像

兵庫県伊丹市御願塚にある 推定5世紀後半の帆立貝式前方後円墳の御願塚古墳は
ほとんど 消滅してしまっている塚口古墳群の中にありながら ほぼ築造当時の原型を
残している 
 
私の住んでいる北河内の各古墳群でも 濠が残り 原型がそのままという古墳はみあたらない
全国的にも このクラスで 住宅地にありながら ここまでの古墳はめずらしいと思うが・・
そこで 早速休みの日に出かけてきました

画像

        後円部には石段があり 頂上には 南(南之)神社が鎮座する

        御願塚古墳の前の県道を通るたびに気になっていましたが
        今回はいよいよ 古墳の中に入ります
        友人の中には あの古墳には祟りがあるぞと忠告してくれる
        者もいますが・・・・・



画像

     南神社の小さな社殿のある 後円頂上部は 平に削られています 
     雰囲気は B級和製ホラー映画の舞台にぴったり
     明治時代に石室が出土して 埋め戻したという



画像

             古墳のまわりに周回道が整備されています



画像

                             周回道




画像

             周回道  憤丘の段上には円筒埴輪や形象埴輪があった



画像

        前方部です がほとんど削られて 更地のようになっています



画像

   周濠が全体に残っています 築造当時からずーと残っていたかどうか
   わかりませんが 中世以降 ため池として 濠の拡張と掘り下げがおこなわれた
   という


   
画像

                    周濠 前方部




画像

           周濠 後円部 県道のために狭まっています



画像

                      造り出し

         御願塚古墳には 造り出しと呼ばれる部分があり
          ここで 祭祀が行われたらしい (1998年の発掘調査)

 

塚口古墳群の最北にある御願塚古墳は 「御願塚」という呼び名になっているが
その昔 御願塚古墳には 4つの陪塚(円墳)があり それらを合わせて五個塚と
呼んでいたのが御願塚の由来という  (伊丹市史)
現在 陪塚はありません

被葬者は誰だかわからないが このあたりにいた 渡来系の首長墓ではないか
というのが 研究者の見解です

南神社の祭神は 孝徳天皇 どういう経緯で孝徳天皇になったかわかりません
奈良時代に行基が熊野権現を勧進したという(攝陽群談 岡田溪志)
行基のことなので 御願塚の周濠を ため池に造りかえた?
しかも 1998年の発掘調査では 二重の濠があったことがわかりました
まさに大王陵なみです
孝徳天皇といえば 難波長柄豊碕宮で死去していますから   
南河内郡の大坂磯長陵に葬るよりは 御願塚古墳のほうが・・・・

今回初めて 古墳の中に入ってみたのですが 古墳そのものの状態が
よく保存されているというわけではなかった 
平面的に古墳の形状が残っているということでした

帰りに 伊丹市立図書館に寄って帰りました

御願塚古墳環境整備に伴う発掘調査概報 (1971年) 伊丹市教育委員会 
勝手な想像をした私ですが まじめに御願塚古墳のことを知りたい方は この本を読んで下さい また 伊丹市教育委員会からは「伊丹市埋蔵文化財調査概報2 御願塚古墳外提部の調査報告書」もあります  こちらの方は 図書館で閲覧できます
御願塚古墳環境整備に伴う発掘調査概報 (1971年) (伊丹市文化財調査報告)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
御願塚古墳考 なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる