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zoom RSS 大和三山 ふらふら探訪記 藤原宮跡

<<   作成日時 : 2007/09/05 01:15   >>

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陽が二上山に落ちようとしていた
鸕野讚良は数多くの供回りを連れ 飛鳥宮を出て香久山に登った
香久山の頂上には 敷き台が置かれ 鸕野讚良はゆっくりと席に着く
あたりは 木々が切り払われていたが 陽が沈み 暗くなっていた
やがて 前方の 黒く影になっている畝傍山の頂上に火が点いた
それを合図に 耳成山の頂上にも火が点き それと同時に 藤原の宮地に
幾百 幾千という松明が輝き 人々の歓声と楽器が鸕野讚良のもとにも聞こえた・・・


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  藤原宮跡です  奈良文研が 発掘調査してますが 今日はおやすみです



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何を発掘しているのでしょうか? 大極殿の50mほど前です 宮門跡でしょうか?
都城発掘調査部によると飛鳥藤原第148次(藤原宮大極殿院南門)発掘調査だそうです
                             現地説明会は9月8日です



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                  大極殿跡からみる 香久山


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                       同じく 畝傍山

              京内に 大和三山を取り入れた藤原京は 
              中国の道教思想と 日本の自然物に神が宿ると 
              擬人化する神名備信仰があった・・・・?


最近の研究で これまで
藤原京のお手本とされてきたのが 長安ではなく 
藤原京と同じく三つの山を取り込んでいた
朝鮮新羅の都ではないかといわれている
 (奈良女子大 金子裕之) 


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      大極殿跡  土壇がそのままの状態です 礎石はありません
      昔から 大宮土壇と呼ばれ 田畑の中に残っていました


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                  大極殿跡 全景   誰もいません


藤原京・・・・(694〜710)当初の予想を裏切り 東京極大路?の発見で 大藤原京の
        可能性がでてきたが 首都としては16年しかなかった したがって どこまで
        完成していたかはわからない 未完の「京」都市であったかもしれない

                                          つづく  次へ

持統天皇―日本古代帝王の呪術 人文書院
  吉野裕子さんの持統天皇の謎解きは大変おもしろい
  これは わたしのあくまでも勝手な想像ですが アマテラスを生み出した または
  アマテラスに絶対的権威を持たせたのは 持統天皇だったのでは?

                                         
持統天皇―日本古代帝王の呪術

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