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zoom RSS 東海道(京街道) 枚方宿 今昔案内 その4

<<   作成日時 : 2007/10/30 08:42   >>

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つづきです
浄念寺前をすぎてすぐ 街道は右に折れ泥町に入ります
このあたりは 淀川にもっとも街道が近づくところで
過書船・伏見船の各番所があり 船高札場がありました


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      泥町付近 街道が右に折れる所の先に残る古松の大木



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               江戸末頃の建物 屋号「田葉粉屋」

田葉粉屋の建物は 枚方宿に現存する最大のものです
一見 普通の町屋作りになっていますが 表屋の玄関から潜り戸を入ると
この表屋が門構えになっているのがわかります
街道筋の建物は 本陣以外 門を構えることが出来なかったのです


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            泥町の街道  ゆるくカーブして堤町へ


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                   堤町の街道


さて そろそろ街道は枚方宿の西のはずれに近づきます

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                    「鍵屋」

鍵屋は 現在 「市立枚方宿鍵屋資料館」になっています
以前は 宿泊も出来 名物 くらわんか料理も出されていました
           枚方文化観光協会HP http://www.kanko.hirakata.osaka.jp/index.htm

よく 淀川を行き来した三十石船とくらわんか舟を混同されている人がいますが
別物です
三十石船は 過書船・伏見船のうち米を三十石積めるだけの大きさのものをいいます
                           (全長15間 幅2間 船頭4人 乗客28人)

くらわんか舟は 通称で 淀川を往来する船を相手に商売する 茶舟・煮売舟のことです
もともと 対岸の柱本村の茶船が家康より 商売天下御免の朱印状を与えられたことに
始まります
その後 枚方に船番所が出来ると 柱本の責任者が移り来たので 幕末の頃には
本家の柱本より 枚方の茶舟が有名になりました
三十石船が枚方に着くと「めしくらわんか」の掛け声で茶舟が近づき 
旅人に食べ物を入れた茶碗を出した 食べた茶碗の数で代金が決まる
このくらわんか茶碗は 伊万里や唐津などで大量に焼かれた粗雑品といわれて
いるけれど 実物をみるかぎりなかなか味のある茶碗です


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                        枚方宿 西見付

枚方宿の西のはずれ 西見付です 
ここには 苅捨高札場や立場茶屋がありました
ここで枚方宿は終わり  この先 出口村の松ヶ鼻の一里塚までいきましょう

                    
                                      つづく その5へ

朝鮮通信使の旅日記―ソウルから江戸 「誠信の道」を訪ねて (PHP新書)

江戸時代 東海道枚方宿を通ったのは 大名行列だけでない オランダ商館長や琉球使節
も通った 象も通った  幕末は新選組や薩摩 長州の勤皇志士  徳川慶喜や明治天皇も
通った
なかでも 慶喜は王政復古の大号令(慶応3年12月9日)の後 12日の深夜 京二条城を
出て 無提灯でくらやみの中 数十人の武士の護衛付で ひたすら京街道(東海道)を
休まず歩き 大坂城へ入ったという
朝鮮通信使の旅日記―ソウルから江戸 「誠信の道」を訪ねて (PHP新書)

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