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zoom RSS 大津京 論議

<<   作成日時 : 2008/02/20 20:32   >>

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大津市のJR湖西線「西大津駅」が3月15日から「大津京駅」に名称変更されることについて 文化財の保存活動に取り組む市民団体「皇子山を守る会」(代表者 山尾幸久・立命館大名誉教授)のメンバーの中村博司・大阪樟蔭女子大非常勤講師(日本考古学)ら3人が 大津市に対し「大津京という都は歴史的に存在しない」と指摘し再検討を求めたという 
西大津駅の名称変更をめぐっては 大津京の駅名を支持する別の市民団体が「日本書紀では近江大津宮を近江京と呼んでおりこれを大津京としても差し支えない」としている    

これも 難しい問題ですね 「大津京」という言葉は 歴史的にどうのこうのという前に すでに一般化していますから今更という戸惑いもあるかもしれません
いうまでもなく 近江大津宮は667年に中大兄皇子(626〜672)が飛鳥から遷都して 672年に壬申の乱で焼失するまで都でした  どうして近江に遷都したのかよくわからないのですが 663年に白村江の戦いで唐・新羅に敗戦したのが影響しているのかも?

「大津京」という呼び名ですが 一般に 「○○京」といえば 藤原京や平安京のように 「宮(天皇の居所)」を内に含んで諸氏族や役人 庶民などが集住する特別行政区域=「京」・・条坊制をともなう形が思いうかびますが 今のところ近江大津宮では条坊制の痕跡が見つかっていません その限りでは大津京と呼ぶには??と言わざるをえないですね ただし 特別行政区域=「京」と定めたのは藤原京以降の律令制度から 日本書紀もその時期に書かれているので 「近江大津宮を近江京」と書いたのは定義の多少の混乱があったのかもしれません  きっちりと定める前には 近江大津宮を別称で 近江京(みやこ)と呼んでいた人もいたのかも?? 

たった5年間の近江大津宮も 条坊制がないといえども 天皇の住居(宮)だけでは機能しないし 豪族たちのいく人かは 飛鳥を離れて近江に移住しただろうし 市場もなければならないし 商人や大工 農民 などの一般庶民も宮のまわりに居住したとおもわれるので それなりの都市が出来上がっていたとおもいますね・・・?

明治時代の考古学者の大御所 喜田 貞吉(1871〜1939)が大津近江宮に条坊制があったと想像して 「大津京」の存在を示唆したのが そもそもの始まりです・・・・

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      「大津京駅」になる JR湖西線「西大津駅」

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