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zoom RSS 星降る里探訪記 星田妙見宮へ その2 

<<   作成日時 : 2008/03/13 00:25   >>

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星田の町中は 昔のままの細い道が走り 迷路のようになっています はじめてここを歩く方は迷子になってしまう 今は交野古文化同好会の方たちの手作り?の案内板がいたるところに貼り付けてあるので歴史散策するのにいいです 星田神社までの間に 「平井家→」の案内板があったのでそちらのほうへ


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             星田の細い道を歩く



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              星田の細い道を歩く2



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               現在の平井家


慶長20年(元和元年)1615年 徳川幕府も将軍は二代目秀忠で 家康も駿府で隠居をしていた 前年の大坂冬の陣で外濠を埋めていたとはいえ 大坂城には依然 羽柴秀頼がいたわけで 家康はどうしても自分が生きているうちに秀頼を何とかしたかった やがて幕府の要求した大坂退去を秀頼側が拒否して大坂夏の陣がはじまった
駿府を出た家康は 京 二条城に入る 軍団の大部分は秀忠が先方隊として先に出発 家康は悠々と 東高野街道の洞ヶ峠を越えて星田へ 当時 星田の里正(村長)をしていた平井三郎右衛門清貞宅を本陣として 宿泊したという


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平井家屋敷裏にある 「神祖営址之碑(徳川家康本陣)」 1844年 星田領主市橋長昭が先祖の遺徳を顕彰して建てたもの


「1615年4月4日家康は駿府を出て 4月18日には京二条城に着き ここで徳川方の大名を集めて いくさの評議をした
その時 因幡の矢橋の城主市橋長勝が「いずれ大坂方は 我軍の進路に当たる道筋の村々を焼くだろうから せめて大御所が京から出てからの宿所に当たる村だけでも焼かせないように防備しては」と献策した
そこでその宿営地を星田と定めて ここを固めることとした ところがはたして大坂方は交野地方の寺や民家を焼き払ったが 星田には強い防備があったのでここだけが残った こうして5月5日家康は京都を出発し 星田の平井清貞宅に着いて宿泊した ここで市橋長勝は、その予言が的中したことで大いに称賛の的となり 星田にも所領を得た」 (交野市史)



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    家康や徳川方の軍勢が通った高野道から別れて 星田へ向かう古道 

実は平井家と家康の関係は この時からではなかったのです この話は後ほど・・

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