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zoom RSS 星降る里探訪記 徳川家康の事 おまけ

<<   作成日時 : 2008/03/23 19:23   >>

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星田妙見宮の近くには 徳川家康にまつわる 史跡が残されています  足利義晴の墓からぐるりと妙見山をまわり 再び 妙見宮の最初の入り口の鳥居のところにもどります その鳥居のすぐ近く 妙見坂小学校との間にこの場所だけ 竹やぶが残る丘があります


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小学校横に残る 竹やぶ



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伝家康ひそみの藪(けんしきの藪) 本能寺の変で 三河へ逃げ帰る家康一行がここに一時隠れていたという

この時のことを 「寛政重修書諸家譜」や「石川忠総留書」などの資料から簡単紹介します

1582年家康は 信長からの誘いで 5月17日 岡崎から京へ上洛 21日まで光秀の接待などを受けて逗留 信長への献上金3千両のうち 1千両を貰って 京 奈良 堺見物をすることになり堺へ赴く 
そして 6月2日(本能寺の変当日) いちど京へのぼり 信長に挨拶をしてから奈良に赴き 三河へ帰るつもりで 2日の夜明けに堺を立ち 東高野街道を京に向かった 

ところが 先駆けしていた 本多忠勝が 八幡の橋本付近で 京から駆けつけてきた茶屋四郎次郎清延と出会い 本能寺で信長が光秀に討たれたことを告げられる

本多忠勝はすぐさま 戻ると四條畷の飯盛山付近で 家康一行と合流 信長死すと告げる

驚いた家康は このまま上洛して 光秀に弔い合戦をいどみ 知恩院で追腹を切ると言い出したが 忠勝は「一行30数名ではどうにもならず 犬死必至 このたびは三河へ帰還して義兵を挙げるのが肝要」と進言 酒井忠次も石川数正も賛同したので このまま東高野街道を平井氏がいる星田まで行く事に決める

ここからが家康ひそみの藪伝説です
2日の深夜 用心しながら 家康たちは街道をはずれ 妙見宮の竹やぶまで来て身を潜めます この場所は 磐船街道に出れば山越えで奈良方面にも抜けられます 家康から連絡を受けた平井三郎右衛門清貞は 急いでやって来て 山城方面に出る間道に精通している星田の農民二人を 道案内人として紹介します
道案内をした農民の一人は 俗称を「しゃみ安」といった もうひとりは後に「けんしき」という俗称で呼ばれるようになった この2人の案内で 家康たちは 無事に田辺街道から 山城の飯の岡で木津川を渡ることができた 

もともと平井氏は 三河の出身で家康とはなんらかの接点が以前からあったようです それが後の大阪の陣の時にも平井三郎右衛門清貞宅を本陣したことに現れています
                             星降る里探訪記 その2 参照


さて 無事 木津川を渡った 家康一行は 徹夜で進み ようやく信楽の小川村で一泊しました このときには 伊賀者たちに守られていましたが まだまだ油断出来ません
ここからも強行軍で ようやく伊勢の白子海岸に出て 4日には岡崎に帰りつきました

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