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zoom RSS 大阪 新世界 細見歩き その1

<<   作成日時 : 2008/05/05 10:56   >>

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文明開化の明治や科学技術勃興の大正の人たちにとっても 人間が月に行くということは 荒唐無稽話のひとつだった ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズが空想した月世界旅行はまさしく 人類の見果てぬ夢の新世界だった・・
というわけで 大阪の新世界をぶらり歩きます(どういうわけや〜)  週末だと あの狭い界隈に 人出が100万人(ひゃ ひゃくまんにん あほかおまえ そんなにおるか〜)くらい出るので 今回は平日でお店が休みのところが多い日に出かけました それでも 200人(なんや おまえ えらいへっとるやないか)ぐらいはいました


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                                新世界の玄関口 JR新今宮駅
大阪環状線新今宮駅は ここはあのラピートも停まる南海電車の新今宮駅と立体交差しています 近くには 阪堺電車の南霞町駅 地下鉄の動物園前駅と交通機関の要スポットです・・・そんな大層なことはないけど




環状線の線路沿い歩きます
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すぐにフェスティバルゲートの残骸?があります  永らく 放置されていた市電「霞町車庫」跡地に1997年に建設されました 昔 子供たちを連れて 遊びに来た事がありますが 中途半端な娯楽施設でしたね それでか知りませんが巨額の赤字のために倒産してしまった この後 どうすんでしょうね 大阪市さん



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同じく 霞町車庫跡地に フェスティバルゲートと隣接して 1997年にオープンした 世界の大温泉「スパワールド」 こちらの方は たいへん 面白くて 低料金で一日中遊べます 経営的にも成功しているようで やはり 民間企業だから?でしょうか



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スパワールドのすぐ先に 浪速警察の新世界交番があり その横から ジャンジャン横丁に入る入り口があります


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下に降りる階段があります 降りて 右側 環状線のガードをくぐってその先は 旧赤線地帯の飛田新地(大正7年開業)がありました 今でも ところどころ昔のなごりが残っているようです (妖怪通りとかいう場所もあって 昔 純情だった?学生時代に友人たちと恐る恐る 夜に探検したことがありましたが・・・今はどうなっているのでしょう)



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さて ジャン横ですが アーケドも新しくなって 昔にくらべて かなり 明るくきれいになっています 個人的には昔の雰囲気のほうが好きなんですが・・・



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小シャレタお店に変わっていますね 中ではイケメンのお兄さんがいて 女性客もいます 


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ジャン横も 世代交代なのでしょうか  ジャン横に限らず 新世界全体が新しく変わっていくようです なんか 違和感があり 寂しい気がするのは私だけでしょうか

ジャンジャン横丁・・・正式名は「南陽通り商店街」 昔の石見町筋で石見横まちと呼ばれていました 新世界が建設された 明治45年にミナミの千日前で大火災があり ミナミの客が新世界に流れてしまい ミナミの花街を救済する形で 大正7年に飛田新地が出来たのですが ジャン横はその飛田と新世界をむすぶ近道として 大正8年にできた通路だった 通路に遊郭に行き交う客をあて込んで 関東煮屋が店を出したり 法界屋と呼ばれる怪しげな人々も現れるが これはあまりにも風紀を乱すということで 追い出されてしまう そこで 法界屋にかわって 関東煮屋が三味線弾きの仲居さんを店に置き 昼間から 三絃をジャンジャン鳴らすから 「ジャンジャンまち」 「ジャンジャンよこまち」と呼ばれるようになった・・・・・あくまでも巷説ですが 後に林芙美子の小説から「ジャンジャン横丁」が定着した

                                        つづく その2へ

めし (新潮文庫) 現在 絶版ですか・・・?
大阪を舞台にした 林芙美子の絶筆  林はこの小説で初めて「ジャンジャン横丁」の章を付けている  村田里子と谷口芳太郎がジャン横をぬけて新世界に行くという場面がある そこで林は 新世界を「池袋界隈にそっくりである」といっているが 歴史的に見れば 池袋界隈が新世界にそっくりなのだが・・・・(もちろん当時ですよ1950年代)
めし (新潮文庫)

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コメント(2件)

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フェスティバルゲートの位置に有った市電の車庫は「霞町車庫」ではなく「天王寺車庫」と言います。「天王寺車庫」は現在もフェスゲのビル内にバス車庫として健在です。
こつまなんきん
2009/07/26 11:57
こつまなんきんさん ご指摘ありがとうございます
大阪市電の「霞町車庫」はご指摘どうり 正式には「大阪市電天王寺車庫」といいます 当時(昭和41年以前)車庫は霞町(現在は恵美須東町)にあり 一般には通称「霞町車庫」と呼ばれていました(大阪市交通局100年のあゆみ) 私も昔から「霞町車庫」と記憶しておりました 実際には天王寺(区)にはなく 霞町にあったのでそういう呼び名になったと思います 
なぎさの民俗学者
2009/07/26 12:58

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