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zoom RSS 柳生街道 その10 阪原峠を越えていよいよ柳生へ

<<   作成日時 : 2008/06/01 01:20   >>

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柳生街道のつづきです いよいよ柳生街道歩きも大詰めをむかえました 道は阪原の集落に入りました 南明寺の先で 柳生街道(里道)は二手に分かれます ひとつは すこし回り道だけれど 山と山の谷間を抜けて柳生の家老屋敷付近に出る道で 今の国道369号線  もうひとつは 近道ですが もうひとふんばりして 阪原峠を越えて 柳生藩陣屋付近に出る峠道です 東海自然歩道はこの道を採ります 



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南明寺の先 二手に分かれる道を峠越えの方に行くとすぐにあるのが おふじの井戸です

柳生の殿様 但馬守宗矩(1571〜1646)が おそらく今の369号線になっている里道を通ってこの井戸がある道の二又に来た時 楽しげに洗濯をしている幾人かの女たちが目に入ったのでしょう 軽い気持ちで女たちに声をかけました「楽しそうに洗濯をしておるが お前たちが使っている桶に立つ水のさざなみがいくつあるか わかるか」 殿様に声をかけられて緊張している女たちは もちろんわかるはずもなく 答えられもしないでただつたっているだけでした そんな女たちの中で ひとり年の若いおふじという娘が「ならば お聞き申しますが お殿様が楽しげにお乗りになって ここまで来たお馬の足数(歩数)はいくつか おわかりになりますか」 これにはさすがの但馬守も答えに窮したという 後にその時のおふじの才気とその賢そうな器量が忘れられず 側室にむかえたという・・・話が伝わっております




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おふじの井戸の前の 阪原峠へむかう道  最初 この道を但馬守宗矩が通って おふじの井戸まで来たと思ったのですが 供回りを何十人も連れ 馬で峠を越えるのは 戦のときならばいざしらず 平時の時は無理(難儀)があると思います 




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                山の中に入る手前で振返って阪原の集落を見ます 



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                    杉木立の中の道を 峠まで登ります




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                   しだいに 道は悪路になって峠を越えます


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峠道を下りに下って あともう少しで柳生の里というところに 岩に彫られた大磨崖仏(地像菩薩像)があります 刻銘によると元応元年(1319)の作 別名「ほうそう地蔵」  長い間土の中に埋もれていたといいますが その状況がよく飲み込めません 昭和44年にすぐ下の土の中から発見された時 顔の部分が剥落して 疱瘡(ほうそう)にかかったように見えたのがその名の由来とガイドブックに書かれていますが この地蔵様は疱瘡除けにかなり古くから信仰されていたといいます しかも 土の中に埋もれていたら信仰できないし こんなおおきな岩が 峠道の脇でどのように土に埋もれていたのか 謎だらけです すこし先に 寝仏地蔵がありますが それと混同したのかも? 


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                                         国立歴史民俗博物館
千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の第2展示室に柳生の疱瘡地蔵の復元レプリカが展示されています(正長の土一揆に関する資料展示) 上の本物の写真と見比べてください よく出来ていますね 私はこちらの方を先に見ていました       



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疱瘡地蔵の向かって右下部分に刻まれている27文字の碑文の説明文  拡大してください



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裏から見た大磨崖仏(疱瘡地蔵) 巨大な岩です 平成10年に屋根をつけましたが それ」以前は野ざらし状態でした



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疱瘡地蔵  寝仏地蔵 六体地蔵などの石仏の沿道を下ると 柳生の町が突然目の前に 里を流れる今川の橋を渡らずに 手前を左に曲がりそのまま柳生藩陣屋跡に 進みます


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柳生藩陣屋跡  石舟斎と十兵衛がお出迎えです 柳生藩主は代々将軍家剣術(兵法)指南役として江戸に定住していました  3万石以下の無城大名である柳生藩の藩庁として機能していたのは「陣屋」でした


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柳生藩陣屋跡の説明板   本来ならば柳生街道?はここが終点(起点)なのでしょうが 阪原峠を通らない現在の国道369号線のルートの柳生街道は柳生の里の中心部 今川に架かる今川橋を通っています  とりあえず 今川橋まで行きます


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柳生の里道を歩いている途中にある 幕末の柳生藩家老 小山田主鈴(1781〜1856)の柳生藩家老屋敷(隠居)
です 主鈴は大阪の堂島の米相場で大儲けして 藩の財政危機を乗り切り その功績で 柳生藩国家老になりました 現役引退後 藩主から拝領していた土地に建てた屋敷がこれです したがって 正式には 「元国家老小山田主鈴隠居屋敷」というのが本当ですね  後に作家の山岡荘八の別荘になったのは有名です 今は奈良県所有


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                          屋敷につづく道



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                            屋敷の玄関門 


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やっと 着きました 柳生の里の中心 今川橋・・・といっても大した橋じゃないですが・・・ここから 月ヶ瀬方面 笠置方面への街道が分かれています  とりあえず ここで柳生街道の終点ということにします  時刻は午後2時30分 奈良猿沢の池からここまで 6時間30分でした  


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                      奈良縣  道路法施行令第八條二依リ道路元標ノ位置左ノ通定ム
                                                    大正9年4月1日
                          柳生村  大字柳生下 郵便局前

今川橋のたもとにある大正時代の道路元標   郵便局前となっているが現在も郵便局はすぐそこにあります                
                   
ここで 柳生街道歩きは終わりますが しかし JR笠置駅まで行かないと帰ることができません・・・・ここは覚悟を決めて もうひとふん張り 笠置山を越えることに決めました・・・・・・

                                  笠置山越えに つづく

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