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zoom RSS 聖徳太子 ゆかりの名宝展 大阪市立美術館  天王寺界隈

<<   作成日時 : 2008/06/07 22:30   >>

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大阪市立美術館で開催中の「聖徳太子 ゆかりの名宝展」(6月8日まで)を観に行きました(5月25日)  市美術館にいくのは 2年前のプラド美術館展以来です



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JR天王寺駅から地下道を通り 天王寺公園入り口前に出ます 市美術館はこの中にあります





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あいにく 朝から小雨が降ったり止んだりで・・ 予報では 昼から晴れるということですが・・・




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市美術館への道の途中で出会った 白ネコ君 雨に濡れて これがほんとの濡れ猫





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やはり 雨のせいでしょうか 休日にもかかわらずあまり観客がいません そのほうがゆっくりと鑑賞出来て私的にはいいのですが・・・

「聖徳太子 ゆかりの名宝展」は 「河内三太子」と呼ばれる 叡福寺 野中寺 大聖勝軍寺にある聖徳太子ゆかりの品々を中心に展示してあります






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                  聖徳太子絵伝 第2幅 南北朝〜室町時代  叡福寺蔵

聖徳太子という名前が 世間に広く知られるようになるのは 平安時代以降とされている 
平安時代の半ばの末法思想の広がりが 日本仏教の理想的な推進者であった聖徳太子を救世主として選んだ
そして太子ゆかりのものが尊ばれ太子信仰が生まれた 
聖徳太子絵伝も 平安時代初めに記された「聖徳太子伝暦」をもとに各地で制作されたものが多い この叡福寺蔵の絵伝は 全8幅あり 年代順に太子の生涯を描かずに それぞれのエピソードを四季別に描き分けています 
修復が終わったばかりということですが かなり色がくすんで近くで見なければよく分かりません


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           一遍聖絵 第8巻 法眼円伊筆 鎌倉時代 1299年 清浄光寺蔵 国宝

弘安9年というから 1286年 時宗開祖一遍(1239〜1289)たち一行は 当時のお決まり参詣ルートだった四天王寺から住吉社を経て叡福寺の聖徳太子御廟へ参詣にやって来た 
この後 竹内街道から当麻寺へと向かっている
それはそうと この絵巻に描かれている伝聖徳太子磯長御廟ですが・・・現在のものとは大分様子が違いますね 一遍聖絵巻8の実物を間近にゆっくりと観たのは初めてですが 太子陵研究書などには叡福寺の聖徳太子御廟を描いた最古の資料として必ず載っているお馴染みです (5月25日まで展示) 


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     四天王寺縁起 根本本 平安時代 11世紀? 四天王寺蔵 国宝


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             四天王寺縁起 後醍醐天皇宸翰本 1335年 四天王寺蔵 国宝


このふたつの四天王寺縁起は並んでガラスケースに入れられています これまで宝物展などで四天王寺蔵の国宝を全て観ましたが 同時にこの ふたつの四天王寺縁起を観るのは初めてです 
記録では836年に四天王寺は落雷で被害をうけ 960年には早くも失火で七堂伽藍をことごとく失ってしまう 
ふつうならばこれで地上から消えていてもおかしくなかったのだが 時代は太子信仰勃興時 国家の援助はなかったが 聖徳太子をたのみに伽藍復興を成し遂げる  
そして 奇跡が起こる 不思議な事に 1007年再建された金堂内で 聖徳太子実筆の「四天王寺縁起」が発見?されるのだ 
しかも 太子自身の手形まで捺されているものであった
「四天王寺は国家鎮護の道場であるとして 仏法をおろそかにするものは たとえ天皇であっても地獄に堕ちる」と説いた縁起文を1335年に四天王寺で観た 後醍醐天皇(1288〜1339)は南北朝の戦のさなかでもあり いたく感動し 四天王寺縁起を自ら書写して 太子に習い 手形を捺して奉納したという


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              金銅弥勒菩薩半跏像 666年? 野中寺蔵 重文

野中寺に伝わる 有名な金銅製の菩薩像である  以外と小さいものだが 体に比べて頭が大きいので ボリューム感がある 本像台座の框(下辺)に 小さい文字が刻まれています
 
丙寅年四月大旧八日癸卯開記 栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時 請願之奉弥勒御像也 友等人数一百十八 是依六道四生人等此教可相之也」

「丙寅」というのは666年のこと 「弥勒」というのは この像が弥勒の半跏像ということになるのだが この刻銘と菩薩像の制作年代には不明な点が多く 今なお 研究者の間で意見が分かれている 刻銘が刻まれていることで制作年代がわかる弥勒像として他の弥勒像の制作年代決定の基準作になっているのですが・・・・


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                            木造 聖徳太子孝養立像

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木造  二王子立像
  鎌倉時代 大聖勝軍寺蔵

大聖勝軍寺は 旧亀瀬越え奈良街道沿いにある寺だが 他の二太子(野中寺 叡福寺)とは趣きが違う
ここは 蘇我氏と物部氏が覇権を狙って戦った古戦場に建つ寺である 
この木造 聖徳太子孝養立像は鎌倉時代に制作されたという 角髪を結った童子姿の太子像は16歳だそうです
この像の両脇に立つ二王子立像は 太子の王子 山背大兄王と殖栗王です・・・・・って・・16歳じゃ王子なんかまだいないだろうと内心突っ込みを入れました  この像の台座の裏に1665年に野中寺の僧侶が像を修理したと墨書きされています 河内三太子のお寺同士は仲がよかったんですね


河内三太子をそれぞれ 別々に訪れたことがありますが それらの寺の宝物が一同に見られるのはそれなりに いいことだと思います(大聖勝軍寺は駐車場がないし 野中寺や叡福寺は車じゃないと行けないし・・) 河内三太子が中心の展覧会だからしかたがないと思いますが なぜか物足りないのはやはり 法隆寺のお宝がまったくなかったから?かな・・・・・

市美術館の外に出ると すっかり雨が上がっていました 


                                           つづく 次へ

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