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<<   作成日時 : 2008/06/13 18:38   >>

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真田幸村(信繁)が討ち取られたという安居神社付近から国道25号線戻ると すぐそこに同じ谷町台地上に建てられた 四天王寺が見えます 西大門の鳥居を目指して歩きます



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日本三鳥居のひとつ 石の鳥居 1294年 重文   (他の三鳥居は 吉野金峯山寺蔵王堂の銅の鳥居  安芸の宮島厳島神社の朱丹の大鳥居 ともに重文) 鳥居の奥に見えているのが 西大門(極楽門)です 

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同じ場所から 明治初期ごろ  この鳥居は 大坂の陣や明治維新そして大阪大空襲を見てきた              


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石の鳥居に面して 南北に通る道が 熊野街道(小栗街道)です 四天王寺の旧境内に接して通っています




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西大門(極楽門)から  西大門は 空襲で焼失 戦後に再建されました



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                          五重塔



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                           金堂




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四天王寺・・・・・荒陵山金光明四天王大護国寺 本尊は救世観世音菩薩  創建時期については 確実には分かっていません 縁起によれば 聖徳太子が593年に建立したと伝えられる しかしながら 聖徳太子の時代と四天王寺を結びつけるのには 多少無理があるように思えます  別説であるように 始めに渡来系氏族の難波吉士氏が氏寺として建立したものがあって 孝徳天皇の難波長柄豊碕宮遷都にともない 難波吉士氏と関係の深かった阿倍氏の一族で左大臣の阿倍内麻呂が648年にその寺を大きく整備して 「四天王寺」として「官寺」としたという(日本書紀) その後 平安京遷都前まで 難波の地は港として栄えたのだが その後 淀川の土砂が堆積して湾が埋まり 近くに大都「長岡京 平安京」が造られると難波の地も徐々に衰退していき 他の多くの寺院がそうしたように 四天王寺も生き残りをかけ 太子信仰や弘法大師を取り入れ 民衆の信仰を得て今日に至っています

                         つづく  庚申堂 下高野街道へ 


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タイトル (本文) ブログ名/日時
摂津・河内国の渡来氏系の史跡たち(続編)/ 住吉大社1800年の歴史に秘められし謎
(上記日時は最終更新時刻です) 先程の(http://92852559.at.webry.info/201104/article_1.html)dでお伝えできなかった他氏の渡来氏系の史跡で特に「紀氏(キシ)」などの史跡をここではご紹介します。 ...続きを見る
yadutsumitsuoのブログ
2011/07/28 20:06

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内 容 ニックネーム/日時
お初にお目にかかります、私は渡来氏系の新興・文明などを考察しておりますものです、同時に和宗と四天王寺の壇信徒と住吉大社氏子見習でもあり法華神道の初心者でもあります。

私は自身のブログで渡来氏系の古墳。寺社などの考察意見を多数に投稿させていただいていますが実は私も一時期、「難波吉士」氏が集落を営んでいるという吹田市岸部北に2年ほど居住していました、当時はよくよく緑の濃い「紫金山史跡公園」でよく遊び、「吉志部神社」で祈願事をよくしていたものです。
よくよく縁とは偶然たるものか世代を超え今の四天王寺信仰に繋がった事に妙な縁を感じています。

私はここのところ、堺市・松原市・羽曳野市や池田市・能勢町・寝屋川市・交野市など特に「秦氏」と関係のある集落と思われる史跡を探索し考察意見を投稿させていただいてきました、かれらのもたらしたものは当時の日本人にはないものを多数もたらし、信仰・殖産興業・芸能・スポーツなどありとあらゆる場面においてその恩恵ははかりしえないものがありますがいまの日本国土において暮らすわれわれ国民をその恩恵を忘れまた天神地祇・八百万の神への畏れ・敬い・尊き・拝す心を失ってしまっています、そんな日本人の心に今一度、渡来氏系がもたらした恩恵を考え直していただきたい一心から今の私のブログがあります。

私は普段からただなにげなく信仰している四天王寺も考え直してみれば吉士氏の渡来氏系の寄進によって建てられているところや、物部守屋や森の宮神社・玉造稲荷神社など百済から来朝した「琳聖太子」など玉造部氏や三宅氏などの接点もあるところから住吉大社など今の難波津には難波の宮跡に見えるような河内王朝の原点となった歴史を大阪人は見つめなおさなければならない時がきたような気がします、ご賛同を賜れば幸いです。
やつつのお(八筒之男)
2011/07/10 11:44
肝心な事をお伝えするのを忘れていました。
実はこの方のブログ記事が非常に参考になったので引用の点では当人に失礼なのですがご紹介をとお伺いした今回の次第でした。

http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/4322c6fe42d8dc57d677732ab27ddb63
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/f5593bc82c50de74897cc03b9f06c612
やつつのお(八筒之男)
2011/07/10 11:58
何度も申し訳ありませんが「吉士」氏関連と言う事で吹田市の吉志部神社と守口市・土居の守居神社の「神奈備」の紹介リンク2つをご紹介いたします。
(吹田市・吉志部神社)http://kamnavi.jp/en/settu/kisibe.htm
(守口市・守居神社) http://kamnavi.jp/it/kinki/morii.htm
さすがに岸辺一帯の産土神さまだけあって祭神は両社ともご神徳の高い神様ばかりです、これで吉志部神社の本殿は焼失していなければ・・・、とも思います。

ちなみに吹田市や守口市にも両市に関係していえることですが高木川(現在の淀川
)を通じて水運で大量と渡来人が畿内に流入してきたのですがその関連からか守口市の町名には「北斗町」「日光町」「大日町」などの韓神に関連した町名がありさらに寝屋川市・交野市には
「秦町」「太秦町」「八幡台」などの町名や星田妙見宮が「三宅山」などとも呼称されていたみたいです。

注目したいのは「吉志部神社」なのですが「屯倉」の運営を担っていたあの「三宅氏」でさえ吉士氏との接点があった史実です、これは郷土史を飛び越えて同じ渡来氏系の交流を考える点で興味深い史実と言えなくはないでしょうか。
やつつのお(八筒之男)
2011/07/10 19:15
本当に何度も申し訳ありません、吹田市にもう一つ気になる公園の名前「紫金山史跡公園」ですが私の考察で恐縮なのですが恐らくは北極星の如くの天帝の住まい「紫微宮(垣)」からと「金山」と言う意味の2つがからんでいるのではなかろうかと思われます、実は妙見信仰に関わる殆どが「蹈鞴一族」の影響からか鉱山跡が多いのものです、先程の交野市・星田妙見宮も「金鋳団」と呼称された・・・との「神奈備」の情報もあり能勢妙見山近くには「多々良銀山跡」も(ケーブル吉川駅には「吉川八幡神社」も・・・)あります、当然吉士氏もそういった技術ももちあわせていたのではなかろうかと思った次第ですが恐れ多いでしょうか。
やつつのお(八筒之男)
2011/07/10 19:25
やつつのおさん コメントありがとうございます 私は歴史の専門家ではないので 渡来人について よくはわかりませんが 従来 よく知られている日本地図を逆さまにして大陸側(日本海)を下に 太平洋側が上になるようにして眺めてみると 日本列島は中国大陸から弓なりにラグーンのように日本海を囲み 日本海が内海のように見えます まさに 日本列島は大陸の一部だと実感できます 遥か太古の昔 日本列島に渡ってきた大陸の人々は 自分たちを渡来人(よそ者)と認識していたのでしょうか 「渡来人」という歴史認識は 日本書記や古事記が出来て「日本人」という者がずーっと日本列島にいたということを前提としている「暫定日本人」の考え方です 私は平安時代の初めころまでは 大陸人は朝鮮はもちろん 日本も(辺境の地にあっても)自分たちの大陸の一部8(地理的に)だと考えていたのではないかと思います 大陸の人も自分たちが「よそ者」で「渡来」して来た者とは深く考えず 単に辺境?の地に移動してきたと・・・だから 先に移住していた人たちとも大きな争いもなく 最新の知識や技術の交流が出来たのかとも・・・ 誤解を恐れず大胆な言い方ですが 「古来より日本には 渡来人はいなかった」・・・もちろん エジプト人やローマ人がやって来てたらそれこそ「渡来人」でしょうが 争いが起こり 現在の日本文化も随分と違ったものになっていたかもしれません
妙見信仰と鉱脈の関係はよくいわれておりますね 天の形を地に具現し 地の有様は天に変を起こさせる 天と地は本来表裏一体 渡来系農耕信仰の妙見信仰が本来の信仰を離れて鉱脈探し(山師)信仰に変っていった過程のひとつに 流星群や隕石の影響があったのではないかと 秦氏や吉士氏の一族の中にそういうものを信仰する輩がいたかもしれませんね
なぎさの民俗学者
2011/07/22 08:22
ご返事いただき感謝いたします。
なお申し送れましたが勝手ながら私のハンドルネームと紹介画像を勝手ながら変更させていただきましたのでお伝えいたします。

ご返事いただいた内容は非常に参考になりましたので御礼申し上げます、ありがとうございました。
やづつみつお(八筒光男)
2011/07/24 19:06

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