なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS くいだおれ太郎 見物記 その前に千日前のこと

<<   作成日時 : 2008/06/17 01:26   >>

トラックバック 0 / コメント 0

大阪名物 道頓堀食堂「くいだおれ」が今年7月8日で閉店するというので マスコットボーイ?「くいだおれ太郎」を見に行きました 普段は何気なく見ているものでも いざ その場所から永久になくなってしまうとなると・・惜しい気がしますね 大阪人にとって道頓堀の「くいだおれ人形」って大阪城や通天閣と同じでそこにあって当然だったのですから・・・・というわけでぶらぶら寄り道しながら 道頓堀を目指します



画像

南海電鉄 難波駅を降りて 巨大書店ジュンク堂難波店に寄り道  ジュンク堂の前はなんばグランド花月です 1987年に開館 吉本の新人若手芸人はここの舞台に立つことが目標です  たっぷりと立ち読みをしてというより ジュンク堂は図書館みたいに イスに座って本が読めます




画像

日本橋筋の方に 黒門市場のアーケードが見えます  

黒門市場・・・・ 黒門市場は文政年間 日本橋橋詰に魚商が集まって市場をたてたのが始まりという はじめは 近くにあった寺の名前で円明寺市場と呼んでいたが その円明寺も明治45年に焼失してしまい 円明寺の黒門筋ということで黒門市場と呼ばれるようになったとあるが 確かな事はわからない  現在は大阪を代表する市場(商店街)のひとつ



画像

旧紀州街道・・・・秀吉が日本橋筋を造り 街道筋が今の堺筋(日本橋筋)に付け替えられる以前の紀州往還道(岸辺の住吉道)   このあたりは明治以前は「西高津村字髭剃」という地名でした どうして髭剃という地名なのか?答えは下に・・・・ 



画像

                    黒門市場の反対側には千日前です


千日前・・・千日前の名前の由来は 竹林寺や法善寺が境内にある千日の大師詣りがなまったとも あるいは 寛永年間に 両寺が千日の供養(千日回向)を施したことから この両寺を千日寺と呼び この寺の前の「通り」を「千日前」というようになった?という 
千日前は明治以前は 寺院と墓地と焼き場(火葬場)と刑場があるだけでした 
当時の千日前墓地を現在の位置にすると 道頓堀に架かる 太左衛門橋の南詰から墓所に続く道が始まり 法善寺 竹林寺を越えたあたりに千日前墓地の入り口の黒門があった その南側 約90メートル四方が千日前墓地の敷地だった 今だと千日前大通りからなんばグランド花月の北側あたりか・・・ 黒門を入ったすぐ左側には 刑場があり 獄門台があったという・・  明治初めの頃の話ですが「道頓堀の角座の楽屋から さらし首が見えた」とのことです 
 
そこで 旧紀州街道の話ですが 住吉の方から北上して来た街道は恵美須町で折れ曲がって日本橋筋に繋がって北上しています これが本来の安全な道なのですが ついつい 近道をしてしまい 恵美須町で曲がらずにそのまま旧紀州街道を行くと やがて旧道は寂しい藪の茂ったところに出ます 
しかもその藪の向こうは千日前の墓地と刑場・・・やがてお寺の鐘がゴ〜ンとなる と何処からか人相の悪い追い剥ぎが出てきて 鋭い刃物をちらつかせ 髭を剃るマネをする 怖くなった旅人は有り金を置いて逃げ出したという うそかまことかわかりませんがそこで「髭剃」という地名がついたといいます
千日前墓地は明治3年頃から 刑場と火葬場の廃止 そして墓地の移動が始まり 明治7〜8年頃までに阿倍野墓地へ全て移った

画像拡大出来ます



                         つづく   次はいよいよ 法善寺界隈とくいだおれ太郎との対面です



葬祭の日本史 講談社現代新書 千日前墓地のことをもっと詳しく知りたい方はどうぞ 大阪の葬祭を中心に興味深い話が載っています
葬祭の日本史 講談社現代新書

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
くいだおれ太郎 見物記 その前に千日前のこと なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる