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zoom RSS 東近江 道草歩き その5 沙沙貴神社

<<   作成日時 : 2008/07/23 22:36   >>

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安土城跡から 太郎坊に向かうつもりですが ここはもうひとつ寄り道して 沙沙貴神社を訪ねてみましょう
大手道から 安土城前を横切る県道8号に出ます この県道は 信長が安土城を築城したときに造らせたといわれる道(下街道)です 中仙道(東山道)から安土城下に来るための重要な街道です


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                       朝鮮人街道 ぼうや地蔵堂前
県道として拡張されている下街道を歩いて 沙沙貴神社に行きます 街道は下豊浦北で県道から左に折れて 住宅地(安土町)に入ります 街道といっても 普通の生活道路ですが・・

下街道は 中仙道より下(しも)?を通るというので そう呼ばれたという 他には 琵琶湖畔を通るので浜街道 近世では京街道ともよばれたが なんといっても 徳川家康が関が原で勝利した後 佐和山城から凱旋上洛をした時に通った吉例の道として有名です そのことから 以後 慶長12年(1607年)から文化8年(1811年) にわたり12回の朝鮮通信使が通行することになり 朝鮮人街道とも呼ばれた ルートは野洲町大字行畑から彦根市鳥居本町までの約41km 信長時代の下街道のルートをほぼ世襲しています


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                           朝鮮人街道    
常夜灯があるところで 街道は右に曲がります 安土の町に入ると 街道はジグザグに曲がりくねります 朝鮮人街道は全体的に複雑な道筋をしています これは来日した朝鮮通信使たちに日本を広く見せる為に 道をわざと蛇行させたといわれていますが どうでしょうね 実際は安土城の建設の資材を運ぶために 急遽 道の整備が必要になり 田圃の畦道や里道をつなぎ合わせて街道を造ったためといわれています


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                          朝鮮人街道  JR安土駅方面に歩きます             


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              JR安土駅前常楽寺南交差点朝鮮人街道と安土街道の交差点
           安土街道を真っ直ぐに行くと沙沙貴神社に 右に曲がるのが朝鮮人街道です                  


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                          交差点を右に曲がった 朝鮮人街道 
この先で八風街道と交差しましす 八風街道は 南下して中仙道と交差し 太郎坊宮前を抜けて 鈴鹿山脈を八風峠で越えて 東海道につながる街道です                  


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JR安土駅前常楽寺南交差点を 朝鮮人街道から分かれてJRの踏切を越えて 安土街道を進みます 先のこんもりとした森が沙沙貴神社です


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                           伝景清道 東向き
JR踏切を越えて すぐのところに 桑実寺と観音正寺を案内する 道標があります この安土街道と交差する 東西の道が有名な景清道です

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                           伝景清道 西向き
  
伝説によると景清道は 平景清が平氏再興の祈願をするため 尾張国より京都の清水寺へ通った道とも 寄寓していた近江八幡の旅庵寺より桑実寺の薬師如来に 眼病平癒のために日参した道ともいわれている(中近世古道調査報告書 朝鮮人街道 滋賀県教育委員会)
景清道は 近年 ルートの調査がされましたが全てがはっきりとわかっていません 信長の下街道建設以前から 中仙道(東山道)の間道として使われていたのではないでしょうか


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                          沙沙貴神社

沙沙貴神社の正面 なかなか 立派な神社です さすが 佐々木源氏の氏神社です


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鎮守の森に囲まれた 参道を行くと 先に楼門が見えます 境内は静かです 気温はここに来ると少し下がったのではと思えるほど ひんやりとしています


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             沙沙貴神社 楼門 葭葺 二層門  1742年建立  
古式に則り 建造された楼門です 佐々木家家紋の「四つ目結」も鮮やかですね


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              沙沙貴神社 拝殿 桁梁三間 方形  1848年建立



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              沙沙貴神社 本殿 五間社流造 向拝三間 銅板葺 1848年建立


沙沙貴神社・・式内社ですが 創建時期など詳しくは分かりません 祭神は 4座あり主座祭神は少彦名命です

もともとは この地方に勢力を持っていた 古代氏族佐々貴山君(狭々城山君)の氏神社が始まりともいわれています  新選姓氏録の左京皇別には佐々貴山公は大彦命(大毘古命)の末裔とされています 氏名の由来は近江国蒲生郡篠筍郷の地名と山(守)部の伴造氏族であるところから  
しかし 少彦名命を祀っていた氏族がいつの間にか 大彦命が先祖だ〜と皇族の仲間入りするのも解せないですね 少彦名命というよく分からない神様のことから察すると 佐々貴山君は渡来系氏族の匂いがしますね・・・
この氏族は奈良〜平安時代にかけて蒲生郡の郡司として資料に残っています

時が経て 宇多源氏の一族が平安時代中ごろに佐々木庄の荘官(下司)として近江に土着して 佐々木氏を名乗ります(源経方?) そしてその過程で 佐々貴山公など土地の有力豪族たちを取り込んでいったと思われます  その後 佐々木定綱が近江惣捕使(守護)に任ぜられ(このころ佐々木氏の小脇の館が完成か?)
定綱の孫の代に佐々木氏は四家に分かれ 惣領であった三男泰綱は京都六角東洞院に屋敷を賜ったことから六角氏を名乗ります  これが佐々木六角氏(近江守護職)の始まりです
やがて 六角氏は小脇から 金田の館(後の金剛寺城)へ移り 一族内の家督争いや内紛などを乗り切り やがて戦国時代をむかえます 
1568年 信長軍団の近江侵攻で 観音寺城に立てこもる 六角承禎・義治父子は 箕作城が落城すると戦わずして逃げ出します その後も 信長に反抗を繰り返しますが 1573年の近江鯰江城の落城にともない 戦国大名としての六角氏は終わりを告げました (江戸時代は佐々木氏に戻り旗本)


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                  乃木希典(1849〜1912) お手植えの松の木
宇多源氏の子孫である 乃木大将(旧日本帝国陸軍)も 沙沙貴神社にやってきて ここで松の木を植えて 近くの小学校で子供たちを前に講演しています

                                         つづく 太郎坊宮へ 前編

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