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zoom RSS 特集陳列 坂本龍馬 京都国立博物館

<<   作成日時 : 2008/07/29 23:58   >>

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京博で行われている「特集陳列 坂本龍馬」を観にいきました これまでに何度か 京博が所蔵する坂本龍馬の遺品や関係資料を中心に展示会がありました 私もこれまでに 何回か見ていますが 坂本龍馬というのは根強い人気がありますね 今回は 高知県立坂本龍馬記念館蔵で 姪の春猪宛の初公開の龍馬実筆の書簡などもあります

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                   坂本龍馬(1835〜1867)       画像アーカイブ 
いまさら 説明は要らないと思いますが 坂本龍馬は薩長に属さない志士として旧幕臣や反薩長から贔屓目で見られたり しかも 維新を前に非業の死を遂げた悲運の志士として 明治時代から 一般庶民からも人気がありました 戦後 司馬遼などの小説で さらに人気が上がり これほど 過大評価?をうけた人物はいないのではないでしょうか 



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                          京都国立博物館
     


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   「特集陳列 坂本龍馬」  平常展示館での開催です 本日は無料観覧日  普段は有料 8月31日まで
    
京博の平常展示館(今年限りで閉館 解体 以後休館 したがって 今のうちに平常展示物は見ておこう?)の2階の13・17室のこじんまりとした展示室で「特集陳列 坂本龍馬」をやっております  今年は維新から140年目ということで まず鳥羽伏見の戦の瓦版や 砲弾の展示 薩摩藩の軍旗などの 関係資料の展示が一緒にしてありました
まだ 開館から早い時間なのか 無料観覧にかかわらず 人はまばらでした




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                  伝坂本龍馬使用 海獣葡萄鏡  京博蔵

坂本龍馬使用となっているが 実はこれは 必要な時に近江屋の主人2代目井口新助の女房スミから 借りていたものという 伸びた髭でも剃るときに使ったのかもしれません ちなみに龍馬は普通の円鏡よりもこぶりなこの鏡を気に入って使っていたらしい



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                  坂本龍馬所用 三徳 京博蔵 重文
これも 展覧会にはよく出るもの  三徳とは いわゆるポシェット(紙入れ)のようなものです 二つ折れで口が三つあるのでこう呼ばれた 銀糸綴錦織のもので金属部分の細工もなかなかお洒落です ちなみに近江屋で襲われた時に持っていたようです(遺品として後に坂本弥太郎氏へ)この時 龍馬は風邪をひいていたので鼻をかんだかもしれませんね



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                       刀 銘吉行  京博蔵
坂本龍馬佩用の刀とされているもの 龍馬は生涯に何本かの刀を所持していたみられるが これは近江屋で襲われたときに持っていた最後の刀 刺客に襲われた時 刀を抜く隙もなく深手を負いながらも鞘で受け止めた 現物を見る限り普通だが 残念ながら大正2年に火災で焼損じている(この火災で龍馬のピストル2丁が焼失 残念!) ちなみにこの刀を龍馬の兄権平から龍馬に渡してくれと頼まれて 龍馬に渡したのが西郷隆盛だそうです(実際には 西郷の下僕が直接渡しに行ったともいう)



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               坂本龍馬書簡 霧島山登山図  京博蔵  重文
慶応2(1866)年3月に 龍馬と妻おりょうは その年1月に伏見の寺田屋で負傷した傷の養生をかねて 西郷隆盛の手配した薩摩藩船で鹿児島の温泉に行った そのおり 2人は 霧島の高千穂に登った その時のことを 姉の乙女に書き送ったもの その時の様子がユーモアたっぷりに山の絵入りで細かく記されている ちなみにこの時の霧島行きが日本最初の新婚旅行?とされています


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龍馬は 高千穂の頂上にある 天の逆鉾を引き抜いて元に戻している 私も以前龍馬たちが登ったのと同じルートで登ったことがありますが 頂上の天の逆鉾は石ころで固められてとても引き抜ける状態じゃないし(絶対に引き抜いたりしてはだめですよ) 逆鉾の上の部分の形も龍馬の絵と違うような気がしますが 

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                      霧島連峰高千穂峰  天の逆鉾

坂本龍馬の書簡は姉の乙女に書き送ったものも含めて 多数現存する その内容は他の幕末の偉人たちの書簡に比べると きわめて面白い 身内に対して送ったものだからだろうが それにしても 幕末の時代にこれほどユーモアとボキャブラリーの豊富な人物がいたとは驚きです あの有名な「今一度 日本を洗濯致し申し候〜」の書簡の現物も展示してありました 展示会に行く事があれば 最新の龍馬の関係資料と現存する全書簡の内容を解説した本が売っていますので 一度読んで見られることをお薦めします 


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     寒椿と白梅図の掛軸  板倉槐堂 京博蔵 重文
これも 超有名な掛け軸です 板倉槐堂(1822年〜1879年)が龍馬の誕生日の祝いに贈ったもので 襲撃当時 近江屋のその部屋に掛けてあったもの 血飛沫が下のほうに着いています ちなみに 龍馬が襲われたとき この掛け軸を背にしていたといわれています 血飛沫が龍馬のものである可能性が高いですね



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           書画貼交屏風〈近江屋旧蔵・血染屏風〉  京博蔵 重文
これも 有名な屏風です 歴史的事件の証人ということで 重文に指定されています これにも血飛沫が着いていますが この屏風は一体部屋のどこに置いてあったのでしょうか




龍馬の襲撃された近江屋の2階の部屋が高知県立坂本龍馬記念館 で実物大で忠実に再現されていますので  これを見てみましょう

近江屋は 旅籠ではなく醤油問屋です 龍馬が居たのは 2階の奥の部屋でそれほど広くはない
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床の間に寒椿と白梅図の掛軸があり その下に吉行銘の刀 龍馬はそれを背にして 火鉢の前に座っていたという
中岡慎太郎は 火鉢の反対側に居た?

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屏風は部屋への入り口横においてありますね

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本当に 狭い部屋です 大人が4人も居ればいっぱいですね この狭くて暗い中で1867年11月15日 壮絶な暗殺がおこなわれました
襲撃犯は 後に今井信郎(1841〜1919)の証言などから 幕府の京都守護職配下の見廻組ではないかというのが有力です 
黒幕がどうのこうのととりざたされていますが 見廻組だとしたら見廻組の単独犯行だったのではないでしょうか この時期の坂本龍馬はあまりにも無防備で誰に暗殺されてもおかしくなかった たまたま 新撰組じゃなく見廻組だったというわけではないでしょうか・・・ 誰かが 近江屋に坂本が居るとの情報を聞いてきて よし 行こうということでその場の成り行きで・・・・あくまでも私の推測ですが・・ 

京博には 坂本龍馬の紋服なども所蔵されていますが 今回は展示されていませんでした 
私がゆっくりと展示物を見終わるころには 人が大勢に増えていました



大政奉還(10月15日)を見届けて気が緩んだのか 坂本龍馬が暗殺されたのはそれから一ヶ月後のことである 龍馬が心血を注いで願っていた日本の近代が始まるのは龍馬暗殺から 更に 一年後のことであった

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                           夏の鴨川 鷺一羽

                                     坂本龍馬の墓 徹底ガイドへ





龍馬の手紙―坂本龍馬全書簡集・関係文書・詠草 (講談社学術文庫)
講談社
宮地 佐一郎
2003年以降に新に見つかった書簡や初公開の書簡はもちろん収録されていませんが これだけでも十分 坂本龍馬の人となりがわかります ある意味「竜馬がいく」を読むよりいいかも

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