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zoom RSS 北野天満宮 神々の群像 木造鬼神像初公開

<<   作成日時 : 2008/08/02 23:23   >>

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京都北野天満宮で 修復作業が終わった木造鬼神像全13体が初公開されるというので観にいきました
京阪三条から京都市バス10番系統で北野天満宮前まで・・・バスはくねくね京都市内を走りますので 結構時間がかかります のんびりと夏の京都市内をめぐります

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     北野天満宮前の北野商店街  天満宮の毎月25日の縁日のときは賑わいますが今日はひっそり

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                      北野天満宮前 一の鳥居

今の北野天満宮のあたりは その昔 平安京外で下の森といわれ 鬱蒼と木々が繁っていました 時が下り 1603年頃 出雲の阿国と名乗る芸能衆がこの森の中(境内)と鴨川の五条河原に小屋掛けをして「傾奇踊り」を始めたという記録があります 当時 異様な身なりで街を闊歩する者がいて それらを傾奇者と呼んでいました 阿国たちはその傾奇者たちの要素をとりいれた踊りいわゆる「歌舞伎」の創始者となっています 人気者になった阿国は北野社に阿国専用の舞台があったということです 当時の北野社(天満宮)は 秀頼の寄進(1607年)がまだされておらず 今よりかなり小さかったと思われますが 北野の下の森は 秀吉の大茶会や阿国たちの踊りで賑わったのではないでしょうか

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               紙本金地著色阿国歌舞伎図 部分 京都国立博物館蔵  重文
小説や舞台では 秀吉の気を引こうとして五条大橋の下や聚楽第の近くの下の森(北野社)で踊っていたとか しかし 後に江戸城や御所でも歌舞伎を演じたと伝えられている阿国だが 派手で傾奇好みの秀吉が実際に見たという確かな記録はない 阿国が有名になるのは 秀吉の死後のことだろうか・・ 出雲の阿国に関してはわからないことが多い



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さて 北野天満宮の境内へ 毎月25日の「天神さん」の時はこの参道の両脇に屋台や骨董市が開かれます  しかし本日は縁日でも 受験シーズンでもないので静かです


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                  鎮守の森の奥に三の鳥居と楼門が見えてきました


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                      北野天満宮 楼門

大変立派な楼門です 桃山時代の様式ですが 羽柴秀頼の寄進したものではありません 楼門には「文道大祖  風月本主」と書かれた額が架かっています 「文道大祖 風月本主」というのは大江匡衡(952〜1012)の天満宮に奉納した願文の中の言葉ですが いうなれば菅原道真(845〜903)を称える言葉で文道大祖とは 学問の神様 風月本主とは漢詩の仏様とでもいうことか・・・・違うかな?

        「文道大祖  或天下鹽梅補導帝圖 風月本主  或天上日月照曜国土」
                                       「北野天神縁起絵巻」承久本より


毎年6月25日には この楼門に巨大な大茅の輪が置かれ(夏越天神) 厄除け・無病息災のために 輪くぐりが行われます



さて 楼門をくぐって 本殿のほうに行く前に楼門のすぐ横にある 宝物殿へ
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                           北野天満宮 宝物殿
宝物殿に入るのは今回が初めてです 北野天満宮にこれまでに何度もきたことがあるにもかかわらず なぜかここに入いる機会がありませんでした たいていは閉館していたことが多いのですが・・・したがって あの国宝 北野天神縁起をここで観たことはありません 北野天神縁起は基本的には非公開で 限られた時期でしか公開されません普段は精密にデジタル処理した複製画が展示してあります 京都の非公開文化財の特別公開については (財)京都古文化保存協会のHPへ

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紙本着色北野天神縁起絵巻 承久本 藤原信實 1219年 北野天満宮蔵 国宝


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さて 宝物殿のメインの木造鬼神像初公開をみに行きます 目立たないボードにポスターが貼ってあります
宝物殿には 靴を脱いで入ります ほとんど拝観者はいません 入り口の拝観窓口には退屈そうなおじさん2人がいて 時たま女性の拝観者?が来ると出てきて展示物の説明をしていました 私は女性ではありませんが 帰ろうとすると 「豊臣秀頼公の14歳の時の実筆の掛け軸を見ましたか ぜひ見てください」といわれ 気の弱い私はもう一度観にいくはめになりました・・・
とにかく 宝物殿は入り口が開けっ放しで 狭い内部はクーラーが効いているのかいないのか暑くて・・・・


展示物の主なものは 
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                               日本地図鏡
入り口を入ったところに でーんと置いてあるのがこれです ばかでかいものです 実用向きの鏡ではないですね さすが加藤清正が奉納したといわれるものです

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                   絹本著色装  曳馬図絵馬(黒馬) 曽我直庵
羽柴秀頼が奉納したものだそうで もうひとつ(白馬)の絵馬もあります 大きな絵馬ですが おじさんの説明によりますと 天気によって馬の色が変わるといいます 


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                     昌俊弁慶相騎図絵馬  長谷川等伯 重文
宝物殿の奥に行き 階段を下りた地下室のようなところにあります かなり大きな絵馬です 土佐坊昌俊を引っ立てていく弁慶を描いたらしのですが絵具が剥落したりして全体像がはっきりとわかりません 入り口のところで おじさんに「奥に長谷川等伯の絵馬があります 重要文化財です 近ずきすぎるとセンサーが鳴るので注意して下さい」といわれましたが ほんとに 狭くあつぐるしい部屋に置かれてあり すこし手を伸ばせばセンサーにかかりますね


木造鬼神像は日本地図鏡のうしろに3体がガラスケースに入れられて展示してあるのですが 後回しにして先に進みます 残り10体は反対側のガラスケースに並べて展示してあります

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                  写本 日本書紀(兼永本) 鎌倉時代  重文
北野本とも呼ばれている日本書紀の写本です 平安〜鎌倉時代初期に写本されたのは第22〜30巻 それ以外は南北朝〜室町時代の写本 第16巻は江戸後期の写本 第2・14巻は欠巻  全28巻(冊) おじさんによると 展示物は複製ではなく本物だそうです


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                     太刀 銘 國綱(鬼切) 重文
重文の太刀銘恒次  糸巻太刀拵に並んで 展示してあったのが 有名な刀 鬼切です 実物を観るのは今回が初めてです もともと 銘が「安綱」と刻まれていた安の字を國に変えたという 安綱といえば あの「童子切」の作者だし 國綱は御物「鬼丸」の作者 どちらにしても有名な刀工です 鬼切の由来は非常に謎だらけです 伝説によれば 源 満仲が作らせた刀ということだが 刀工は安綱ではないという しかもこのときもう一振り刀を作らせた(鬼丸?または膝丸)から話はややこしくなる やがて この刀で源 頼光の四天王のひとり渡辺綱が一条戻り橋に現れた鬼の腕を切り落とした事から 「鬼切」と呼ばれた

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      現在の一条戻り橋 堀川の改修工事中 ここで渡辺綱は羅城門の鬼の腕を切り落とした

やがて 「鬼切」は「髭切」と名を変えて 源氏重代の宝刀として 「鬼丸」とともに源頼朝に そこからさらに新田義貞に渡ったという(別説で髭切は別物であり 鎌倉幕府滅亡とともに行方不明とも)さらに義貞から氏家重国→斯波高経→出羽最上家→近江最上家→京都の質屋→篭手田安定→最上家→北野天満宮と伝わります これだけの名刀が 信長 秀吉 家康の手に渡らなかったのが奇跡ですね しかし 8代将軍吉宗がどうしても見たいとダダをこねて 3日間江戸城に貸し出されたという 近江から江戸までの道中「鬼切」は厳重に唐櫃に入れて運ばれましたが 噂を聞きつけた人たちが「鬼を切った刀 魔除けの力がある」として唐櫃の下をくぐったといいます しかし本物の鬼切は 盗難にあわないように別の人物がさりげなく自分の刀のようにして腰に佩びて江戸まで運びました

維新後 最上家が事業に失敗して鬼切は借金返済のために京都の質屋に入れられてしまいますが 明治13年 当時の滋賀県令であった篭手田安定(1840〜1899)はこれを憂い 寄付を募って鬼切を請戻し 最上家に返しましたが 源氏重代の宝刀を手放してしまったことに責任を感じてか(最上氏は源氏 本来は足利氏よりも源氏嫡流) この鬼切を北野天満宮に奉納しました このとき 東京から一時 京都に戻った明治天皇がぜひ鬼切を見たいと所望されて北野天満宮で御覧になったということです
ちなみに 鬼丸のほうは 国綱銘として北条氏→新田義貞→足利尊氏(足利将軍家)→織田信長→豊臣秀吉→本阿弥光徳→明治天皇へと伝わり 現在皇室御物になっています もちろん この鬼丸が源 満仲が作らせたものと同じものかどうかはわかりません  ちなみにおじさんによると この鬼切は複製ではなく本物だそうです


さて刀の話はそれくらいにして 木造鬼神像です
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                      木造鬼神像 重文   共同通信社
木造鬼神像は 平成14年の北野天満宮1100年大萬燈祭のおりに 本殿の奥にあった長持ちの中から発見され かなりの傷みがあったので修復されて 今回の初公開ということになりました 
像はそれほど大きくはありません ヒノキで作られて 当時は彩色が施されていました よくみると鬼神ということですが かなりユーモアな顔と姿をしています 武器を持っていた跡がありますが今は残っていません 記録によると 938〜4年頃に平安京の大路小路の辻に置かれた岐神(ちまたのかみ)がこの木造鬼神像であるといいます 岐神とは 早い話が邪鬼が運んで来る災厄を入れさせないための守り神というか鬼神なので 邪鬼には鬼神でもって制するというわけです 本来なら 邪気を封じ込めた木造鬼神像は邪気とともに破壊されるのが普通なのだし 北野社も文安の難(1444年)で ことごとく焼失したのに こうやって残っていたとは・・・ 

                  神々の群像 公開は9月30日まで
                  午前10時〜午後1時(土日祝日 縁日の25日は午前9時〜午後4時)
                  拝観料は一般300円▽中高生250円▽小学生以下150円

                                     つづく    北野天満宮と天神様へ

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