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zoom RSS 西国三十三所 観音霊場の祈りと美   奈博

<<   作成日時 : 2008/08/31 01:06   >>

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奈良の奈博(というのも変だけど・・・)で特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美 」を観に行った スケジュールの都合で奈良の滞在時間1時間30分・・・・ 興福寺門前で食事を済ませて さあ 急げ!

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    「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」 奈良国立博物館 平成20年8月1日(金) 〜9月28日(日)
                            名古屋市博物館 平成20年10月18日(土)〜11月30日(日)


西国三十三所(巡礼)・・・起源については詳しい事はわからない 平安時代の終わり頃からの観音信仰と結びつき
宗派を越えて札所(観音霊場)をめぐる巡礼と発展したらしい 文献の初見は「寺門高僧記」にある園城寺の行尊(1055〜1135)による「観音霊場三十三所巡礼記」 
当初一番札所は長谷寺で 三十三番は三室戸寺であったが 室町時代中頃から勧進聖や御師と呼ばれる宗教者(布教コーデネーターと巡礼インストラクターのような人々)が活躍して 一般庶民にも拡がり伊勢参りや熊野詣とセット(パック?)で行われたりした そのために 札所も一番が伊勢や熊野に近い青岸渡寺に 三十三番が江戸へ帰りやすいように岐阜の華厳寺に代わっていった 巡礼の最盛期はやはり江戸時代にはいってから 
西国三十三所も四国八十八所と同じように専用の巡礼道がありましたが 大都会周辺にあることや近代に入って歩いて回る巡礼者が少なくなったことで 旧巡礼道(巡礼街道)も各地に僅かにしか残っていません




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                  長命寺参詣曼荼羅  1幅 安土桃山時代 近江長命寺蔵

何かこう じっくり観ていると面白いですね 決して上手な絵ではないのですが描かれているところがどういう場所かがよくわかります 描かれているのは31番札所の長命寺です 勧進聖や御師たちがこういうものを持って全国各地で巡礼者を募ったのでしょう 当時の人々がこれを見せられ 巧みな話術で絵解きをされると なんだか西国の寺々を巡りたくなりますよね






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                千手観音坐像 1躯 鎌倉時代 山城清水寺蔵 重文

この千手観音坐像は 京都清水寺(16番札所)の奥の院の秘仏として長い間公開していなかったこともあって一度観たかった仏像です 千手とは千の手のひらにひとつづつ慈眼の眼を持ちその眼で人々の厄難を見つけ 千の慈悲の手でそれを取り除くという また 観音様は三十三の姿に変化して人々の前にあらわれて苦しみから救済するというまことに有難い仏様である そんな観音様を三十三所も巡るのだから・・・・補陀落山(南方楽土)に行けるかも・・・






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                 菩薩半跏像 1躯 奈良時代 龍蓋寺蔵 重文 京博に寄託

西国第7番札所龍蓋寺といってもピンとこない方もおられるようで 「東光山 岡寺(7番札所)」のほうが一般には知られていると思う  その岡寺の本尊が二臂如意輪観世音菩薩坐像 重文 で塑像としては国内最大(高さ4.85m)の大きさだから 初めて観た人はちょっとびっくりするでしょうね その本尊の中に収められていたのがこの銅製菩薩半跏像です 大きさは17cmたらずの小さいものですが 本尊に負けないくらいの存在感があります もともと こちらのほうが本尊ではなかったかといわれています 寺伝では如意輪観音?とされていたらしい 思惟のポーズをとっている観音様は珍しいですね しかも如意輪像で二臂というのもこの時代では例外的だし・・・・弥勒信仰と関係があるようなないような・・・  ちなみに岡寺には寺名になったという 開祖義淵(?〜728)が龍を封じこめた龍蓋池が今も残っています
岡寺蔵の「国宝 木心乾漆義淵僧正坐像」は奈博に寄託されていて 常設展示でいつでも観ることが出来ます





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            銅板法華説相図 1面 飛鳥時代(686年?) 大和長谷寺蔵 国宝  奈博に寄託

長谷寺(8番札所)の創建については詳しい事はわかりません 長谷寺縁起などによると686年に川原寺の道明上人が天武天皇の病気平癒を祈願してこの銅板法華説相図を造り 今の長谷寺境内の西の岡の石室に安置したのが長谷寺の始まりと伝えています(考古学的調査からは創建時期は奈良時代(8世紀)前後と思われます)
この銅板法華説相図は法華経の巻四「見宝塔品」のなかでも特に著名な場面で 地中より三重宝塔が出現し千仏が雲集して釈迦説法を賛嘆するところが現された千仏多宝仏塔板です 今でならCGを使ってスペクタクルシーンを再現するのでしょうが当時の人々の想像力はすごいですね これは 奈博に現在寄託されており 常設展示でいつでも観られます ある意味 長谷寺にとっては本尊より大事なものだと思うのですが・・・






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                    南円堂燈籠火袋羽目 2面  816年 興福寺蔵 国宝

興福寺南円堂(9番札所)の正面にあった燈籠の羽目板の部分です 南円堂の修理が終わったの機に1997年に燈籠は国宝館に移されました(現在の燈籠は新しく造ったもので陳舜臣が撰 今井凌雪の筆)  この燈籠の銘文は 弘法大師空海が撰をされ 平安時代の三筆のひとり橘逸勢(?〜842)の筆になるものでです もともと5面ありましたが 現在残っているのは4面のみ 今回の展示にはそのうちの2面です  興福寺に残っている建物のほとんどが国宝ですが この南円堂だけは何度も火災に遭い 現在のものは1789年の再建です
南円堂がなぜ八角なのか・・・というと観音様のお住まいになる南方楽土の補陀落山が八角の山だからそうです
江戸時代は南円堂への巡礼者が絶えなかったといいます






 
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            紙本彩牋墨書 法華経序品第一 平安時代 近江宝厳寺蔵 国宝 奈博に寄託

う〜残念ながらこの展示物は観ることができませんでした 9月9日〜28日の展示だそうです 奈博に寄託されているのだから 通しで見せてくれたらと思うのだが・・・ 常設展示されていませんので私はまだ 現物を観た事はありません  経典を写経するときに豪華な装飾されたものにしたのを「装飾経」と呼び 豪華にすればするほど功徳があるとされています 平安時代には法華経が流行します あの平家納経の法華経30巻は有名ですね 宝厳寺の法華経序品はそういった「装飾経」のはしりのようなものです  これと もともとは1巻を構成したとおもわれるもの(法華経方便品第二 国宝)が 切り離された状態で東博に所蔵されています  竹生島の宝厳寺に行っても見ることが出来ませんのでこれから奈博に行かれる方はじっくりと観てください


まだ 観るべきものはたくさんありますが まずは取り急ぎこれまで・・・

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