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zoom RSS 北野天満宮と天神様

<<   作成日時 : 2008/08/08 01:21   >>

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さて 北野天満宮宝物殿を出て 本殿の方に向かいます もう一度 楼門の前に戻り さらに左側に取り付いた参道にむかいます・・・・つまり 楼門から 真っ直ぐに参道が中門に続いているのでなく 絵馬所の前まで行きそこから参道に向かいます

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                  北野天満宮 境内案内板


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  北野天満宮社頭図 1839年 北野天満宮蔵  この古図でも参道がぐにゃりと曲がっていますね


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            北野天満宮 絵馬所(堂)  1700年 京都市指定・登録文化財
北野社の絵馬所(堂)は由緒によれば羽柴秀頼が1608年に建立したという 絵馬堂としては我が国では最古の絵馬堂のひとつだが 現在の絵馬堂は1700年に建て直された 創建当初は現位置より北に建ち 屋根も木賊葺であったが 現在は桟瓦葺である それでも京都に現存する絵馬堂のなかでは最も古い さすが学問の神様だけにこの絵馬所には算額等の絵馬が多数奉納されています 絵馬はその昔 神に捧げる奉納馬が起源とか・・誰でも馬など簡単に奉納出来ないのでその代用にされたのが絵馬だとか・・平安時代には色紙に馬の絵を描いたものが流行していたようで 北野社には奉納された色紙の絵馬が残っているという
鎌倉時代以降は板絵馬が主流になり 次第に庶民の間にも広がっていく そして戦国〜桃山時代には豪奢な時代の風潮を反映して 戦国・豊臣の大名たちが競って大型の豪華な絵馬を各地の有名社に奉納するようになる そこで絵馬を奉納展示するために専用の絵馬堂が作られるようになったという 



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北野天満宮に来た時から 気にはなっていたのですが つーんとする梅の匂いが 本殿に向かう参道脇から強烈にただよいます 北野白梅町周辺に住んでいる知人の話だと 北野天満宮には50種 約2000本の白梅紅梅があるそうです 今の時期 採れた梅を天日干しているわけですね 私は梅干が大好きなので気にはなりませんが 苦手な人には・・・



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                   さて 参道を歩いて 中門(三光門)へ



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                   北野天満宮 拝殿 1607年 国宝
社殿の前にも梅がところ狭しと干してあります さすが梅の花を愛でた道真を祀るだけのことはあります



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                        回廊
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                        拝殿  


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                    北野天満宮 本殿 1607年 国宝
北野天満宮の社殿では この拝殿と本殿を含む建物が国宝に指定されています 拝殿と本殿は八棟造という建築で拝殿と本殿は石の間を挟んで建てられている この建て方は日光東照宮も同じで そこから八棟造は別称権現造りと呼ばれるようになった           

北野社(天満宮)・・・・創建時期などはっきりしたことはわからない 北野は平安京の北の野という意味で 内野 北野 平野 点野 紫野 蓮台野 上野という平安京の北に広がる京都七野のひとつ 北野の地には古くから秦氏などの渡来人が住んでいた 北野天満宮と渡来系秦氏とは直接関係ないでしょうと思うあなた・・・私は日本の古代史のほとんどを渡来人たちが作ったと考えているので・・・・・

菅原道真が903年 失意のうちに大宰府で亡くなった後 京の都 とりわけ内裏で落雷などがあり これが道真の祟りだとして恐れ慄き 亡くなってから20年後・・・20年ですよ・・・に道真を名誉回復したわけですが どうして 菅原道真なのでしょうね・・・有名無名で失意のうちに亡くなった者は道真以外にもいたわけだし 疫病や落雷は当時日常茶飯事だった どうしても道真を怨霊にしたかったのは誰でしょう・・・
そして その頃 右京七条に住む多治比文子という女に「われを北野の右近の馬場に祀れ」と道真のお告げがあったという しかし 文子の家は貧しく  同じようなお告げを聞いた江比良宮禰宜 神良種の子の太郎丸と連れ立って北野朝日寺の僧 最鎮に相談して とりあえず自分の家に道真の御霊を祀る祠を建てたのが北野天満宮の起源という
現在も文子の祠の跡は明治に北野に移された後も「天神信仰発祥の地」として 大正時代に建てられた文子天満宮(下京区間之町通花屋町下る天神町)がある


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             明治6年に北野天満宮境内に移された文子天満宮

さて多治比文子とは何者でしょうね 多治比といえば 秦氏と関係があるのが 多治比真人三宅麻呂ですね 
秩父で銅が発見されて和銅元年(708年)に和同開珎が鋳造された時に催鋳銭司に任命された人です しかもこの銅山発見には 秦氏を中心にした渡来系の人々が関係しているという  もちろん この多治比氏は 菅原氏と同じ反藤原氏の氏族です
道真はどうして 北野の地に天神として祀られたのでしょうか・・ 天神=雷様なのですが みなさん 雷が鳴ると「くわばら くわばら」と言いますね・・・言わない?・・・昔の人は言ったのですがこれは 雷除けのまじないの意味があります 簡単に言うと 「くわばら」とは「桑の原」という意味です 中国の扶桑神話では 東の果ての海上に2本の桑の木(扶桑)があり 太陽はこの木を支えに昇ってくるという しかし 雷様は雨雲とともに現れますね 晴天をもたらす太陽とは対極にあるので 雷様はこの桑の木(扶桑)が苦手なのです そこで雷が鳴ると「桑の原」つまりくわばらと唱えたわけですが こんなことを言い出したのは誰でしょう・・・・

秦氏の中心的生業は養蚕業です 蚕は食事として桑の葉を食べます 当時 北野の地は桑畑だったようです そこに あの天下の藤原氏でさえ降参した道真の怨霊を天神(雷様)として封じ込めようとした?のは誰でしょう・・・

渡来系氏族の実力者秦氏をめぐって 藤原氏と反藤原氏の人々との確執が見えてきますね・・・・そういえば 秦氏は蘇我氏と物部氏の争いの時も一役買って蘇我氏(聖徳太子)を勝利に導いていますね・・・・

追記 北野天満宮が鎮座する以前にあったとされる 北野社境内の地主神社の祭神は 火雷神 秦氏が祀った上    賀茂神社の祭神の賀茂別雷命の父親です 本来これを 北野の天神様と呼んでいたという


                              つづく 北野界隈 お土居〜千本釈迦堂へ

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北野天満宮の写真を、学校のレポートにお借りさせて頂きます。

2011/01/09 23:29

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