なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS 京都北野界隈 御土居〜千本釈迦堂へ

<<   作成日時 : 2008/08/11 00:02   >>

トラックバック 0 / コメント 0

引き続き 北野社をうろうろしています 北野社と言えば御土居ですね・・・そうでもない? 

画像

                     天満宮境内に残る御土居の説明板
御土居は いうまでもなく 土木工事の好きな羽柴秀吉(1537?〜1598年)が 1591年ごろから造り始めた堀をともなう土塁です 

画像Wikipedia

東は寺町東 西は紙屋川 北は鷹峯・上賀茂 南は九条大路 総延長約22.5km 場所によって変わるが平均して土塁は高さ3m 基底部の幅9m 堀幅は約4〜18m 土塁の上には竹が植えられていたという 
何のために造られたのかわかりませんが この時期 豪華な聚楽第なども一緒に造っており天下人秀吉流のパフォーマンスだったのでしょうか  そのためか秀吉死後すぐに 御土居は邪魔になりはじめ 京に住む人々らによって徐々に壊されていきます


画像

                      聚楽第跡碑  上京区中立売通裏門西入
聚楽第も豪華に造ったけれど 関白秀次に譲った後 邪魔になった秀次を切腹させると完全にぶっ壊しています 御土居と聚楽第の建築・・・秀吉にどんな考えがあったのでしょうか・・・
御土居と聚楽第については・・・ 月刊京都史跡散策会 第7号 第8号に詳しい解説が載っています


北野天満宮境内に残っている 御土居は今はどうなっているかというと・・・・
画像

御土居の上は散策路になっています 写真の左側は北野社の境内を斜めに横切る天神川(紙屋川)が流れており かなり川底が深く谷のようになっています 鎮守の森の木々が繁り御土居の上はちょっとした山歩きの雰囲気です


画像
 
                     北野天満宮 東門 1607年 重文
さて 境内に戻り 東門から出ます  ここから 斜めに今出川通に通じている上七軒に向かいます
この東門も秀頼寄進です 




画像

                          上七軒通

画像

                          上七軒碑                             
      
上七軒の成立ははっきりとはわかりません 由緒や古記録伝などによると 1444年に焼失した北野社を足利10代将軍義植が造営した時に余った建材で東門前に七軒の茶店を造り参詣人の休憩所にしたのが始まりという・・・
その後 1587年に秀吉が北野社松原で大茶会を催した時 七軒茶屋を秀吉の休憩所としました この時 名物の御手洗団子を秀吉に献上したのですが ひとくち食べた秀吉は美味としていたく喜び以後 御手洗団子の独占販売と山城一国の法会茶屋株の独占を許したという・・・・・





画像

                          大報恩寺   
上七軒からバスに乗って帰るのですが 少し時間があるので大報恩寺に寄り道します
民家の並ぶ小路を行くと 挟まれるようにして大報恩寺への参道が・・・

画像

                  参道を行くと 小さな山門が・・・・

画像

                   大報恩寺 本堂(千本釈迦堂)  1227年 国宝
境内は広く 本堂がその流麗な姿を見せています 以外と思われるかもしれませんが この本堂が京都市内では一番古い寺院建築です (ちなみに 京都で一番古い建造物は醍醐寺五重塔 951年)
応仁〜文明の乱の時 山名宗全を総大将とする西軍の陣が近くにあったのですが 奇跡的に戦火に生き残り その後の江戸時代の度重なる大火にも焼失を免れてきました 

大報恩寺・・・創建に関しては詳しくわかりません 縁起によると求法上人義空によって1227年に開創された寺とされています 本尊は釈迦如来像  大報恩寺といえば本堂を建てた時にまつわるおかめ(阿亀)伝説が有名ですね 

大報恩寺造営の棟梁の長井飛騨守高次がなぜか 本堂の柱の寸法を一本誤って切ってしまった 今にも腹を切ろうとする高次に妻のおかめがいい知恵を授ける それによって見事に本堂を落成させることができたが おかめは自分の入れ知恵で本堂が完成したというのがバレたら 夫(棟梁)の恥になると思い 上棟式の前日に自殺してしまったという どうにも納得がいかない話がおかめ伝説です


画像

                          おかめ像と供養塔
この話は京の大工達に受け継がれ 江戸時代の中頃に三条の大工の池永勘兵衛が本堂の脇に「おかめ供養塔」を建立します この頃から京都では棟上げの時に「おかめ御幣」を飾るようになりました

大報恩寺は創建当時から残っているためか 重文級の仏像等文化財が多く残されています これらの文化財は霊宝館で拝観できます
大報恩寺の本堂の別称「千本釈迦堂」の千本とはどういう意味かよく分かりませんが 平安京の朱雀大路の跡が千本通 その千本通の北にある釈迦如来を安置するお堂ということです

昼下がりの境内は 蝉を取る子供たちだけで 他に誰もいません



画像

                境内から山門を出て 上七軒のバス停まで 参道を歩きます

                                                  おわり

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
京都北野界隈 御土居〜千本釈迦堂へ なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる