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平等院の南門から出て 宇治川の岸辺の散策道通称「あじろぎの道」を歩きます あじろぎ(網代木)・・・琵琶湖で生まれた鮎の稚魚を獲る鎌倉時代まで行われていた宇治川の伝統的な漁法で網代(竹や木で編んだ魚を獲るための仕掛け)を繋ぎとめた杭のことです 古くは秋になるとこの漁を見物に来る人たちがいたとか・・・源氏物語「橋姫」にも網代見物のことが書かれていますね 宇治橋がよく流されるのは宇治川での殺生が原因というわけで 1286年叡尊が浮島に十三重石塔を建てて殺生を禁じました それ以後網代漁はなくなったという 「朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えに あらはれわたる瀬々の網代木」 小倉百 一首 権中納言定頼 あじろぎの道 あじろぎの道から橘橋を渡り 宇治川の中洲浮島(橘島)へ 橘島にある「宇治川の先陣争い」の碑 有名な梶原源太景季と佐々木四郎高綱の先陣争いです 1184年義仲追討の命を頼朝から受けた義経率いる2万騎が宇治川に布陣 対する義仲軍はわずか数百騎 宇治橋を落とし 死に物狂いで京への進軍を阻止しようとする義仲四天王根井行親と楯親忠は わすかでも宇治川を渡ろうとする義経軍に矢を浴びせかける 先陣駆けを躊躇する武将たちを尻目に若い高綱(25歳)と景季(22歳)が飛び出します 2人は日頃からライバル同士 両者が宇治川に乗り入れた時は、景季のほうが一歩先んじていました それに焦った高綱は 景季に「鞍の腹帯が緩んでいるぞ」と言って馬(磨墨)の足を止めさせ その間に先陣をものにしようとします 今度は景季が高綱に「川の中に網代があるぞ気をつけなされ」と言ったが高綱は「心得たり」と言うと馬(生咬)の足に絡みつく網を巧みに切り先陣をものにします 実際の宇治川の先陣争いがあったのは まだ宇治川の水流が激しい浮島あたりではなく もうすこし下流の槙島あたりではないかと言われています 浮島(橘島)から朝霧橋を渡り対岸へ 朝霧橋から宇治川上流を眺める 朝霧橋を渡ると目の前が宇治神社です その前を通る道を上流の方へ歩きます しばらくいくと 浮島(塔ノ島)にある十三重石塔が見えます 浮島十三重の石塔・・・1286年に宇治橋の架け替えとともに西大寺の叡尊により建立された その後何度も洪水で倒壊を繰り返しますがとうとう1756年の洪水で倒壊したまま川底に埋没してしまいました 1908年に発掘されて現在のように修復再建されました 現存する石造多重塔(檐塔)の中では高さが約16mあり国内最大級のもの 重文 石塔は倒壊するたびに石材が流されて行方不明になる部分があったりしました 藤森神社の境内の手水鉢の台石はこの十三重石塔の一部だそうです 一説には石川五右衛門が盗んできたものとか・・・ 槇ノ尾山 歩きながら上流の天ヶ瀬ダムを目指します 対岸には面白い形の山が・・・ 天ヶ瀬吊り橋 しばらく行くと吊り橋があります これを渡り対岸の道をダムの方にいくのですが すこし寄り道して宇治川の川岸に降りて白虹橋まで行きます 白虹橋から天ヶ瀬ダム 白虹橋からは天ヶ瀬ダムが間近に見えます 写真では伝わらないかも知れませんが 日常では観る事が少ない巨大建造物のスケールの大きさにしばし酔います つづく 天ヶ瀬ダム〜志津川へ その5へ |
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