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滋賀県東近江市野村町の金貝遺跡で柱を直接地面に建てる掘っ立て柱様式の神社?の建物跡が見つかった 遺構は幅約6m奥行きが約7mあり 正面に柱が4本並ぶ「三間社流(ながれ)造(づくり」と呼ばれる形式だった 階段を支える柱の穴も見つかっており 高床式とみられる 滋賀県文化財保護協会は「神社建築の起源を知る上で貴重な発見」としている (1日付) 金貝遺跡 滋賀県文化財保護協会 なるだけむずかしいことを述べないのがこのブログの身上なのでここは簡単に・・・ 神社建築(本殿)の流れはは大きく分けてふたつあって・・ ひとつは 御柱(心の御柱)があり 柱が地面に直接立っている掘立形式のもの もうひとつは パレットのように木組みやあるいは礎石で台座をつくり その上に柱を建てた形式のもの 前者は 出雲大社(杵築)・熊野大社などの大社造と伊勢神宮・熱田神宮などの神明造に受け継がれ 後者は 上賀茂神社などの流造と春日大社などの春日造に受け継がれています それ以外にも色々細かいことがあるのだけれど ここは省きます さらに詳しく知りたい人は→http://www.genbu.net/ どちらの建築様式がより古いのかというと よくわかりません 心情的には掘立て形式かと思うのですが 御柱というのがどうも気になります・・古事記や書紀成立以前には遡れないような・・・とすると神座を移動出来る台座形式か・・・ で 今度見つかった金貝遺跡の建物遺構ですが 流造(三間社)のような柱跡にもかかわらず 掘立て柱の遺構になっているので大騒ぎ?しているわけです 遺構は平安時代前期?頃らしい これまで流造で現存する最古の建築は宇治上神社本殿(平安時代後期)です 「三間社流れ造り」では 神谷神社本殿(1219年)です 神谷神社本殿 1219年 香川県坂出市 国宝 流造でありながら掘立柱であったことで これまでの学説?が覆されるとか・・・しかし 昔の地方のことだし そこに神社が鎮座していたという証拠(建物の性格が不明)もないし・・・村人?たちが一応 三間社流れで建てるけど 資金もないし じゃまくさいので柱は掘立てでいこうとかなんとかで・・・・あくまでも私の勝手な想像ですが・・・ 注・・広島大学大学院の三浦正幸教授(日本建築史)は「2系統が別々に発展したと考えられていた神社建築史を根底から崩す大発見」と評価 「屋根で覆われていない正面の階段が雨で傷みやすく 地面に直接埋めた掘立柱も腐りやすいといった神明造の欠点を 段階的に改良することで三間社流造に発展していったという想定が可能になった」と話しているとのこと・・これが常識的な見解でしょう 掘立て形式の神社はあまり建物が長く持ちません 伊勢神宮のように20年ごとに神宮式年遷宮をして本殿を建て替えるのは特別としても 建築形式にかかわらず神社建築物は 神が居ます所として 新しく建物を寄進したり 定期的に建て替えることが多く寺院のように古い建築物が残っていないですね ちなみに 日本の神社の7割以上が流造の本殿だそうです わかりやすいし 建築がきれいで参拝しやすいからね |
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