奈良教育大学の構内で奈良時代(8世紀ごろ)の新薬師寺の金堂とみられる大型の建物の基壇(土台)跡(東西54m 南北27m)が見つかった 興福寺の中金堂より大きく 現東大寺大仏殿に匹敵するという (23日付) 新薬師寺 金堂跡とみられる遺構 奈良教育大学 発見場所は 現在の新薬師寺の西約150m 柱を立てる礎石を支えるために敷き詰めた直径50cm前後の石がまとまって4か所で出土しおり 柱の間隔は約4.5m さらに南側で建物の基壇を飾る凝灰岩の板石(長さ約1m 幅約45cm 厚さ約20cm)が 断続的に東西1列に並んでいるのも見つかり 基壇の南東角も確認され 柱の間隔や地形などから建物の規模を推定したという 一緒に見つかっている土器や瓦から遺構は8世紀半ばのものとわかった 東大寺山堺四至図 江戸時代模写[現物は正倉院中倉) 奈博蔵 正倉院宝物の絵図「東大寺山堺四至図」に 「新薬師寺堂」が描かれており 位置関係から創建時の新薬師寺金堂と判断したという (左下のところに載っていますね) 新薬師寺=東大寺の寺誌「東大寺要録」(12世紀初め)によると 747年の創建とされるが詳しい事はわからない 金堂は「七仏薬師堂」とも呼ばれ 7体の薬師仏像が安置されていたと記されている これまで創建時の金堂や塔の遺構は見つかっておらず 伽藍配置や位置などは不明だった 西の京の薬師寺とは別の寺院 |
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