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zoom RSS 中華帝国清朝の第11代皇帝 光緒帝は毒殺だった?

<<   作成日時 : 2008/11/05 04:07   >>

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中華帝国清朝の第11代皇帝 徳宗光緒帝(1871〜1908)の死因を調べていた 「清光緒帝死因」調査グループ(中央電視台 清西陵管理処 中国原子力科学研究院 北京市公安局法医学検査鑑定センター)が 「光緒帝の死因は急性の胃腸性ヒ素中毒により死亡した」と発表した これまで光緒帝の死因については 病死説と毒殺説とがあり はっきりとしたことはわからなかった (3日付)


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                              徳宗光緒帝  

調査グループは光緒帝の清西陵発掘調査時の遺髪 衣服などを2003年から調査しており 今回 更に詳しく調べた結果 致死量をはるかに上回る猛毒の三酸化砒素を検出したという また 毒の残留状況や文献記録などから 慢性中毒ではないとの結論を出した

ということで 毒殺説が有力になってきましたね  で 誰が毒を盛ったのか?

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                             袁世凱 中華民国大総統 

最有力候補[殺人教唆?)の1人は この袁世凱(1859〜1916)です 清朝に仕えていた人ですが ほとんど自前ともいえる軍隊を持ち 辛亥革命の後 皇帝にまでなろうとしたおじさんです ですから 当時から不人気で いわば仇役です この人なら いろいろと自立して 政治を立て直そうする光緒帝が目障りだったので 毒殺してもおかしくない?といわれています 仕方ないですね そう思われても しかし 毒殺したかどうかは別として この人の事跡を詳しくたどると 野望がなかったとはいえませんが 前半はかなり頑張っています 辛亥革命後の後半は野望むき出しで 評価を落としましたね


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                              西太后(慈禧太后)

そして もう1人の有力候補が西太后(1835〜1908)です 私の個人的意見としては 毒殺ならば このおばさんが怪しいと思っています・・・特に証拠はないんですが・・・雰囲気で・・・
西太后はいうまでもなく 清朝第10代皇帝 文宗咸豊帝の側室 満州旗人エホナラ氏の出身で 16歳で宮中に入ったという 儒教の古典や歴史を一通り学んでおり 教養と才覚があり しかも 世継の男子を産んだこともあり しだいに 宮中で実力者になっていきます 誇張やフィクションがあるものの そこのところをものすごく怖いおばさんとして描いた映画(「西太后」1984年 中・香合作 東宝東和 )がありましたね 

実際に西太后は 自分と一緒に「垂簾政治」を行ってきた東太后(1837〜1881)を毒殺?したともいわれています 
光緒帝が19歳になると西太后は表向き政権を返還し 自分は隠居します  形だけ政権を返還された光緒帝は国政の改革のために情熱を燃やし 新制度を次々に出しますが そんなことばかりやると西太后おばさんと確執が生まれるのは当然の成り行きで 血気に逸る光緒帝は西太后を逮捕 監禁しようとしますが 逆に密告され 北京の中南海瀛台に幽閉されてしまいます 
もともと体の丈夫じゃない光緒帝は窓も門もレンガで封鎖された部屋で38歳で死にます しかもその翌日 西太后も病死するんですね このために当時から 自分の死が迫った西太后が光緒帝より長生きするために毒殺したと噂が流れました

20世紀初頭の中国はもうとんでもない状態になっていましたから 紫禁城の奥で何が行われていたのか・・・・




そういえば 今年の7月に中国の北京で開かれた 「中国北京国際美術双年展」の記事に面白いものがありました

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                          「慈禧(西太后)」のヌード像展示物  中国新聞社電 
   
若き日の西太后をヌード表現したもので 記事によると「慈禧(西太后)」のヌード像の腰の部分に白い布がかぶせられたことで 波紋が広がっている・・・として 作者の李象群氏によると自らの歴史観を表現するために 「半裸」の方式を採用したのだけれど 見学者から「露骨すぎる」という苦情があったため 主催者が腰の部分を白い「遮羞布(恥部を遮る布)」で覆ったという 
この措置に一方では「芸術を損ねる」として「美術展という特殊な空間での展示 路上でも商店内でもない 慣れない人は 行かなければよい」と論じて 主催者を批判 もう一方では 「作品は歴史観をゆがめるもので 公共の場所に置いて大衆の目を汚すべきではない」として作品批判している・・・・・ どっちでもいいけど 西太后が生きていたら毒殺されたり 手足を切り落とされてかめ壷の中に入れられますよ・・・・(怖)


北京の55日
日本クラウン
1994-05-21
清朝末期の義和団の乱を描いた作品 西太后も出てきます 全てが考証どうりに描かれていませんが 当時の中国の置かれていた状況がある程度わかります 映画もそうですが 当時も連合国のご都合主義で終わってしまいますね

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孫文 4/5 〜辛亥への道
上書の中で康有為は、「職(わたし)は誠に煤山の前事を見るに忍びない。」という表現を使っている。「煤山」とは石炭の山であり、紫禁城の後ろにある景山のことである。元代に籠城に備えて石炭の山を築き、そのうえに土をかぶせ、すでに草木が生えていた。明の最期の皇帝崇禎帝は、景山で自殺して明朝は亡びた。「煤山の前事」とは亡国のことである。これは下手をすると不経済とされるかもしれない。「亡国」を「煤山の前事」と言いかえ、辛うじて弾劾を免れたのである。 景山、紫禁城から見た見た。 中国、もとい日本含むアジア文化圏... ...続きを見る
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