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zoom RSS NHK「天地人」を観る 直江兼続のこと

<<   作成日時 : 2009/01/19 01:12   >>

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4日放送のNHK大河ドラマ「天地人」の初回の平均視聴率が24.7%の高視聴率をあげたことが5日 ビデオリサーチの調べ(関東地区)で分かった 過去5年の大河では最高のスタートとなった  (5日付)

前回の大河ドラマ「篤姫」はとうとう一度も観なかった・・というかTVを観ないけど・・・ 今回の「天地人」は たまたま家人が第1回を録画して置いたものを 気の迷いからか何気なく観てしまい・・・・ぶったまげました  


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冒頭 ブッキーこと妻夫木聡演じる直江兼続(1560〜1919)が 主君景勝とともに大坂城で秀吉に拝謁する場面でいきなり 勘気を買い笹野高史演ずる貧相な秀吉から真剣を抜かれてしまいます それも 意味不明な南蛮人などがいる野外で・・・しかも2人とも正座しています!!・・・先の関東管領上杉家120万石ですよ・・これじゃ 罪人じゃないですか!?  このあとで 景勝と兼続が2人だけで 衣服も改めもせず 連れだって駄弁りながら ぶらぶらと大坂城の石段を降りて出て行く場面になり 私は唖然となりました・・・まさに 得意先の大企業に営業にいった帰りの上司と部下のサラリーマンじゃないですか・・・・・

この 秀吉との会見は1586年6月14日の時のことだとおもいますが(原作を読んでいないのでわかりません) 恐るべし謙信の上杉軍団をやっと景勝の代で傘下に入れた秀吉ですが まだこの段階では 九州島津と関東後北条征伐が残っています だから上杉との会見に対して天下人の威信をかけて盛大にこれを演出します 景勝たちも直接大坂には入らず 一旦7日に京の本国寺に泊まります(表向きは綬位の朝廷への挨拶を優先) お互い 充分に準備をして 大坂城本丸表御殿?での会見に臨んだとおもわれます  会見後 16日に秀吉は景勝を茶の湯に招待します 同じ日には利休が 兼続らを茶の湯に招待します 茶の湯に招待されるというのは当時 「もう お互い 友達だもんね」ということです しかも 秀吉は朝廷を通して 21日景勝を従四位下左近衛権少将に任じます(兼続は従五位下) もちろん 上杉が秀吉傘下に下るのは 石田三成らの地道な兼続らとの下交渉があったからですが・・・・

ここで 直江兼続のエピソードを

兼続が主君景勝の代理として大坂城に上った時 上杉の隣国の伊達政宗が同席の諸大名に 「めずらしいものを手に入れましたので」 と天正大判を回覧しました 兼続のところに来ると兼続は 大判を素手ではなく扇子で受け撥ねるようにして表裏を見ました 政宗は 直江が陪臣であるために遠慮していると思い 「山城(守)手にとって見るも苦しゅうないぞ」といったところ 兼続は 「冗談召さるな 不肖ながら兼続の右手は戦場にあっては先代・謙信公の代よりの采配を預かるもの 左様に不浄なものを触れるわけには参りません」と 政宗の膝元へ投げて返したという

後年 江戸城内で政宗とすれ違った時のこと 兼続は政宗とすれ違っても知らぬ顔で会釈をしなかった 政宗が 「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」 と咎めると 「これはご無礼いたしました これまで兼続は中納言様(政宗)とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ後姿しか拝見した事がなく お顔を存じ上げませんでした」  と慇懃に答えたそうです(後姿というのは、戦場で負けて逃げる姿)

後に作られた話だと思われますが 1600年 関ヶ原時 兼続は越後で 伊達・最上との戦で孜々奮戦の働きをします 隣国同士でライバル同士でもあった上杉と伊達の関係をうかがわせるものです


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          「金小札浅葱糸威二枚胴具足」 伝直江兼続所用  上杉神社蔵             

上杉神社に伝わる直江兼続所用の甲冑は 兜は六十二間筋兜 古式な錣の内側の日根野錣が取り付けられています これは 謙信や景勝所用の甲冑にも見られる上杉家独自の様式です
前立ての「愛」の一字」は「愛染明王」や「愛宕権現」への信仰によるものか または 「愛民精神」に基づいたもの(ドラマはその設定)だと見る向きもあります が 兼続の謙信への陶酔ぶりからみると謙信が「毘沙門天」なら兼続は「愛染明王」または「愛宕権現」というほうがしっくりきますね 「愛民精神」というのは 後に兼続を慕う人々によってつくられたものでしょう


直江兼続の人柄を伝えるものに有名な「直江状」があります 残念ながら現物は存在せず 後世何度も書き直され付け加えられたものが残っています  「直江状」は1600年(慶長5)に兼続が 家康の家臣 西笑承兌に送った書簡で この年 家康は景勝に何度か上洛を促しますが 上杉ではこれを無視します 秀吉が全国の大名に上洛をさせ 服従させたのと同じく この上洛は上杉家が徳川家に服従することを意味します 業を煮やした家康は 兼続の知己である西笑承兌に最後通告といえる上洛勧告を書かせます その最後通告に対する兼続の返書が 世にいう 「直江状」 です 家康の理不尽な要求や言いがかりに 兼続は景勝の了解を得て 至極真っ当な返事を書きますが これが 家康を怒らせ 上杉征伐を起させます  家康が上杉と陣を構える前に三成が挙兵してしまい 関ヶ原の戦になります  結果からみると 家康のシナリオ通りにことが運んでいるようですが もし 三成の挙兵が予定どうりで 家康が上杉と陣を構えていたら・・・・兼続が夢見ていた上杉家の天下統一もありえたかも・・・・


兼続が越後の戦場で9月15日の関ヶ原の結果を聞くのは 10月1日 戦が終わって15日後のことであった

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