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zoom RSS 箸墓古墳の謎 卑弥呼の墓ってホント?

<<   作成日時 : 2009/06/07 04:37   >>

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奈良県の桜井市にある箸墓古墳・箸中山古墳(一応前方後円墳 全長約280m)で 古墳の周囲から出土した土器(布留0式)の放射性炭素年代測定分析の結果ですね 箸墓古墳は240〜260年頃に造られたんだよ との研究成果を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究チームが31日に早稲田大学で開かれた日本考古学協会で発表した  (1日付)

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                      箸中山古墳    桜井市教育委員会

いや〜 頑張ってますね 歴史民俗博物館の方たち 直接関係ないとおもうんですが 以前 東博に寄託されていた例の「漢委奴国王」の国宝金印を民博が開館時に譲り受けて 常設展示の目玉にする予定だったのに 「あれは福岡の宝ばい 返してもらうたい」とかで 福岡市博物館に戻ったという経緯があり ここは くやしさを晴らすべく「親魏倭王」の金印でも見つけようとしてるんですかね? そんなことないか・・・・

さて 「放射性炭素年代測定」だけど 土器は炭素で出来てないので 土器の表面に付着した炭化物を測定したわけです 発掘状況から土器は 箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ 築造時期に近いとしている しかも 研究グループの春成秀爾同館名誉教授(考古学)は「卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなった」と述べている この人は 邪馬台国大和説支持者なのでしょうか?


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                          箸墓古墳墳形図  宮内庁      

箸墓古墳は 桜井市の北 平野部に造られた巨大古墳です この古墳の周りにも ほぼ同時期に造られた大小の古墳が点在しています 特徴的なのは 巨大前方後円墳箸墓古墳を取り囲むように 集合遺跡(纒向遺跡)があり これは後の古墳時代の住居地と墓域がわかれた前方後円墳(平野部)にはあまりみられない 
日本書紀の記述から 宮内庁は箸墓を「倭迹迹日百襲姫命」の墓と比定しているわけだけど この箸墓を邪馬台国大和説の大方の人は卑弥呼の墓だとしているわけですね  しかし 古墳内に立ち入りが出来ない(もちろん発掘も)ので そういうことも含めて まだまだ 箸墓古墳には謎が残っています

まずは 築造段階から前方後円墳として造られたのか・・・ これは古墳の葺石が後円部で見つかっているが 前方部にない 前方部と後円部のつながりが不自然(後円部の段丘が前方部の中に埋もれている) そこで 最初に円墳を造ったのだが 後に前方部を造りたして 前方後円墳にしてから 周濠を造った・・・・んでしょうか? 


三輪山の麓 つまり 今の纒向の里には 当然ながら特異な形している三輪山をご神体とする神奈備信仰をする人々がいました これはかなり古くから 日本の土着信仰としてあった自然崇拝(農耕の始まり以前から つまり縄文時代まで遡れる)と関連しています この神々?は後に大和朝廷によって 整理され 「大物主」と姿を変えます そして 代々この神々に仕えていた者(権威者)は男子ではなかったかと思われます  後に中国や朝鮮の影響を受けた太陽崇拝ですが 大陽は 雲に隠れたり 旱(ひでり)になったりで 気まぐれな女性的な神として 日本ではもとは自然崇拝の中のひとつの神として組み込まれていたのです ここはあくまでも「大物主」がギリシャ神話でいうところのゼウスであります

箸墓は 平野部に造られていますが もともと なにもない場所に土を盛り上げて造ったのでしょうか? あるいは その場所に 丘のようなものがあって それをもとにして土を盛り付けてたのでしょうか?


権威者は 統治を行うにつき 三輪山の神々?つまり「大物主」の意見を聞きます この時 権威者の一族の中から神が宿る人(人の口から神の意見を聞く)が登場します これは女子です シャーマンの能力?を持った女子です つまり この男女2人が ペアにならないと 何も出来ない(生まれない) この形態も 後に大和朝廷によって イザナギ・イザナミ アマテラス・スサノウなどに姿をかえます  大倭大学名誉教授 物草太一郎 論文「三輪信仰と大和朝廷」より抜粋 

もともと 円墳かあるいは 帆立型の古墳を造っていたのだが 何かの事情で 巨大な前方後円墳に造りかえた?
制作年代の異なる?複数の土器や木製具が出土してるのも謎ですね 考古学者がいうところの 「弥生時代の墳丘墓が飛躍的に巨大化したものであり 弥生時代の墳丘墓に続くものであると考えられている」の「飛躍的に巨大化」した理由はなんですか? 本当に「墳丘墓に続くもの」ですかね? う〜む やはり 箸墓古墳の被葬者はこれまでの首長?より特別な人だったのですかね 私は 邪馬台国 九州説とか大和説とかどちらでもないというか どうでもいいのです・・けど・・・ 箸墓古墳を発掘させてくれ〜


古代日本のルーツは三輪山一体を治めていた 三輪(大神 オオヤマト)氏のクニ「ヤマト」であった 当時 北九州の筑紫 南九州の日向 山陰の出雲 山陽の吉備には 渡来系やら土着系の集団がそれぞれ その地方のクニを治めていた もちろん 三輪山を治める ヤマトの三輪氏が一番大きな勢力であり しかも三輪氏は女系氏族で代々 「日御子」を出すということで 権威もあった 各クニの集団たちはなんとか 三輪氏と関係を持とうと・・つまり婿養子に入ろうとそれぞれが ある時は協力し合い ある時は争っていました ところが 三輪氏が 大陸の「魏」に使いを出したあたりから それぞれのバランスが崩れてきました なんと「魏」から金印と銅鏡100枚をもらたんですね これはこれまでにない権威を「日御子」に付加しました 以前 北九州の取るに足らない「ナ」というクニがだめもとで 「後漢」に使いをだしたら なんと「金印」を貰って その後「金印」をめぐって クニ中がおおいに乱れて大変なことになり 「金印」を誰にもわからないような場所に埋めてしまうということがあったのです
ということで超絶的な権威を得た「日御子」をめぐり それぞれのクニは競い合い 最終的には 日向と出雲が残ったのですが 出雲でちょとしたゴタゴタがあり ヤマトにたどり着いたのは 日向の男「イワレ日子」とその一行だけでした・・・・・ 「古事記外伝霊亀書 716年 御三輪神社 神宝」より内容を意訳

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コメント(6件)

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古代史には素人ですが、やはり三輪山あたりには日本のルーツがあるんですかね。 毎年のようにあのあたりで、新しい発見がありますね。 今後が楽しみです。 
大神太郎
2009/06/07 15:09
邪馬台国があったかどうかは別にして 後は「親魏倭王」の金印(もちろん本物ですよ)と銅鏡がペアで見つかれば決まりなんですがね・・・ 箸墓にあるのか 三輪山の磐座にあるのか・・・
なぎさの民俗学者
2009/06/08 12:01
円墳の右ッ側のところが欠けているのは、住宅地になっているから。
国の巫女であった方の墳墓が、そんな侵食を受けているって、信じられますか?

よっぽどサイキックな力がなかったのか、逆にその霊力を否定する力が働いたのか。不思議です。
スポンタ
2009/06/08 14:28
本居宣長の「菅笠日記」に書かれてあるように 江戸時代までは 陵墓といえども立ち入り自由でしたから 箸墓などは今とは全然違い荒れ放題でした しかも 箸墓=卑弥呼の墓じゃないか?という考えは当時の人々にはありませんでした もしあれば「魏」の属国(柵封)になった国(邪馬台国は魏から親魏倭王の金印を授かった)の女王の墓など存在すら以ての外?です 国学者や尊王攘夷者からもっとひどい扱いを受けていた?・・かも知れませんね
なぎさの民俗学者
2009/06/09 14:37
仰るとおりだと思います。
スポンタ
2009/06/10 18:41
こんばんは。この記事、とても面白かったです。やっぱり掘れないんですね。発掘すると色々なことがわかるのに、残念ですね。

それから「ぐるり〜」見ました。泣けました。良かったです。いつもご紹介、ありがとうございます。
☆サファイア
2009/06/11 22:55

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