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zoom RSS 西国街道をゆく その1 桜井の駅跡

<<   作成日時 : 2009/09/24 14:35   >>

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9月の連休中(シルバーウィーク???) 家にこもってDVDの映画を観たり 本を読んでいたりしていました  ところが上方は連休後半から天気が悪くなるというので 天気のいいうちに慌てて外に出かけてみました・・・大人げないですかね?
 

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淀川の堤防を いつもどうりの自転車でポタリングです   いい天気で 穏やかです 明日からの休日後半は天気がくずれるのがうそのようです




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どこへ行くか決めずに とりあえず淀川右岸から西国街道に入り やって来たのが 我が家のやや北側の対岸にある 島本町の伝桜井の駅跡です 




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楠木父子の桜井の別れで有名な桜井の駅跡ですが 以前は もっと鬱蒼と木々が繁っていました JR島本駅周辺の開発で かなりの数の木々が伐採されて すっきりしてしまっています  この開発時にも周辺が 発掘調査されましたが 桜井の駅に関する決定的な 遺跡は発見出来ませんでした この地は以前から 古代官道の山陽道の宿駅「大原駅」に比定されており それが 中世の「桜井の駅(宿)」であるとなっていますが・・・わかりませんね なんとも言えません 





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                        国史跡 桜井駅跡の説明版・・・ですが

注・・・必ずこの場所に 古代山陽道の宿駅(大原)があったかどうかはわかりません あくまでも 伝承地です 今後の発掘調査に期待しましょう  大原駅は和銅4年(711年)に設置(続日本紀) ところが 「延喜式 927年〜」は大原駅の記載がありません つまり 平城京からの山陽道にはあったが 平安京に都が移ると 淀川の水利を利用できるし 摂津国の駅宿が多いので この大原駅と隣りの殖村駅が廃止されたようです  楠木正成の時代には古代山陽道がどの程度現状を維持していたかわかりませんし すでに 近世の西国街道と同じ道筋だったかもわかりません  つまり 楠木父子がここを通った時はすでに 大原駅(桜井駅)そのものは存在していません ここにあったよというような松の木と伝承だけが残っていたと思われます  説明版はそこまで書かれていませんので・・・


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                   伝桜井駅跡の横を通る 西国街道(山崎道) 
西国街道は ほぼ古代山陽道を踏襲していますが このあたりではまだ 山陽道の遺構が見つかっていません  近世の西国街道は  京都 東寺口から 山口 長府(下ノ関)までの街道で 特に西宮神社で大阪からの中国街道と合流するまでの間は 山崎道(山崎海道)とも呼ばれた
注・・・・海道は海の字で正解です 兵庫以西は 西国路または西国筋と呼ぶこともあった




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桜井の駅跡は別段なにもありませんが 楠木正成の忠義を称える 明治天皇やら 乃木 東郷などの石碑がどかどかと建っています  「楠木父子の桜井の別れ」・・・知っている人は知ってるが 知らない人は まったく知らないでしょうね・・・


太平記「楠木正成 正行父子の桜井の別れ」 
超簡単に「桜井の別れ」を・・・鎌倉幕府が倒れ 後醍醐天皇による建武の中興となったが 武士を軽視するやりかたに不満をもつ武士たちが 再び 幕府復活を望み 足利尊氏も時期到来とばかりに 鎌倉で朝廷というか 後醍醐天皇に叛旗を翻し挙兵する 尊氏は箱根で新田義貞を破り 京都まで進軍 一時 後醍醐天皇は叡山に逃れたが 楠木正成や北畠顕家の活躍で 尊氏は京都で大敗し 九州まで落ちのびるが やがて その地の武士団をまとめて 陸路と海路の二手にわかれて大軍を京都に進軍させる 後醍醐天皇は義貞を追討軍として差し向けるが 大軍の前に兵庫(神戸)で防戦一方 業を煮やした後醍醐天皇は 正成を援軍に差向けようとするが 正成は 大軍と正攻法で戦うことの不利を述べ 一度 尊氏軍を京内に入れ 兵糧が尽きた頃を見計らって 義貞と二手に分かれて 京内に攻め入れば 必ず勝機があると献策するが 坊門 清忠に反対されてしまいます 正成は死を覚悟して 少数の兵を引連れて兵庫に向かいます・・・・とその途中の出来事が 「楠木正成 正行父子の桜井の別れ」です 京から西国路を下る途中の桜井の宿駅で 正成は 息子の正行に お前は 生き残って 必ずや 挽回を期するのだ と本拠地の河内へと帰らせます  ここでの 父子のやりとりが・・感動モノなんですが 平家物語もそうですが 太平記などの軍記ものは かなり誇張があって どこまで史実かわかりません  ということで この後 正成は 湊川の戦いで戦死 正行も 父の教え通り 千早赤坂の山城に立篭って戦おうとしたのですが 今度は 北畠親房の横槍が入り 不利な状況で大軍と戦うはめになりました 死を覚悟した正行は 四条畷の戦いで戦死します
そこで 父子ともども 最後まで 「天皇への忠誠」を貫いて死んだというので 戦前は忠臣の鑑となっていました



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桜井の駅跡には 旗立松(子別れ松)という 古松の木の残骸が置いてありました 明治時代に枯れてしまったものです 楠木父子は街道脇にあったという この松の木ところで 馬を止め 決別したという・・・・ この手の木の逸話というのは 伝説 伝承の地には 結構ありますね


注・・・楠木正成は 本当に天皇への忠誠を貫いた「忠臣」だったのでしょうか・・・ 正成は河内を基盤にした「悪党」と呼ばれた武装集団を率いていたといわれていますが まったく 謎の人物で その出自も生い立ちもはっきりとしておりません 史料にあらわれる時は すでに 後醍醐天皇の側近?でした  義貞や尊氏のように 名門の出でなかった正成は 手柄を立てて 天皇から信任を得て 朝廷から官位をもらうことが 一番の立身出世の近道だったのです  普通にしていたら 義貞や尊氏たちにかないません 幸か不幸か 尊氏が朝廷に叛旗を翻したので 正成は チャンス到来と思ったかもしれません ただ 圧倒的な敵を目の前にして勝ち目がないとなっても 天皇(後醍醐帝)から 破格の信任を得 官位や官職を授かった元「悪党」?の正成には 忠誠を貫くしか出来ない状況だったのでしょう


さて 桜井の駅跡に 留まってもしかたがないので 西国街道をさらに京都方面へ進みます


                                     つづく  西国街道をゆく その2へ

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また、このシリーズが始まりましたね。 東京にも「○○街道」と呼ばれている道がありますが、あまり史跡らしきものはありません。 なにか、面白い映画とか本を読まれましたか。 私は話題の「チャイルド44」を読みましたよ。
大神太郎
2009/09/25 11:45
「チャイルド44」は 面白いらしいですね まだ 読まないといけない本が山積みになっているので 文庫版が出てから読みます 映画は「Powder Blue」2009DVD 英語版を借りて観ました パトリック・スウェイジが なんて役(ヌードパブのオーナー?)やってんだと思いながら観たのですが 最近 亡くなられたんですね
なぎさの民俗学者
2009/09/27 12:42

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