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zoom RSS 大原野道をゆく その4 大原野神社周辺 

<<   作成日時 : 2009/10/20 10:52   >>

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大原野神社は 小塩山と呼ばれる山の麓にある 遠い昔は この山に登れば おそらく 長岡京や 平安京のほぼ全容を眺めることが出来たであろう しかし 今 その山頂に続く 山道を登りきっても 雑木に阻まれて 下界を望むべきもない またここは日本最古の物語という「竹取翁の物語」の舞台のひとつとも言われているが 聞くところによると 大原野に竹薮が増えたのは 江戸時代からだそうで 千年の昔は 雑木林の里であったらしい 普通に考えれば 竹取物語の舞台は 大和の国だろうと思うが・・・ 

さて 前回の続きです 春日乃茶屋でアイスクリームを食べたのですが メニューには よもぎ関係のおいしい食べ物があるので みなさんはそちらのほうをどうぞ
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春日乃茶屋の前に広がる 鯉沢の池 奈良の猿沢の池を模して造られたそうです  余談だけど 猿沢の池は 平城京遷都の後に造られた人工の池といわれていますが 私は そうではなく もともとあの場所に 何か池か沼のようなものがあって それを整備したのではないかとみているのですが・・・





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猿沢の池ほどではないですが 亀もいます この池は 完全に人工の池?





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参道を少し行くと 瀬和井の清水があります 立て札には清和天皇(850〜881)産湯の清水と書かれています ここの水を汲んで 宮中まで運んだのでしょうか さすが 藤原氏ですね  大伴家持(?〜785)の「大原やせがいの水を手にむすび鳥は鳴くとも遊びてゆかん」の歌もあり 家持はこの清水で喉を潤していたんですかね 今の瀬和井の清水は 単なる水たまりで あまりきれいではありません



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さらに 参道を行くと 朱もあざやかな三の鳥居 山鳥?の鳴き声が時折聞こえるだけで 静かです



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大原野神社 拝殿 1652年 その奥に本殿がある 往時は 奈良春日大社と同じように斎女がおかれていたという




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                       本殿裏 神の杜

        祭神
            第一殿 建御賀豆智命
            第二殿 伊波比主命(経津主命)
            第三殿 天之子八根命
            第四殿 比淘蜷_




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                  社務所  境内には誰もいません 
平安時代には 栄華を誇ったが 次第に廃れて行き 応仁の乱で境内も荒れ果てた とにかく 少し復興するのは江戸時代になってからだが 官社の多くがそうであるように 戦後1945年〜 国からの援助がなくなり 苦しい時期が続いたという

藤原高子(二条后) 在原業平 藤原道長 中宮彰子 紫式部などが ここに来たときは どんな様子だったのでしょうか 今の大原野神社からは想像がつきません  



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三の鳥居のところまで戻り その先から 勝持寺への近道があるので そこから 勝持寺へ




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                      勝持寺 近道の張り紙が杉の木に・・・・





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                              近道





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                  やがて 勝持寺の参道が これを 右に曲がります

  



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左へ曲がると 勝持寺の仁王門へ・・・この近道を通ると 勝持寺最古の仁王門(平安時代)が見れません 見たい人は 左に曲がって また戻って来るか 先に大原野道の終点仁王門まで行き 勝持寺を先に見てから この近道を通り 大原野神社へ






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                         仁王門  860年頃?





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                     勝持寺に向かって 参道を登ります 





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                     勝持寺に向かって 参道を登ります ふ〜





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                     もうすこしで 着きます・・・・・




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着きました 勝持寺通称「花の寺」 しかし 季節がら花がなにも咲いておりません・・・なので ここも閑散としております しかし シーズンを外すと これほどまでに静かな 単なる田舎の山寺になっています 入り口の拝観窓口も誰もいません 食事中?かな





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勝持寺・・・創建はあまり詳しくはわかりません 奈良時代の初め頃にはこの地にあったとされ また役小角の創建とも伝えられています 応仁の乱で 仁王門を残して全て焼失したという ここで北面の武士だった佐藤兵衛義清が出家して西行(1118〜1190)と名を変えたのは有名です 西行が植えたという桜が 今に残り これを西行桜と呼び これにちなんで花の寺といわれるようになった  本尊は薬師瑠璃光如来





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勝持寺から すぐのところに「地図に載っていない京都で一番小さな拝観寺院」 願徳寺があります 本尊は国宝 如意輪観世音菩薩半跏  拝観するには インターホンを押さないといけません なんか訪問員みたいですが






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                       勝持寺から 大原野の眺め





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            「世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ」
                                                      西行


                                                    おわり

注・・・・家人から指摘されましたので・・・古来より 西行が出家して庵を結んでいたのが勝持寺という伝承があり  これをもとに 世阿弥が能楽「西行桜」を創作し 後に 細川幽斎が勝持寺で花見をしてから有名になりました  実際の西行がここで出家したのかどうかよくわかっておりません  しかし 勝持寺とはなんらかの係わりがあったとは思います

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コメント(4件)

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お久しぶりでございます!

西国街道から大原野神社まで、同行していた様に楽しませて頂きました。
立ち寄るお寺の縁起に歴史上の人物名がポンポン飛び出し、関西(京都近辺)の歴史の厚みにノックダウウンです!

今度は安部清明の方へ脱線してほしいなあ♪

最後のしめが西行!渋いです!
sasapanda
2009/10/21 13:46
「王朝絵巻の様」というたとえがありますが、実際の大原野行幸はどんなだったのでしょうか。 西行法師は、仁王門を通ったことがあるのでしょうか。
大神太郎
2009/10/21 13:59
sasapandaさん 最後まで同行して頂いて ありがとうございます 次は 安倍晴明ですか・・・ 正攻法で京都から始めると脱線しにくいので 信太の森あたりから始めないといけませんね 「熊野街道をゆく」時?に脱線しましょう

大神太郎さん 藤原氏が 己が栄華と威信をかけた行啓ですから それはそれは物凄い王朝絵巻だったでしょう 大路小路に人が溢れ 蝦夷や隼人の人々 宋や高麗の人たちも見物していた(させられていた?)かも知れません 葵祭や時代祭が想像に近い?のでは  西行は仁王門を通っているでしょう そうしないと あの時代 勝持寺には行けないと思いますが・・・ 
なぎさの民俗学者
2009/10/22 12:59
安倍晴明!人名を、当て字にしてしまいお恥ずかしい〜〜コンコン♪
sasapanda
2009/10/22 21:08

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