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zoom RSS 京都 橋本遊郭を歩く

<<   作成日時 : 2010/01/15 17:09   >>

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久しぶりで 京都の橋本遊郭跡を散策してみました 
橋本は 伏見城と大坂城を結ぶ 京街道沿いにあります 古くは 行基が架けたとされる 山崎橋があったところで 古代官道 南海道と山陽道との交通の要所でもありました 詳しくはわかりませんが 遊里として賑わったのは 江戸時代になって 庶民が旅行に出かけられるようになってからでしょう 橋本は 京街道(東海道)の宿場町と紹介されていますが 宿場町ではありません 石清水八幡詣の精進落しとして 八幡の聖の場所との対で遊里として 俗の土地として機能していました というか 伊勢の古市などのように 人の集まるところには 遊里(歓楽街)が出来るのは今も昔も変わりません 現代だと 顰蹙を買うかと思いますが 江戸時代の 旅日記などを読むと 行く先々で 武士も一般庶民も 「をんなを買った」「○○とねんごろになった」とかの記述がいたるところにあります 




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今は淀川の堤防に京街道が呑み込まれていますが 大阪と京都の府境で旧道が復活 大谷川に架かる小さい橋を渡ると 橋本の町に入ります



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遊郭跡に入って すぐに目につくのが 橋本湯です  超レトロなお風呂湯です 本日はまだ 幕の内ということで お休みです  昼間だと 雰囲気が伝わらないのですが・・・


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                   夜の橋本湯   phto Masayuki Nakamura



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  京街道の旧道はゆるやかにカーブを描きながら橋本の町中へ いきなり タイムスリップしてしまいます



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橋本遊郭も 戦後 売春防止法が施行(1958年4月1日)されるまで 賑わったということです 最盛期には 400人ほどの遊女がいました しかし 「遊廓で働く遊女の供給源は 貧しい小作農の娘だった」新聞「山城」の25年より





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久ぶりで 歩いた 橋本遊郭跡ですが 古い建物が取り壊されたり 朽ち果てたりしています はじめて ここに来た 40年ほど前 子供が立ち寄ってはいけないような 異様な建物が建ち並ぶ様は ノスタルジーというもではなかった もちろん すでに 遊郭としての時代は 遠く過ぎて 建物には普通の人々が生活していたのだが ガラス戸の奥に見てはいけない何かがまだあるような・・・子供心に 怖かった・・ 






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   小路の奥に見える 大きな屋根の建物は 旧橋本遊廓歌舞練場 今は廃墟になっています






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        旧橋本遊廓歌舞練場 正面の看板 風雪で剥げ落ち なんて書いてあるのか読めません







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                  京阪 橋本駅前にある 建物






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古い建物が 残っているかとおもえば このように 取り壊されて 清々しいくらいの空き地に・・・もちろん 橋本遊郭跡は 文化財としの保護 保存の対象にはなっていません 遊里の面影が 次第になくなりつつあります あと 10年もすれば すっかり変わってしまうでしょう






さて 橋本遊郭と言えば 「鬼龍院花子の生涯」です


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                    鬼龍院花子の生涯  1982 東映


宮尾 登美子(1926〜)の原作は未読なので 映画の中の話を・・・・冒頭 夏目雅子演じる 松恵が花子の消息を知り 橋本遊郭へ駆けつけるシーンから始まります

 

原作も映画も なぜ「鬼龍院松恵の半生」ではなく 「鬼龍院花子の生涯」となっているのでしょう  花子は 鬼龍院政五郎の実の娘として 大事に育てられます 松恵も 養女として政五郎の娘になりますが 松恵には 過酷な運命が これでもかと降りかかります その時代は まだ女性の地位が低い時です まして 男だけの侠客の世界にあって 松恵は 政五郎に抵抗しながら 「学問」を身に付け 自立して行こうとします 今なら 自立する女 キャリアウーマンはあたりまえですが 当時は そう簡単には出来なかったでしょう



映画のラストは 再び 橋本遊郭へ 花子に死化粧をした松恵は 花子に別れを告げると 毅然と夏の青空の下を行く おなじ 政五郎の娘として 姉妹として生きてきたのに 二人の運命を分けたのはなんだったのか・・・ 最後まで その時代の「女」として生きて 時代と男たちに翻弄されて 最後は遊女に売られてしまった花子  自立して自ら運命を切り開いていく新しい「女」になった松恵 映画「鬼龍院花子の生涯」は そのラストシーンから「鬼龍院松恵の半生」が始まるわけですね  そして これは 大事なことですが 松恵が 自立できたのも 政五郎と同じ「ひたむきで純粋な器量」があってのこと だから「なめたらいかんぜよ!!」  そこまで 深読みすることもないが・・


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             松恵が 花子を訪ねたのはこのあたりか・・・





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       街道は 橋本の街中を鍵形に曲がっています この先は 橋本の渡し場に続く 





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橋本の渡しの道標 「山さき あたご わたし場」「柳谷 わたし場」 明治2年建立  橋本の渡しは 昭和30年代まであった 松恵も東海道線を乗り継ぎ 山崎から 渡し船で橋本に来たのだろう  この大谷川に架る小橋は 松恵が 花子の葉書を破いて捨てたところ

 


    
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                      小橋の上から 大谷川





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小橋を渡り 一度 淀川の堤防に上がり 対岸の山崎 天王山を望む 橋本の渡し(山崎の渡し)は ここを渡していた 昭和8年に書かれた 谷崎潤一郎の「葦刈」は 橋本の渡しと淀川の中洲のことが舞台になっている





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八幡への道標  ここにも 昔は 古い建物があったのですが なんと 新しい家が建っていました・・・・





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このあたりも ふるい建物が つぎつぎと取り壊されていました・・・残念





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               道の脇に 社が これは 金比羅さんですかね





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              金比羅さんの狛犬 いい具合に風化していますね





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こちらは 稲荷社です  なかなか 自由に行動が出来なかった 遊女たちが ここでお参りしたのでしょうか?




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                   八幡へ続く 京街道




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取り壊された 空き地 よく見ると 井戸?のポンプが・・・





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さて 大谷川に架かる 橋本橋が 橋本の町の終わり(京都からだと始まり)です 街道は 堤防に上がらず 右に曲がります





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                 堤防の下に残る 旧街道





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                 ようやく 大楠が見えてきました





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樹齢800年とも 1000年ともいわれる 楠木の大木 淀川が 改修される前の江戸時代 京街道は この楠木の左側をまっすぐに突き抜けて 淀宿へ向かっていました 明治時代 淀川が改修されると それまでの八幡道が京街道になりました この大楠は 八幡の聖と橋本の俗を分けていた境だったのでしょうか




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                   大楠の脇を通る 明治時代の京街道  

橋本遊郭に売られてきた 娘たちは この大楠を見上げながら来たに違いない いつの日か この大楠を見上げながら故郷に帰れることを信じて・・


                                                   おわり



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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
京街道、道幅といい、曲がりくねったたたずまいといい、想像力をかきたてられます。さりげなく石の道標が立っていたり、徒然草でしか知らない石清水八幡宮とか…近畿地方の歴史の厚みを感jますね。
橋本遊郭も初耳で、「鬼龍院花子の生涯」とのつながりに、なるほどと納得!!
五社英雄の映画は女性の描き方が偏っていてあまり好きではありません!
取り上げる題材がいやなのかも。昔、菅野スガや、伊藤野枝には興味を持ったのに…
sasapanda
2010/01/16 02:26
「鬼龍院花子の生涯」の原作と映画では少し違うようですね 原作のほうでは 橋本遊郭は出てこないようです 五社英雄の映画は 基本的に女性をターゲットにしていないのじゃないでしょうか 映画的に受けたらいいというので 現実みのない女性の役は あまり女性には受けないのでしょうね  それと 映画でも文学でも 戦前に社会運動する女性は 必ずといっていいほど 不幸に見舞われてしまうように描かれますね 歴史的なイメージが先行してるんでしょうか
なぎさの民俗学者
2010/01/17 15:57
以前、私は橋本に住んでおりました。
かなり昔ですが。(27年前ぐらい)
かなり街自身が、変わりましたね。
懐かしくなります。京阪橋本駅の辺りは、凄く遊郭の跡らしいものが沢山あると思います。
子供の時ですから、あまり分かってなかったですが。
ホテルリベロの付近に住んでおりました。
元橋本住人
2010/08/08 04:23
橋本は 普段は電車や車で通過するので 私もそんなに訪れる所じゃないのですが 久しぶりに訪れて 古い家屋や遊郭跡が取り壊されて 空き地が広がっているのには驚きました これも バブルの後遺症でしょうか リベロは営業を終えて建物だけが残る廃墟になっています 
なぎさの民俗学者
2010/08/09 16:15
駅前開発で来年度には旧橋本遊廓歌舞練場や、風呂屋さんも取り壊すと聞いております。
橋本住民
2011/01/18 21:17
そうですか・・・ 橋本駅周辺は 遊郭跡という条件があったけれども 他の京阪沿線の開発から取り残されて まさに奇跡的ともいえるほどに昭和的雰囲気が残っていました 残念ですが このままにして置いても ただ朽ち果てるだけですからね・・・複雑な気持ちです 橋本住民さん 情報ありがとうございます 取り壊されるまでに もう一度訪ねてみようかとおもいます
なぎさの民俗学者
2011/01/20 14:39
リベロは廃墟とのこと、時の流れを感じます。
昭和40年ごろ京都方面に通学しました。
橋本駅からも、ステンドガラスの丸窓やタイル張りの建物が見えました。独特のたたずまいに子ども心にドキドキしました。
一度、電車を降りてみたいと思いながら果たせずじまいです。
想像の翼を広げさせていただきました。アリガトウございました。
元、なぎさの子
2011/05/18 19:29
元、なぎさの子さん コメント ありがとうございます いろんな場所で 電車やバスに乗っていると車窓に映った景色にふっとそこに降り立ってみたいと思うことがありますね ほとんど降り立つことなど出来ませんが いつどこでだったかは忘れても 一瞬に映った情景だけは永く記憶に残ります 歳を重ねてそんな記憶の種をたくさん持っていることは幸せなことです  時々 思い出したようにその種で想像の花を咲かせるのもいいもんです 
なぎさの民俗学者
2011/05/28 12:58
あの建物は私の祖父のものでしたが、今は父の所有物になっております。
昭和元年に建ったと聞いています。
祖父母は、橋本で遊郭を経営していましたが、私が生まれた時(昭和39年)は、すでに廃業していました。
家は、玄関と奥に階段があり、4.5帖ぐらいの部屋が沢山あり、小さいときは、家でかくれんぼや鬼ごっこもできました。
映画「夜汽車」の撮影にも家が使われましたよ。
橋本駅前の遊郭歌舞練場の持ち主
2011/06/03 14:23
返事が遅れました すみません そうですか 橋本で生まれ育った方ですか 私とほぼ同年代くらいですね 私ももちろん 遊郭はまったく知りません 以前に 橋本遊郭などを知る古老の方たちから話を聞いたことがあります 無粋なことかも知れませんが遊郭というものを興味本位で知りたいたいうのではなく まだ残っているのであれば 遊郭の内部を一度観てみたい・・・などと若い頃は思っておりました しかし 昔のままで時間が止まっているわけではなく そこにも人が住んで 何代にもわたって生活している場所でもあるわけですよね・・・・コメント ありがとうございました 
なぎさの民俗学者
2011/07/05 05:38
知人を訪問するため、初めて降り立った橋本駅。京都方面からの改札を出ると、今までに見たことのない建て方の巨大な木造建築。不思議な気分になりながら、知人から聞いたかつての遊郭の町だったとの話。帰り際、京都方面ホームの傍らの凝った作りの2階建。気になりつつも時間がなく、帰宅してから調べたら、ここへたどりつき全貌を知りました。ぜひ再訪して、町の奥を歩きたいと思います。
東京から通りがかり
2011/09/23 17:44
東京から通りがかりさん コメントありがとうございます 橋本の町は 都市の中にあるわけでもなく 川と山際に囲まれた街がひとつ まるごと取り残されたように残っています 全国的に見てもここぐらいではないでしょうか 初めて来られた方は タイムトリップを感じられたのではないでしょうか しかし それも昔と較べるとかなり様変わりして来ています 古い橋本の街を見るのも今が限界かもしれません
なぎさの民俗学者
2011/09/27 09:50

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