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zoom RSS 坂本龍馬の墓 徹底ガイド

<<   作成日時 : 2010/04/20 15:13   >>

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今 巷では 坂本龍馬ブーム?ということで 私もそのブームに乗らない手はないと思い 乗らしてもらいます


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                        坂本 龍馬(1836〜1867)


坂本龍馬のお墓ですが ネット検索やガイドブックなどを見ると載っていますので いまさらとは思いますが それらよりもっと懇切丁寧?にご案内させていただきます


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まずは 五条坂の入り口から・・・えっ 何でって・・・深く追求しないで下さい  四条八坂や高台寺あたりから来る人がほとんどなので 私は 反対の五条口からご案内いたします



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                  バスや車の往来が多い五条坂をだらだらとのぼります


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明治時代の五条坂 狭い道幅で 両脇は竹薮が続く寂しいところでした 五条坂は明治も終わりごろになってから 道幅が拡げられました 五条口からこの坂をのぼって清水に行く人はそれほど多くはありませんが 今も歩道のない狭い道なので 両脇にある 京都らしいお店をのぞきながら歩いていると 車にぶつかりますよ 



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五条坂の終点 松原通りとの四辻に行き当たります このまままっすぐ行くと清水寺です ここからは 清水寺の参道にもなり 産寧坂から上がって来た人も合流して 人が多くなります 車に気をつけてください 



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この 四辻のところ 来迎院の角の桜の木のところに 「京都霊山護國神社 近道」の道標が建っています 道標に従って左へ曲がります つまり産寧坂を下ります  坂本龍馬の墓はこの京都霊山護國神社の墓地にあります


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修学旅行の生徒で溢れかえる 四辻を左へ曲がると いわゆる 産寧坂(三年坂)です この坂を下ります



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転ばないように三年坂をおりて 湯豆腐の店「奥丹」の前の道を右に曲がります 曲がらずにそのまま行くと 八坂の塔へ 万が一 坂で転んでしまった方は 残念ですが 3年後に死にます  その場でさらに20回ぐらい転ぶと60年後に死にますので 好きなだけ転んで下さい あまり転びすぎると 不老不死になる恐れがありますので気をつけて下さい 


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「奥丹」で湯豆腐を食べてもいいですが 高いですよ おすすめは「昔豆腐」ですが お一人様4000円也・・・京都の人は「森嘉」で嵯峨豆腐を買って 家で湯豆腐を作って食べます 白豆腐1パック(2丁入)360円也   さて 右に曲がると いわゆる 二年坂(二寧坂) この坂もおりて下さい



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二年坂をおりてしばらく行くと 右に入る道の片隅に 「開山国阿上人参詣道」の道標があります 国阿上人(1314〜1405)は 正法寺(霊山正法寺)中興の人です



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この道標のところを曲がります 曲がらずに行っても京都霊山護國神社に行けますが 開山国阿上人参詣道を歩くのも風情があるので この道を行きます  ガイドブックには載っていませんし・・・実はこの道こそ 幕末志士葬送の道です 坂本や中岡もこの道を通り 霊山に葬られました 


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やがて 竹薮に囲まれた 苔むした石段が現れます(志士葬送の石畳) この石段を昇ります このあたりは静かで ウグイスの鳴き声などが時おり聞こえます  穴場ですね デートコースにぴったりです 途中に高級料亭「高台寺 土井」なんかもあるので ここで食事でもすると 株が上がります しかし ムチャクチャ高いです 前もって予約したほうがいいでしょう ちなみに京都の人が デートで食事するところは マクドです


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石段をのぼりきったら 左側に石の鳥居があります さらに上に続く石段をのぼると 正法寺に行き着きます ここは穴場中の穴場です かなり石段をのぼりますが 正法寺山門を過ぎて山の上に行くと京都市内が一望に見えます すばらしい眺めです 今回は 坂本龍馬の墓と関係がないので行きませんが・・(ほんとうはのぼるのがしんどい)

さて 幕末志士・・特に長州・・が多くこの東山霊山に葬られているのでしょうか もともとこのあたり一帯は時宗正法寺の寺域でしたが 1809年に朝廷に仕えていた?神職 村上都トが 寺域の一部を買い取り霊明神社を創建しました 詳しい経緯は省きますが 村上は筋金入りの国学思想家で 外来宗教である仏教を避け 「我が国は神国なれば誰人も神ながらの道によるべきこと」と説き 「神道葬祭」を実行します 当時はまだ幕府もあり 他の仏教系寺院からも迫害を受けたりしました  そして1862年 吉田松陰の松下村塾に学び 公武合体派だった長井雅楽を暗殺しようとしたが 藩が分裂してしまうと諭され 失意の中 粟田山で切腹した松浦 松洞が 初めてここに葬られました それ 以降 長州藩にとどまらず 尊王攘夷派の志士たちの葬送の聖地となったというわけです 維新後 1868年 明治政府は霊明神社の墓地に招魂社を建立 鳥羽伏見の戦い以降の戦死者も祀ります さらに1877年 霊明神社の墓地と境内の殆どを上知 国の管理になり 京都霊山護国神社となりました
また東京の九段にも東京招魂社として分祀 1879年 靖国神社と改名されたのは周知のこと


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                          村上都ト(1753〜1819)



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正法寺山門前の 鳥居のところを左に曲がり 幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」の前を通ります 奇しくも 「大龍馬展」とかをやっておりました



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霊山歴史館の前が 京都霊山護國神社です  四条八坂や先ほどの開山国阿上人参詣道を行かずに来る道から見えるように坂本〜 中岡〜の墓の大きな看板があります




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京都霊山護國神社 本殿  創建は先述の1868年の招魂社が始まり 明治の世を見ることなく亡くなった王政復古に尽くした志士たちの霊を弔慰する目的の太政官布告により 有志が集まり創建された神社です  


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さて 先に進みましょう 神社境内の横 テント張りの休憩所?の所から 墓地に行く入り口があります


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入り口には 無人のゲートがあり 金300円也が要ります 世界中?を旅して来た私ですが 著名人の墓に参るのに金を取られるのはここだけではないでしょうか 学生時代に 地方から来ているゼミの友人たちを京都 奈良に随分と案内して 「坂本龍馬の墓なんてあるの!?」という輩をここに連れて来たことがありますが そのころからお金を取っていたかどうか 記憶にないんですね・・



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100円玉を一枚づつ入れると 3枚目で ガタン(音はしませんが)とバーが上がります



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東山の中腹に墓が造られていますので すぐにのぼりの石段が始まりますが それほど急じゃないです




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途中にある 案内版 細かく墓碑銘が多すぎで どこに誰の墓があるやら ただ 木戸孝允の墓は上のほうに大きく描かれているので判ります



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さらに 進みます  さすがに ここには修学旅行生はいません



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参道は まっすぐに木戸孝允の墓に続いています  明治の中頃までは 一般には坂本龍馬はほぼ無名に近い存在でした もちろん 木戸は超有名人です しかも 薩摩 長州の墓のほうが より上のほうにあるのは気のせいか・・



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しかし 今では 坂本龍馬のほうが有名ですからね 案内版も大きい 木戸の墓に行かなくても 龍馬の墓にはいきますよね  しかし 木戸孝允の墓の案内の名前が 桂小五郎になっているのも(笑)ます まだ木戸より桂のほうが知名度があるから?  別人と思われますよ


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ということで 木戸の墓は後で行くことにして 右に曲がり石段をのぼり 龍馬の墓に やたらに 幟が立っていますが これは長崎県推進協議会のもの NHKの例のドラマとタイアップ?して 長崎に観光客を・・・というわけです 坂本龍馬と長崎は関係が深いのですが 一般にはあまり知られていませんからね・・・



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石段をのぼったところに 坂本龍馬 中岡慎太郎の墓があります


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他に比べて 立派に造られています 龍馬や慎太郎の仲間が出世して偉くなるにつれて 改造していったのでしょうか 1867年12月10日に龍馬が暗殺された後 土佐藩邸に運ぶことも出来ずに 近江屋で 海援隊や土佐藩士立会いのもと 検死が行われました 2日後 中岡が死去 13日に近江屋で龍馬 中岡 田中藤吉(龍馬の用心棒兼世話役で11日に死亡)の葬儀がおこなわれ 近江屋から葬列を組み この霊山墓地に葬られたという
                  
                                 

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いつのまにか こんな銅像が建っています


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坂本たちの墓の後ろには 数多くの維新の英霊たちが・・・


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上から見たところ 籐吉の墓は 龍馬の右隣の小さい墓



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墓の前には 見晴らし台が作られており 京都市街が望めます 今日は天気が悪いので残念ですが・・




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さて 龍馬の墓の後ろから 山のてっぺんにある木戸孝允の墓へ行くとしましょう



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先ほどの参道に出ると また石段をのぼります





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のぼったところにあるのが 木戸孝允(1833〜1877)のお墓です 坂本龍馬よりも立派です なぜ ここに木戸の墓があるのかというと 別に深い意味はないのですが 木戸が京都で死んだからです ちなみに西郷は鹿児島 大久保は東京で死んでます




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木戸の墓の前からは 京都市街が望めません 維新の英雄はこの国の行く末よりも ここで 最愛の妻 幾松(木戸松子1843〜1886)と静かに眠っていたいのでしょうか というのも 不可思議なことがあったのです 確かに 木戸の墓の横にある幾松の墓も撮ったのですが 帰ってPCに画像データーを落とすと・・画像データーがないのです デジカメの画面で撮った時に確認していたのに・・・です


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もう そろそろ 長居は無用です 帰りましょう この場所は 京都の心霊スポットにもなっていますからね 帰りはゲートのところでスタンプを押すのを忘れないでください



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帰り道は ガイドブックの通りに 高台寺横の京都霊山護國神社参道を歩きます



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                   鴨の堤の桜も散り 早くも春は次の季節へ

 



雨が上がった後の龍馬の墓にいた かたつむり
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                「世の人は我を何とも言わば言へ、我成すこと我のみぞ知る」


                                               おわり


                               坂本龍馬と近江屋  京都逍遥その6へ
                               特集陳列 坂本龍馬 京都国立博物館へ

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
坂本龍馬のお墓は、あることは知っていましたが、まだ行ったことがありませんでした。 この、ガイドのおかげで行った気分がします。 霊山墓地ですか? 外灯らしきものがありますが、夜もお参りできるのでしょうか・・・怖いですね夜は・・・。  東京の人は、デート中の食事は「ファミレス」です。
大神太郎
2010/04/21 15:56
行った気分じゃなくて ぜひ 行って下さい 外灯?・・夜のお参り・・・気になって京都霊山護國神社のHPを見たら「年4回夜間拝観実施」ってありました 肝試しじゃないでしょうね・・・・ 大阪の人は デート中の食事を「コンビニ」でします 
なぎさの民俗学者
2010/04/22 15:12
私は坂本龍馬が小学校低学年で通うような塾でイジメに会って、登校拒否から中退した落ちこぼれであったことに親近感を覚えます。
また、学問知識が無く、人のいったことをさも自分の言ったことのように吹聴し、自らの名を高めていった事にも人間味を感じます。
時が経つとそのようなことは消え、美談だけが残るのが歴史物語と言うことでしょうか。
これは、日本歴史学学会員の茨木一成さんから聞いた話しですが、モット人間臭い歴史偉人伝及び大河ドラマをと願っています。
脚本家と演出家によって史実をねじ曲げられるドラマは、あまり信用しない方が良さそうです。

お邪魔しました。
意に沿わなければこのコメントは削除してください。
アルクノ
2010/09/04 16:43
アルクノさん コメントありがとうございます 私もN○Kあたりの歴史ドラマは見ません  
古い歴史上の事柄や人物の事などは 逆に時間が経つと様々な資料が発見されたりして これまで知られていなかったことなどがわかったりして 通説を覆すようなこともありますね  放送局や出版社や文部科学省などは それぞれ深〜い事情があったりして 歴史的事実から都合のいい部分だけを取り上げて歴史表現することが多々あります ですから せめて 私たちは良質の書物や番組に目を通し 研究者の方々の話などを聞いて 歴史の全体像や隠された部分を知る努力をしないといけません 歴史好きには その努力がいいのですが・・・  なんでもありの私のブログですが これからもお立ち寄り下さり ご教示でもいただければありがたいです
なぎさの民俗学者
2010/09/07 07:34
急いでます清水寺から竜馬の墓までが何キロあるかおしえてくださ〜〜〜い
輪っつ
2011/11/01 10:13
輪っつさん 最短距離で1kmあるかないかですが 起伏があるので結構歩いた気がしますよ
なぎさの民俗学者
2011/11/01 23:32

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