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zoom RSS トリノの聖骸布の謎 聖骸布は本物か!

<<   作成日時 : 2010/05/13 16:01   >>

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4月10日から イタリア北部トリノの大聖堂で 処刑されたキリストの遺体を包んだとされる「トリノの聖骸布」が 5月23日まで一般公開されている 5月2日にはローマ法王ベネディクト16世も拝観した  (3日付)



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      聖骸布 サヴォイア王家王宮ドゥオーモ蔵    Photos Barry Schwortz
               

次の公開は2025年だと思っていたのに 15年も早まったわけですね それゃローマ法王だって 観に行くでしょう しかし この聖骸布・・・もし・・真っ赤な偽物だったら・・・いやいや 偽物と言う言い方はおかしいですね 本物があるようで・・・真っ赤な作り物だったら・・・作り物に真っ赤なというのもおかしいですね・・・どうでもいいけど ローマ法王まで観に行かせるくらいだから とんだ食わせ物になるわけです・・・な



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                                       Photos Barry Schwortz

聖骸布は大きさが4.37m×1.11mの亜麻布で 長髪であごひげを生やし 胸の上で手を組んだ男性の姿が写り込んでいる また 手首や足の傷による血痕らしき染みも見られるという

スイスや米国の研究所が1988年に放射性炭素測定法で調べたところ 13から14世紀に作られた物との鑑定結果が出たが 鑑定が誤っている可能性があると主張する学者もあり 論争が続いているという



この聖骸布が 歴史的に認知されたのが 1353〜7年頃にフランスのリレー教会で初めて展示されたときとされています それ以前は謎につつまれています  この聖骸布の詳しいことは 聖骸布公式HPへ但し 英語 伊語 仏語がわかる人だけですが  じゃあ わからん人はどうすりゃいいんだというあなたのために 私が拙い翻訳を・・・青い文字


もともとヘブライ人の経帷子を意味するシンドネ(聖骸布)の存在は 33年にエルサレムで確認されている  これが このトリノの聖骸布かどうかはわかりませんよね・・
  
544年にはエデッサという町で「折りたたまれたシンドネ」が確認されておりエデッサのマンディリオンとして有名になっていた この聖骸布がトリノの聖骸布ではないかとされています エデッサは ここのアブガル王が病に犯された際 キリストが自分の顔に押し当てた布をアブガル王に送り これが後のイコンの始まりという伝説がある所です それまでバラバラであったキリストの顔は聖骸布によって統一されたと伝わっています 

当時 エデッサはビザンチンとの争いが激しく ビザンチン軍の侵入によりエデッサのマンディリオンは944年 コスタンティノープルへ逃れることとなるが 1204年以後 所在が100年以上わからなくなってしまう  さて この100年以上の空白期間についてはいろいろな説があります 記録では1204年にはアテネに聖骸布があった記録が残るが もちろん これがトリノの聖骸布かどうかはわかりません

最も有力な説はフランス北西部ノルマンディーのテンプル騎士団総長ゴッフレッド・ディ・シャルネイが率いる騎士団の誰かが 十字軍に参加し コスタンティノープルの聖骸布を持ち帰ったという とうとう出てきましたね テンプル騎士団! まあ この騎士団は悲惨な最期を遂げていますので いろいろ伝説が作られてきました その後 聖骸布は レバノンのシドンに現れたり ギリシャのキプロス島へ行ったりとされています そして フランスの騎士ゲオフレ・ドゥ・シャルネの手に渡り フランスに運ばれた?

とにかく 現トリノの聖骸布が確実に確認されるのは 1353年のフランスのリレー(lirey)にてである そして サヴォイア家に献上され サヴォイア家は聖骸布を現在のスイス国境近くのシャンベリーへ移して 同家の礼拝堂に 75cmx30cmの大きさに折りたたまれ 銀の聖櫃に納められて保管されることになった

しかし 1532年12月4日未明の火災で 高温に熱された聖櫃の中で折りたたまれた布の四隅が焼ける損害を受ける この時に修繕された部分は 2002年の修復の時に取り除かれた

サヴォイア家は なんとかして本拠地のトリノに この聖骸布を持って行きたかった そこで サヴォイア公エマヌエレ・フィリベルトは 1578年10月 ミラノの大司教カルロ・ボッロメオが遠路はるばる聖骸布の巡礼に シャンベリーに来るのは大変だろうということで 一時的にトリノに 聖骸布を移してしまうことに成功する  そして 聖骸布は今でも トリノのドゥオーモに納められたままということです


以上が 聖骸布の来歴ですが 1353年以前のものは トリノの聖骸布かどうかは わかりません とにかく 旧約 新約に関わらず 聖遺物と呼ばれているものは 山のようにありますからね あの イエスにとどめを刺したロンギヌスの槍も ウィーンのハプスブルグ家のホーフブルグ宮殿に展示されていますが この来歴も コンスタンティヌス帝が所有してたとか すごい事になっています しかし 今 複数で残っているロンギヌスの槍はすべて作り物だそうです では このトリノの聖骸布はどうかといいますと あくまでも 私の意見ですが 中世の作り物で・・・・・しょう 

                                                       
中世の作り物だと 明確に説明のつかないことも多少残っていますが・・・・・・
布の縫合方法はイエスの時代のものであることがわかった
当時まだ技術がない 写真に利用されるネガの方法で布に焼き付けられた人物像をどう説明するのか
人物像の瞼に置かれていた跡が残る 中世にはまだ発見されていない西暦33年ごろの硬貨をどう説明するのか 
研究家により 左眉の上に「NAZARENU」という謎の文字が刻まれていることが発見された 
付着している血液は 人血で「AB型」 人物像の処刑された状況や筋肉や神経の反応などから実際の人体をくるんでいたように写しとられているなどなど 



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                                   The Passion of the Christ  2004 日本ヘラルド
トリノの聖骸布は聖女ヴェロニカがイエスの顔を拭うために使った布なのか・・・・ 


                                                    おわり
                                             

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは
トリノの聖骸布、本当に謎だらけですね。ネガの方法で転写されているのが一番不思議です。現代でも再現できない技術(方法?)と聞きますが・・私は案外本物じゃぁないかな?と。聖書の記述が本当とすれば、イエスの遺体は誰かが運んだのではなく、聖骸布のみ残して消えていたのですね。相転移の可能性を示唆した本がありました。キリスト教の教義の中心に一つ「復活と昇天Ascension」をどうとらえるかに関わる問題ですので、不謹慎なことを部外者は言えませんが、三次元の相転移ではなく三次元から多次元の一つへ相転移した際の転移熱とも呼べるエネルギーが転写を生んだという・・SFのようなお話ですが、相転移は必ずしも我々の既知の科学の範囲に留まらないようなので・・へぇ〜!とびっくりしました。とても興味深い記事をありがとうございます。
☆サファイア
2010/05/17 22:40
「相転移」はれっきとした物理現象です 奇跡と物理現象の紙一重の説明に持ち出してみると 荒唐無稽な事も科学的?な解釈が可能になって 説明のつかない奇跡もより真実味が出るとして 教義の解釈のひとつとして取り上げたのでしょうか・・ 今の世の中 既知の科学の範囲を越えた未知の部分がまだあるのは確かですが それにとらわれてしまうと科学的・合理的な考え方が出来なくなってしまいますね でも私は常識派だと自認していながら オカルト的現象にギャーっといって騒ぐのが好きです・・・ しかし錬金術や永久機関の発明(エセ科学で人を驚かしたり騙ましたり)はしま・・・少しはするかも・・・せん
なぎさの民俗学者
2010/05/22 15:45

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