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zoom RSS ご近所散歩 茨木街道  唐崎から玉川の里あたり  その1

<<   作成日時 : 2010/06/08 15:17   >>

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この頃は 天気の方も安定して 随分と過ごしやすい日々が続いておりますが みなさんの地方はどうでしょうか  幼稚園の園児の遊びを見ているように ハラハラしてしていたら やっちゃいましたね鳩○総理の辞任・・・・ツィッターなんかやってる場合じゃないんですが・・・昔の武士だったら 切腹 家禄没収お家断絶 一族郎党他家預かりですよ 政治家の仕事は 命や名誉やその他色んなものを賭けてする仕事じゃなくなってしまったんですね  やらねばならなかったのは 沖縄の人々との話し合いではなく もっと早く・・・40年前あたりから・・・アメ公や外務省や防衛庁の官僚どもとの一歩も引かないやり取りなんですがね・・・いまさら 遅すぎます 



さて ご近所散歩なんですが その前にちょっとしたアクシデントが・・・少し前に天気がいいので 久しぶりに自転車に乗ってご近所を走り回ろうとしました・・・

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自転車は いつもやつです  「大阪渡船場めぐり」や「西国街道〜大原野めぐり」で活躍したやつです


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河川敷サイクリングロードを快適に走ったり・・・・



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シロツメグサの花の絨毯の草原などで寝転んだり・・・・

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たんぽぽの花などを撮ったり


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橋を撮ったり



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午後2時30分のグランド・・・・別に何も意味はないけど・・・を撮ったり

・・・・というわけで 散々ポタリングを楽しんで 家に帰ってきて その日は何ともなかったのですが・・・次の日 起き上がろうとしたら・・・腰に・・・ぎっくり腰になってしまいました・・・家人からは「年甲斐もなく 自転車を乗り回すからよ」と冷たい目・・・情けない格好で娘にシップを貼ってもらい その日一日安静にしておりました


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で 何年かぶりの 私の唯一の持病? ぎっくり腰から 立ち直り 今度は ヨガとストレッチを組み合わせた準備運動を十分やり  自転車じゃなくて 足腰をリハビリ?する意味も込めて 枚方の対岸 高槻市の茨木街道を少し歩いてみます


茨木街道は 京街道枚方宿から 西国街道攝津郡山宿を最短で結ぶ道です 江戸時代は「茨木街道」という名前の道ではありませんが  枚方 富田 茨木 郡山を結ぶ往還道として栄えました 



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以前 東海道(京街道)枚方宿今昔案内で 枚方から高槻への渡し船について少し触れました 枚方宿にある枚方街道に別れる道標に従い 淀川の堤防上にあがると そこが三矢(下大塚)の渡し(後の郵便屋の渡し)があった場所です


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三矢から 対岸の高槻大塚村あたり 茨木街道の起点は この大塚村からです 江戸時代は 淀川が急カーブしながら枚方側へ入りこんでいました だから 枚方側の河川敷に高槻(摂津)と枚方(河内)の境界線があり 河川敷内に大塚の字が残っています  明治以後の淀川の改修工事などで 大塚村〜唐崎村までの茨木街道は消滅しています


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問題  エンジンやモーターのない時代 流れが速い 大きな川など 渡し船はどうやって渡っていたの?


A 船頭が日々 体を鍛えて力まかせに船を漕いだ 途中で力尽きると 船が流されて 二度と戻ってこれなかった
B 乗客の中から くじを引いて 当たった者が何人か川の中に入り 船を押した 時たま その乗客が溺れることがあった
C 船頭は 何匹も亀を飼っており 亀に船を引っ張らせた 冬はどうしたか? よい子はそういうことを聞かないの
D 右岸から左岸に船を渡す場合 右岸の上流に杭を打ち ピタゴラスの定理(川幅より長い)の長さで縄をかけ 船の舳先に繋ぐ 後は船頭が櫓で川の水流を操れば あら不思議 船は自然と左岸に流れる

                                  答えは下に・・って 答えがいります?



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                          番田村の水田風景


今は渡し船はありませんので 枚方大橋を渡り  茨木街道があった 淀川堤防上を歩きます 大塚村の隣村でもあった 番田村が途中の堤防下にあります


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                   トトロの家? いえいえ違います 番田村の廃屋です


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                   ハワイ? いいえ 番田村です




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                     静かな番田村の中に入ってみましょう



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村中を流れる番田水路  水路は「番田の大樋」と呼ばれ 摂津高槻藩主永井直清(1591〜1671)が 水利を目的に1659年に完成させた もともとは地下に埋めた巨大な木製の樋管であったという



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番田村の氏神社  番田神社  番田神社は 先ほどの大塚村にある大塚神社の分社だそうです 大塚神社は 1335年5月 この地に大洪水があったとき「高皇産霊神」「神皇産霊神」の二神の木像が流れ着き これを僧 恵慶が勧進 奉じて この地に祀ったのが創建の由来だそうです 


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                      やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
                                                 芭蕉


                                 つづく    唐崎から玉川の里あたり  その2へ                                              
 答え・・・D

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コメント(2件)

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自転車で走ると見える景色が、違ってきますよね♪受ける風も気持ち良くて…
でも無理は禁物!ボチボチお散歩して下さい!
番田村の廃屋どんな人が住んでいたのでしょうね?裕福なお百姓さんかな?
モダンな感じもするし…
「問題」の答え、B だったら、乗客も一体感を持って楽しめるのでは…(^^)でも溺れちゃまずいですね!
sasapanda
2010/06/10 01:03
sasapandaさん お見舞い・・いえいえ コメントありがとうございます 人間 腰は大事ですね ここを痛めると ほんと なんにも出来なくなります 番田村には あんな色の屋根の家が他にもあるので 厄除け(火事とか水害)の意味があるのかも知れませんね 「問題」の答え・・私的には Cが気に入ってるのですが 動物虐待?とかでまたまた ルイ・シホヨス監督が映画を撮りに来るかも・・・・ 
なぎさの民俗学者
2010/06/12 11:44

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