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zoom RSS 牽牛子塚古墳 斉明天皇陵に確定?

<<   作成日時 : 2010/09/14 09:57   >>

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奈良県明日香村の牽牛子塚古墳で 墳丘を八角形に囲む凝灰岩の石敷きが発掘され 八角形墳と確認された  八角形の墳丘は飛鳥時代の天皇陵の特徴で 天智、天武両天皇の母の斉明天皇が被葬者であることが確定的となった  (9日付)


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                  越智山陵?(牽牛子塚古墳)    奈良県明日香村教育委員会

牽牛子塚古墳墳丘のすその発掘では 幅約1m深さ約20cmの溝の中に凝灰岩の切り石(長辺約40〜60cm 短辺約30〜40cm 厚さ約30cm)を敷き並べているのが見つかった 石敷きは9mの1辺と 135度の角度でつながる左右2辺の一部が確認され、墳丘を八角形に囲んでいることが分かった 八角形の対辺の長さは22メートルで 石敷きの外側の小石が敷かれた部分を含めると対辺32m以上 石敷きからの高さは4.5m以上とみられ 墳丘斜面にも凝灰岩の切り石を並べた跡があった 
 また 石槨に沿って縦2.7m 横1.2m 厚さ70cm 重さ5トンの直方体の切り石(石英安山岩)が3個見つかった 村教委は石槨を16個の巨大な切り石が壁のように囲んでいたとみている 石槨は東西5m 南北3.5m 高さ2.5m 重さ約70トンの1個の巨石だと判明した 


そうじゃないかと思っていた古墳がやっぱりという感じですね 越の岩屋山古墳も八角形墳ではないかといわれていますが 石室が1つしかないので 孝徳天皇の皇后間人皇女と合葬したという日本書記の記述に合わない 現在の越智山陵に比定されているのは 車木ケンノウ古墳?で これは 1697年の奈良奉行所の皇陵調査で 一旦は高市郡鳥屋村の字ツカオ(現在の小谷古墳)を越智山陵にしたが 1736年の大和志(北越智村の通称升塚) 1808年の山陵志(車木村の天皇山と呼ばれた岡)の2志は 現在の車木ケンノウ古墳を斉明陵に比定 以後 江戸時代は小谷と車木の2説で固まっていたが なぜか文久の修陵の時には車木のほうに決まっていたという 車木のほうは はっきりとした古墳があるのかどうかわかっていません  続日本紀の天平14年条に 越智山陵が崩れたので 鈴鹿王らを修復に遣わせたと記述があるので 少なくとも 奈良時代までは 越智山陵の場所がはっきりしていたのでしょうね 今回も 宮内庁は見直しをしないということなので よほど 仕事をやりたくないのかな 私が職員だったら 喜んで調べ直して 陛下に報告いたしますが・・・ 

現在の 考古学の研究者たちは 越智山陵の候補として 小谷古墳 牽牛子塚古墳 越岩屋山古墳の3古墳で 意見が分かれていました  今回の発見で 牽牛子塚古墳が 越智山陵としての条件がほぼ整ったみたいです 


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                    2010年9月発掘調査以前の牽午子塚古墳石室入り口

小谷古墳 牽牛子塚古墳 越岩屋山古墳とも 以前 私が訪ねたときは すべて 自由に見学が出来ました(牽牛子塚古墳は石室内には入れませんので 懐中電灯があれば中をのぞけますし 岩屋山古墳の石室内は真っ暗です )
これから 行こうとする方は 小谷古墳の近くに沼山古墳・益田岩船があり 牽牛子塚古墳の近くに真弓鑵子塚古墳もありますので それらも見学することをお薦めします すこし 足を延ばせば マルコ山古墳もあります

近鉄橿原神宮駅→小谷古墳→沼山古墳→益田岩船→牽牛子塚古墳→真弓鑵子塚古墳→マルコ山古墳→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅



                                                             おわり

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