なぎさ

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zoom RSS 中尾山古墳 高松塚古墳 文武陵を観に行く 明日香村散策その3へ

<<   作成日時 : 2010/11/09 11:53   >>

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さて 前回のつづきです  壁画を観たので ついでですから 飛鳥歴史公園内に点在する 中尾山古墳 高松塚古墳 文武陵の3つの古墳を観てまわります

飛鳥歴史公園内は 整備され 遊歩道も出来ていて 私が初めてここに来たときのように 田圃のあぜ道や竹薮の中の小道を古墳を探しながら歩くということはしなくてすみます 

中尾山古墳 高松塚古墳 文武陵の3古墳は ほぼ藤原京の中軸線の延長上にあり 3古墳とも築造年代は藤原京時代7〜8世紀(文武陵は不確定)です

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                       中尾山古墳

中尾山古墳は高市郡明日香村平田字中尾山にあり 葺石のある三段築成の八角墳で墳丘の外側に二重の八角形に石敷がめぐっている この間 牽牛子塚古墳で見つかったものと同じようなものです 埋葬施設は組合式の横口式石槨です 石槨内が非常に小さく 中央に骨蔵器を置くため?のくぼみもあり 火葬墓であると思われます すでに 盗掘されており 副葬品はありませんが(昭和49年発掘調査報告) 現在 宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されている金銅製四環壺が中尾山古墳出土のものではないかといわれています 


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現状の中尾山古墳は 見た目では 八角墳であることがわかりません 研究者の間では この中尾山古墳が 火葬されて埋葬された文武天皇の檜隈安古上陵である可能性が高いと言われています


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                       国営飛鳥歴史公園内風景


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                   高松塚古墳へ行く途中にある納屋



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丘をのぼる細い小道をたどると 高松塚古墳が見えてきました


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                           高松塚古墳
びっくり しました 以前とは 別物の古墳になっています 周辺も 竹薮が取り払われて 明るくなっています まあ このあたり 全体が公園化していますからね

高松塚古墳は明日香村大字平田字高松にあり 二段式の円墳です 古くから 古墳として知られていましたが 発掘調査以前は 現在のような「古墳」というような姿をしていませんでした 墳丘の形状さえわからないような 土のこぶ状態です 1970年に 村人がこの土こぶの斜面に 収穫した生姜を貯蔵するための横穴を掘ったところ 石室の石材が現れた 1972年3月1日より 橿原考古学研究所が中心になって 末永雅雄(1897〜1991 考古学を学ぶ学徒にとっては 著書は必読)所長の指揮のもと 本格的発掘が始まり 3月21日 網干先生と現場に残っていた学生2人で 盗掘穴を広げる作業をしていた時・・・

「12時のサイレンが鳴って学生の大部分は中食(注 昼食)に宿舎へ帰ったところ 残った3人で盗掘坑を少し拡げて中をのぞくと 西壁に何か色のあるものがかすかに見えた そこへちょうど陽光がさしこんで少し明るくなる 見ると 青い服に茶色の腰紐をつけた人物が画かれていた 12時15分位であった 早速 中食に帰っている学生たちに非常招集」(網干善教 「高松塚古墳発掘日誌」)より

こうして あの 世紀の大発見があったわけですが 見つかったのは 壁画だけではなく 中世?に盗掘をうけていましたが 副葬品や人骨の一部 木棺などが残っていました



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                       漆塗木管(内面)     奈良国立文化財研究所飛鳥資料館

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                       漆塗木管(外面)

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                         出土品
        

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             江戸時代の絵図に描かれた高松塚古墳 墳丘の上に赤松がある


高松塚古墳は江戸時代 奈良奉行所の山陵調査をうけて なんと 文武天皇の檜隈安古上陵に比定されていました(諸陵周垣成就記 元禄11年) 


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高松塚古墳前で 石室内のバーチャル体験が出来るというイベントをやっています これも1300年祭の流れですかね 特殊ゴーグルをかけると CGで再現された 石室内の壁画が360°観れるもので これ 随分前に東大の池内先生の開発?したものだと思うけど 違うかな  私も体験させていただきました  実際の現場でバーチャル体験するというのが いいのかもしれませんが・・・今はこの高松塚 石室も壁画もない ただの土の山ですから・・・



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高松塚古墳から さらに公園の奥まった所にある文武天皇陵めざして歩きます たいがいの人は 高松塚を観たあとはここから引き返して

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                            高松塚壁画館
高松塚壁画館 のほうへ 文武天皇陵へ行っても何もありませんが・・・・


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                     文武天皇陵  粟原塚穴(ジョウセン塚古墳)

文武天皇(683〜707)は 崩御後 飛鳥岡(岡寺付近)で火葬に付され 檜隈安古上陵に葬られた(続日本紀) 文武天皇は 父親は草壁皇子(王) 母親は後の元明天皇 息子も後の聖武天皇 もちろん 祖父母は天武・持統天皇 妹は後の元正天皇という ガチガチの皇族一家ですが 影が薄い 文武天皇といえば 大宝律令(701年)の施行(702年)ですが これも飛鳥浄御原令の延長線のもので 律令制の詔は天武天皇が 草壁王と持統天皇が成立に尽力した 


文武天皇陵は明治14年に現在の陵慕に決まるまで 転々と場所を移動しています 元禄9年(1696)の「前王廟陵記」には 具体的な文武天皇陵は記載されていませんが 翌年の幕府の各地の山陵修復の報告では 所在不明となっています そこでその翌年の奈良奉行所の山陵調査の結果 高松塚に比定されたのは 先に書きましたね  ところが 享保21年(1736)の「大和志」では「平田村の西に在り 俗に中尾の石墓と呼ぶ」として 中尾山古墳になっています また 有名な蒲生君平の「山陵志」(文化5年 1808)では 「高松山」として文武天皇陵を高松塚古墳にしています  寛政3年(1791)の「大和名勝図絵」などは・・中尾の石墓・・字は高松塚(山)・・として 中尾山古墳と高松塚古墳が混同して紹介されています

このような変転はあったものの ほぼ 高松塚が文武天皇陵とされていたようです ところが 喜永元年(1848)に北浦定政の「打墨縄」(山陵志をもう一度検証し直したもの)で 野口村皇墓(野口王墓 現天武・持統天皇陵)を文武天皇陵とした そして安政2年(1855)の奈良奉行所の御陵改めで この野口王墓が文武陵と幕府に報告されて それが そのまま 明治時代まで引き継がれていました(その間にもいろいろありましたが・・・・)

じゃあ どうして 粟原塚穴(ジョウセン塚古墳)が文武天皇陵となったのか・・・・その前に・・・文久年間(1862〜3頃)に幕府による 陵墓の大修理があり 山陵修理奉行戸田忠至の相談役谷森善臣(山陵修補御用掛嘱託)が書いた「山陵考」(1867年)の中で 「粟原村の字で「あんどく」というところがあるが 書付などに「あんこう」と書かれているものがあり それが「安古」の転訛であるとして 粟原塚穴を文武陵とした その可能性もありとして 粟原塚穴は幕府より修理等の予算が出されている 私などは 単なる書き間違いと思うが 谷森善臣自身も後に自説をひるがえして野口王墓を文武天皇陵としている

ところが 明治13年(1880)に高山寺で「阿不幾乃山陵記」が公表されて 野口王墓が天武・持統天皇陵として有力になると 翌14年に 粟原塚穴(ジョウセン塚古墳)が文武天皇陵に治定され 現在に至っています 治定された理由は不明です 谷森善臣の書付説が参考になったのでしょうか 


現文武天皇陵(粟原塚穴(ジョウセン塚古墳)は 明日香村大字粟原にあり 墳丘はかなり破壊されており(円墳?) 今は南北60m 東西80mの五角形に垣がめぐっています 塚穴という呼び名から 横穴式石室ならば 火葬墓としての文武天皇陵の可能性は低いし 五角形の整地も無理矢理(中心軸がずれている)したような印象がありますね とにかく 現在は陵墓になっているので 調査ができないので 不明としかいいようがないです  ここのところは やはり 八角墳で火葬墓である中尾山古墳が もっとも文武天皇陵の可能性が高いですね 地名の考証でも 中尾山古墳の東側の尾根の先に「悪谷」と呼ばれるところがあり これが「安古谷」が転訛したもので中尾山古墳がある丘が「悪谷」の丘で すなわち「安古岡」ではないかといわれています


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                        文武天皇陵 遠景

幕末〜明治の陵慕治定もかなり いい加減だが 違うと判れば治定を変える柔軟性がまだあったが 今の宮内庁はどうなっているんだろう  

                      明日香村散策その3 おわり
            次は いよいよ 大詰め 天武・持統天皇陵 欽明天皇陵 そして 見瀬丸山古墳です
                                                     乞う ご期待

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