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zoom RSS 京都 木屋町通を最後まで歩く 完全ガイドその1 二条から四条まで

<<   作成日時 : 2011/09/11 16:46   >>

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さて 秋晴れとさわやかな風に誘われて 京都木屋町通を上から下まで歩いてみたいと思います 旅行者向けガイドブックを見ても ネットで検索しても ほとんどが 二条御池あたりから四条 あるいはよくて五条までぐらいしか紹介していませんね 残念なことです 五条からさらに南が とてもいい散歩路なのですが・・・・ そこで 「京都の人でも 何か必要な用事でもなければ 歩くことなどないだろう」といわれる 木屋町通を最後まで歩いて紹介しましょう えっ そんなことしなくてもいいって・・・そう言わずに付き合ってくださいよ


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さて 木屋町通は二条(通)から始まり 高瀬川沿いに沿って 七条(通)まで造られた通りです つまり 高瀬川が造られたときに一緒に造られたわけです 高瀬川は ご存知のとおり 角倉 了以(1554〜1614)が1611年に18年の歳月と7万5千両(約150〜200億円)をかけて開削した運河です  当時は「木屋町通」とは呼ばれずに「樵木町通」と呼ばれており 江戸の中期頃から 木屋町通と呼ばれはじめました


さあ 高瀬川沿いの木屋町通を歩きましょう 私の手元に江戸時代の精密な京都市街復元地図がありますのでこれを 参考に見ながら歩きますが 歩く道筋は 江戸時代の木屋町通ではなく あくまでも現代の木屋町通です


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高瀬川の水路は二条通までありますが 今は暗渠になっており上は道路になっています 日本銀行京都支店(旧角倉屋敷)の正門のところから顔を出して流れています 開削された当時は川幅約7m 伏見港まで約10kmの運河でした 木屋町通も 四条までしかなく 道幅1mほどの細い通でした


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古地図を見ると高瀬川の水は 鴨川の水を直接引いていました 鴨川から斜めに水路があったのですが 今その跡は がんこ二条苑(旧角倉屋敷別邸)の庭に残っています・・・・・それじゃ・・今の高瀬川はどこから水を・・・・心配しなくても 今も鴨川(現在は鴨川と平行に流れている禊川・・・大正時代に作られた運河)から水を引いていて がんこ二条苑の庭内を流れて 地下から暗渠部へ


がんこ 高瀬川二条苑 akemi.tomiraku


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                      高瀬川 暗渠の出口  左は日本銀行京都支店



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            舟入跡 赤い鉄柵の中 この中に船が入り 荷の積み下ろしをした
                   
高瀬川の水が 地下を伝って流れ出す暗渠の少し先に 一之舟入跡があり 高瀬舟もどきが展示されています 舟入は二条から四条の間に七ヶ所ありましたが 他は埋め立てられ 比較的よく残るのはこの一ケ所だけだそうです


このあたりは 大名屋敷が軒をならべていました 北から角倉屋敷 一之舟入をはさんで長州毛利屋敷 加賀前田屋敷さらに二之舟入をはさんで 対馬宋屋敷 さらに 三条通を越えると彦根井伊屋敷 そして 土佐山内屋敷と高瀬川に面して並んでいました

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                    加賀藩前田屋敷跡 現在は御池通とマンションビル




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                御池木屋町にあった旅館「北大嘉」跡の漱石の碑 

                          春の川を隔てて男女哉       

ちょっと 寄り道をして 御池木屋町の旅館「北大嘉」跡に この旅館は1915年3月 夏目漱石(1867〜1916)が最後の京都旅行をしたときに宿泊したところです このときの京都行は 修善寺の大患後の養生もかねていて これまでの京都行で一番長く 29日間滞在しました 京都に着いた次の日 漱石は白川巽橋の近くのお茶屋「大友」を訊ね 女将の磯田多佳(1879〜1945)と知り合い 体調が悪い漱石の看病したりして親交を深めますが 何かのちょっとした行き違いがあったのか 2人は気持ちをこじらせます しかしやはり気になるのか未練なのか(笑) 漱石は北大嘉から鴨川を挟んで 大友のあるあたりを望みながら詠んだ句を磯田多佳に送ります その句が碑に刻まれています 漱石にとって 最後の淡い恋心?だったのか・・・な

                        

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さて 木屋町通に戻ります 古地図にはかなり細い道筋で描かれている木屋町通ですが 現在はかなり広くなっています これは 1895年に京都内国勧業博覧会が岡崎で開かれた時に 二条〜五条間の木屋町通に市電を走らせるために拡幅したからです(高瀬川も1mほど埋めた) 現在は 河原町通の抜け道として ひっきりなしに車が走ります


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       車をさけて 高瀬川沿いの遊歩道を歩きます  春の桜の咲く頃はすばらしい桜並木が続きます 



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                         三条小橋が見えてきました 


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三条通を越えて さらに南へ下ります このあたりは 色々と史跡がいっぱいあるのですが いちいち寄り道していると 先に進みませんので 知りたい方は 既存のガイドブックで・・・・


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本間精一郎(1832〜1862)暗殺の地の碑  この民家で殺されたのではなく あくまでもこのあたりでということ            

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河原町三条の材木商屋「酢屋」 坂本龍馬や龍馬の同志たちの隠れ家?として有名 古地図では 酢屋の前に五之舟入があり 高瀬川からも土佐藩邸に行けますね  龍馬は酢屋の二階の部屋から この五之舟入に向かってピストルの試し撃ちをしたらしい



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        木屋町通から先斗町の入り口  この道は幕末にはない?ですね 先は先斗町歌舞練場


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1668年に鴨川の改修の時 鴨川の右岸 左岸に石垣を造り 洪水防止のためにさらに右岸に埋め立て地が造成された場所に歓楽街が立ち並んだのが始まり この地は「御崎」とも呼ばれ ポルトガル語で「先」のことを「ポント」ということから当て字で「先斗」となったといわれているが たしかなことはわかりません 昼間はなんてこともないですが 夜は「これぞ京都」という 他のどこの都市でも出せない極めつけの雰囲気です


 
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               土佐藩邸跡(旧立誠小学校) 現在は高倉小学校 第二教育施設
         

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旧立誠小学校跡 明治2年に下京第6番組小学校として開校  現存の建物は1928年建造 平成5年に廃校


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さらに この地は日本の映画の発祥の地でもあるとか・・・・明治30年(1897) 日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功した場所


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三条から四条の木屋町界隈は 私の京都時代によく飲み歩いたりした場所ですが あれから幾歳月か流れ このあたりも様変わりしております・・・


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       さて 四条小橋が見えてきました 四条通から南はこの次ということで・・・・ 


                京都 木屋町通を最後まで歩く 完全ガイドその2 四条から七条まで へつづく



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは、おじゃまします。
京都の小学生は、角倉了以について勉強するのです(少なくとも自分の頃は)。
このあたり高校時代の通学路でした。

そういえば三条小橋脇のテラス、ピザが美味しかったです。
メタボのび太
2011/09/12 21:30
メタボのび太さん コメントありがとうございます 小学校で角倉了以の勉強するのですか・・・京都の偉人ですからね  立誠小学校跡の玄関には銅像がありましたよ それは 大阪の一部の小学校が 松下幸之助記念館に郊外学習に行くのと同じなんでしょうか・・・・違うか・・
なぎさの民俗学者
2011/09/13 16:44

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