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zoom RSS ご近所散歩  万年寺山周辺  御茶屋御殿跡〜意賀美神社〜むくの木

<<   作成日時 : 2011/10/06 23:01   >>

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気候がいいので 爽やか風に誘われるように散歩に出かけました

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枚方駅前から京街道を歩き 京阪のガードを潜り 丘陵地へ向う石段(意賀美神社?万年寺?参道)へ



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石段の脇には 古い石仏などが 集められています



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かなり急な石段を登ります このあたりから西側は 丘陵地が続くのですが 大昔から 淀川によって削られていき 崖状になっているわけです




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石段の途中から 摂津・淀川方面を 雲が すっかり秋の雲になっておりますね




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石段を登りきったら 階段状の平坦部にでます  このあたりはきれいに整備されています 昔は 電波鉄塔などが建ち フェンスがあったり 身の丈の草がぼうぼうと生えていたのですが・・・・



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そして 展望公園として整備された 御茶屋御殿跡




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御茶屋御殿跡とっても何もありません 御茶屋御殿跡といえば 千葉の御成街道の御茶屋御殿跡が有名ですが ここの御茶屋御殿は本家本元で  太閤秀吉が ここから少し下がったところにあった枚方城(というかこのあたり一帯が枚方城内で 御茶屋御殿はその城内にあったのではとされている)の城主本多政康の娘で 当時二十歳の美女「乙御前」をここに囲っていた いわゆる 妾宅です  江戸時代は 御茶屋御殿は幕府公用の屋敷に改築され 将軍秀忠や家光が逗留したことがあるという 京街道から 先ほどの石段坂を登ってきたんでしょうかね 1679年7月に枚方宿で大火事があり それが飛び火して 御茶屋御殿は全焼 以後再建されませんでした 



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                        御茶屋御殿跡展望所より   

注・・・枚方城も御茶屋御殿も 正確な位置(枚方城は地形から推測はされている)がわかりません




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平成17年に展望公園整備中に発見された万年寺山遺跡一号の石棺レリーフ  男性のほぼ完全な人骨が残っていた 石棺の構築法などから古墳時代前期? さらに すぐ近くから 4 基の鎌倉時代?の墓も発見されています




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御茶屋御殿跡展望公園の隣りの空き地にある 閑院宮載仁親王御観戦跡碑(つまりやね 陸軍の演習をここから見たちゅことやね)  載仁親王は伏見宮第20代邦家親王の皇子 明治5年 閑院宮家へ養子に入り継承  くわしくはこちらへ           




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          椎茸?





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さて 意賀美神社のほうへ



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意賀美神社へは さらに石段を登り




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                                     意賀美神社


意賀美神社は 丘陵の高みの万年寺山に鎮座しております なぜここを万年寺山というのかは この場所に 872年聖宝上人が長松山万年寺を創建したから・・・いえいえ 天平勝宝の頃 この辺りで銅銭「万年通宝」が鋳造されたからといいます  万年寺山には 万年寺と須加神社があり 万年寺は明治3年に廃仏毀釈により廃寺となり 残った須加神社は 伊加賀の意賀美神社と岡の日吉神社を合祀して 明治42年に 今の意賀美神社になった 伊加賀の意賀美神社は式内社とされているが 確かなことはわからない  伊加賀という地名も 物部氏の先祖 伊香色雄と伊香色謎が この辺りに住んでいた?ことにちなむという 



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意賀美神社の石段の横に残る 万年寺の十三重搭(上部欠損で九重搭) 製作年代は不明 




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                            長松山万年寺の石柱





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万年寺山古墳(万年山古墳) 跡


意賀美神社境内の中に万年寺山古墳がありました(というよりは万年寺山古墳の中に寺や社があった) 1904年 ここに古墳があるとはわからずに 山を切り崩しての小学校運動場の拡張工事中に遺物(木棺・玉・刀剣・銅鏡など)が発見されここが古墳だとわかったのですが 時すでに遅しで ほとんど破壊されていました  万年寺山古墳は 墳長100m 後円径68m 高12m 前方長34m 高6mの立派な前方後円墳?です この近くの天野川両岸にも100m級の前方後円墳があり 万年寺山古墳出土の銅鏡の中に椿井大塚山古墳の銅鏡と同笵のものがあり 木津川 淀川などの水系を支配していた豪族の古墳だったとおもわれます 出土した銅鏡は全て 東京大学(現在東大総合研究所博物館蔵)が持ち去りました 早く返せ!!





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とりあえず 先へ進みましょう 意賀美神社の長い石段を降りて 田中家のむくの木を見に行きましょう




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最近 設置された案内版  遠くから眺望できるむくの木ですが 土地鑑のない人には近くまで行けないでしょうね この案内版でも無理です



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だらだらと 静かな住宅地のゆるやかな坂道を歩きます




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むくの大木が見えてきましたが 近くまで行けない・・・・・






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                             田中家跡

むくの木はもともと河内鋳物師田中家の邸宅にありました 田中家は 江戸時代に公家の真継家支配のもとで北河内の鋳物業を独占した家 昔はここに邸宅が残っていましたが 現在枚方市立旧田中鋳物民俗資料館として 藤坂の枚方市文化財研究調査会敷地に移築されています 田中家はあの渚院跡の観音寺の鐘楼を造りました  

公家の真継家は 地下官人・・・つまり下級の官人で 蔵人方として 同じ地下官人の蔵人方出納平田家の支配下で全国の鋳物師を・・・あくまでも朝廷の名において・・・統率しました






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むくの木に行くには家と家の間を・・・・これは わからないでしょうね ここには案内版もないし





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細い 路地を行くと 高台から視野が拡がります すぐ横にむくの大木が



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                        むく(椋)の大木 大阪府天然記念物
私のカメラでは 全体を捉えることは出来ません 樹高21m 幹周り5.4m(地上から1.3mの高さで計測) 樹齢推定600年から700年だそうです 表面がザラザラした椋の葉は 鋳物の研磨に利用されたといいます  天平勝宝の頃 この辺りで銅銭「万年通宝」が鋳造されたことと 田中家などの鋳物師たちと何か関係があるのでしょうか・・・ね


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下から見たむくの木 淀川を往く三十石船や京街道からもよく見えたといいます



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ということで そろそろ帰りましょうか  昔 まだ息子や娘が小さい頃 枚方パークからの帰り道この辺りに寄り道しながら歩いていると タヌキの親子が出てきて びっくりしたり 喜んだりしたりして・・・ まあ どうでもいいことですが・・・




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                                                        おわり

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