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zoom RSS 京都散歩 初めての西本願寺 後編

<<   作成日時 : 2011/10/25 22:42   >>

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さて 前回 西本願寺 前編の続きです



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まだ 紅葉していないのでイチョウについてはさらりと 本願寺境内にイチョウの木が3本あります 御影堂前の大銀杏(画面左 樹齢は約400年 天然記念物)現在御影堂修理小屋のためによく見えません 阿弥陀堂前の大イチョウ(画面奥)  御影堂門脇のイチョウ(画面右)この木が一番 境内の中で目立っていました 



ここで 本願寺の歴史についてさらりと なぜ 西と東があるのかというと・・・・蓮如(1415 〜1499)によって巨大教団になった本願寺ですが 顕如・教如父子の時に大坂石山で信長と敵対します この時 一枚岩と思われた本願寺ですが 和睦の勅命を前に 信長との講和を支持する勢力(顕如派)と 徹底抗戦を主張する勢力(教如派)とに内部紛争が起こります・・・これが本願寺の派閥抗争の始まり
その後 1591年秀吉から 現在の西本願寺(竜谷山本願寺)の場所に地所を寄進されたが 翌年顕如が死ぬと 再び派閥抗争が始まります 秀吉は教如を隠居させ 弟の准如が本願寺住職となります そして 関ヶ原・・・教如は家康へ情報などを流して味方します その結果 1602年に教如は家康より烏丸七条に地所の寄進を受け 12世として東本願寺(真宗本廟)を別立し これにより 本願寺は西と東に分かれた 
家康が 本願寺の影響力が強大になり わざと分裂させ教団の力を減衰させたといわれているが 実は教如は隠居後も「裏方」と呼ばれ 隠然たる力を本願寺の中でもっていました 家康は関ヶ原で天下を平定したのに このままほっておくと大変な門徒集の派閥抗争が全国的に起こると恐れた・・大坂にはまだ秀頼もいましたし・・・・ここは教如におとなしくしてほしかったのではないでしょうか 新しい隠居所としての東本願寺を与えて・・・




平日の午後ということで 境内は 若干の修学旅行生?&外国旅行者?&フルムーンカップル?らしき人たちだけで 閑散としております




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国宝 飛雲閣 のほうへ行きますが もちろん中には入れなくて ここから全体は見えません



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近づいても三重の楼閣の一番上しか見えませんね  飛雲閣は滴翠園という庭園に建てられています もともと聚楽第にあったが 1595年に秀次が自刃した後 飛雲閣も取り壊され その後 1619〜24年頃 ここに移築したといわれています・・・ その間どこに隠していたんだよ〜と突っ込みを入れたくなりますが 今では江戸時代初めに建てられたとの説が有力です



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                           飛雲閣の全景      西本願寺



       

飛雲閣はあきらめて その奥の書院のほうへ行きましょう


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いやあ〜残念 飛雲閣同様 こちらも中に入れないので 外側から眺めるだけです 年に何度?か特別拝観をやっているようなのでその時でないと無理ですね
書院は対面所と白書院(檜の白木造) 奥に黒書院(黒漆塗り)があり白書院との間を伝廊がつないでいます 全てひっくるめて国宝 対面所と白書院は伏見城の遺構といわれていますが 対面所と白書院が随分と豪華な部屋になっているので伏見城の遺構といわれるのかもしれません 実際には 1617年に西本願寺で火災があり それ以降に建てられたといわれています 黒書院は歴代ご門主が寺務や生活をした私的な建物 伝1657年建立





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                        唐門  国宝

書院の前 北小路通に面して建てられている すぐ横に大玄関門がある




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                       北小路通から見た 唐門





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                 同じ場所から 明治時代の唐門




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極彩色で想像上の動物などが彫られています  
日が暮れるまで見ていても飽きないということで「日暮門」ともよばれています





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寺にはにつかわしくない門?です それで これも伏見城の遺構ではないかといわれていますが わかりません



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                  大玄関門 1847年
武家屋敷の門のようですね 左右に門番屋を持つ重厚な門で 幕府から十万石以上の大名家の格式に準じられいる



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             大玄関  江戸時代中頃?



本瓦葺き入母屋造りの妻入りに唐破風を設けた建物で 公式の行事などで 身分の高い来客をここで迎えた




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大玄関門の先 七条通に面して 元寺内町の総門(七条門 現龍谷大学大宮学舎の入り口)が建っています



  
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本願寺中央幼稚園  境内には幼稚園もあります 1924年創設 各地を転々とした後 1994年に現在地に移転




本願寺境内の隅っこでウロウロしてても埒があかないので・・・・





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御影堂のほうに戻ります




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御影堂(大師堂)  1636年建立  重文 東西48m 南北62m 高さ29m 平成の大修理で屋根の瓦の葺き替えが終り親鸞750回大遠忌法要に向けて何やら修復?準備?中です




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                  本堂(阿弥陀堂) 1760年再建  重文

東西42m 南北45m 高さ25m 本堂ですが 御影堂より一回り小さい建物です こちらも屋根はピカピカです




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ということで 拝観自由なので 御影堂の中へ  足場が組まれて 正面は天幕で覆われているのでここから中に入ります




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本日は人がほとんどおりませんが 御影堂外陣は 3000人を収容出来る広さがあるそうです 




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御影堂内陣 この右奥に親鸞聖人の等身大の木像(ご真影)が安置されている この木像には親鸞の遺灰が塗り込められているとか・・・・




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足場のため御影堂の正面にある広い廊下のところへはいけませんし 天幕で外がみえません しかたがないので 御影堂と阿弥陀堂を結んでいる渡り廊下で 阿弥陀堂へ




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阿弥陀堂からは外が見渡せます 阿弥陀堂の渡り廊下から 大イチョウの木





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阿弥陀堂は 1500人ほど収容出来るそうですが 今日は 平日の昼下がりなので修学旅行生 外国人等が数人いるだけです 香が焚かれ中は静かで 不思議と外の喧騒がしません ここで一服します 座るだけでなく 大の字になって寝そべったいのですが・・・それはちょっとね 断念しました




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                          経蔵 1678年 
  
                                                                         経蔵は「一切経(大蔵経)」を納めたもので 内部には書棚をもった八角形の堂があり この堂が回転する構造となっていることから「転輪蔵」と呼ばれています つまり 一回転すれば一切経を一回読んだことになる訳です


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さあ そろそろ帰ろうかなとおもっていたら ブックセンターの文字が・・・・気になって入ってみました


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予想通り 本願寺や親鸞やらなんやらに関する本がてんこ盛りでした


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公開時でも撮影禁止の飛雲閣 せめて模型だけでも撮影しちゃいましょう


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阿弥陀門のところで日本語版の西本願寺パンフを貰いました 本日 最後の一部だそうです セーフ

                ということで  おわり・・・・・・ 

                           えっ・・・・東本願寺には行かないのかって・・・・・
                          ・・・・・・・・・・・行きますよ・・・・別に差別しているわけじゃないです                                           
                                      次回は 初めての東本願寺です                                        

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