なぎさ

アクセスカウンタ

zoom RSS お初天神に五分咲き桜を観に行く

<<   作成日時 : 2013/03/25 21:09   >>

トラックバック 0 / コメント 0

寒い日と暖かい日が交互に続く上方ですが みなさんの地方はどうですか  内外ではいろんなことがありました バチカンや中国では 新しい指導者が決まりましたね 箸墓古墳で研究者による立ち入り調査がありました そんなこんなで記事したいことがあったのですが さぼりました そういえば アカデミー賞も決まって 映画なんかのことも書かないといけないな〜と思いながらも さぼりました


というわけで 3月下旬 なんの脈絡もなく お初天神に五分咲き桜を観に行きました


画像

扇町通りに面した お初天神通り入り口 本来は裏道ですが 現在はこちらのほうが表になっています 昔はこのあたりは低地で あまり人が住まないで田畑や森が広がっていました  大川(旧淀川)べりの中之島や船場が大坂の中心地だったし 京や江戸からの人々は船で大坂八軒家に着いたらそこから 南は四天王寺や住吉社 果ては熊野詣でに向かいました 北は天神橋を渡り 大坂天満宮や露天神社(お初天神)へ詣り 果ては西国へと旅立ちました・・・ 


まあ そんな御託はどうでもよろしい 早速 裏道をいきませう

画像

裏道ですが 現在のお初天神通りをいきましょう 左横は大阪北小学校跡(旧曽根崎小学校)2007年廃校 大都会のど真ん中に小学校があったんですよ でもね・・・生徒が・・・・少なくてね・・・・



画像

曽根崎心中のイメージがあるのかどうかわかりませんが なにかしらのロマンめいたものを期待して 地方から来る方は お初天神に行ってみたいらしいですね




画像

で 初めて来た方は 期待を裏切られたというより ああ こういうところか・・・ なるほどね・・・ と言う感じで妙に納得してしまいます まあ 江戸時代さながらに 天神の森の中の古社というわけではありません



画像

そうこうしているうちに 裏口ですが・・お初天神に着きました  森ではなく ビルに囲まれてます



画像

くどいようですが 裏参道から 境内に入ります


画像

                     摂津名所図会

露天神  曾根崎にあり 世人曾禰崎天神と称す 祭神菅公 例祭九月二十日 伝へ云ふ むかし菅公筑紫へ謫遷の御時 福島に船泊したまひ 太融寺仏詣あらんとて 船頭茂太夫案内者となる この道のほとり露いと深くありければ 菅公御神詠に 露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思ひいづれば これより露天神の号あり 
また老松町には老松祠あり 総じてこの辺を 俗に北の新地・堂島新地といふて 宝永五年の開地なり 
常に賑しく タ暮より両側には軒の懸行灯かがやかしく 紅顔雪肌の輩ゆききして 楼上には琴曲・糸弦の音麗しく 芝居あり 射場あり 西の町端を編笠 茶屋といふて 江鮒を製して雀酢と名づけ名産とす みなこれ天満る神の余光なるペし


江戸時代までには 菅原道真(天神)となんらかの関係があったという伝承が出来上がっていたようですが 確かなことはわかりません


画像

境内には 近辺にあった4つの稲荷が明治42年「北の大火事」で焼け ここに移されています そこのところに 曽根崎心中の 徳兵衛とはつのブロンズ像(写真左)があります 曽根崎心中に関しては 以前詳しく 記事にしたのでそちらのほうを  →「曽根崎心中」初版の完本発見 その記事で 曽根崎の露天神社で2人が心中したと書きましたが 正確には 露天神社の鎮守の杜(天神の森)で心中ですな


画像

当然ながら 境内は曽根崎心中だらけ?です


画像

水天宮と金刀比羅宮も境内にあります これも明治42年「北の大火事」でここに移されたものです もともとは水天宮は久留米藩蔵屋敷(後に丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀)に 金刀比羅宮は丸亀藩蔵屋敷(後に高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀)にあった



画像

明治42年「北の大火事」 露天神社  曽根崎一体は焼け野原になった




画像

                            お初天神(露天神社)の本殿   
旧本殿は大東亜戦争でまたも焼失・・・当時の写真を観ると一面焼け野原で ほんとなにもありません・・・ 昭和32年に建造 




祭神は大己貴大神 少彦名大神 天照皇大神 豊受姫大神 菅原道真です 創建ははっきりしたことはわかりません もともと 大川(淀川)の川筋に出来た中洲(曽根の州)に住吉住地曾根之神を祀っていたという 住吉というからには もちろん海と関係ありますね これは難波八十島祭の旧跡ともいわれております 海の満ち干きと大川の流れによって 様々な形で生まれ姿を変える中洲が国生み神話を造りだしたともいわれておりますな 

その後 海が後退し 大川の流れも落ち着いてくると この辺りに人々が住み始めます 曽根崎村の氏神社として姿を変え 平安時代頃には露天神社となっていました




画像

          露天神社の名の起こりともいわれている 浪速七名井のひとつ神泉 露の井





画像

さてさて 肝心の桜です・・・ もう天神の森など跡形もなくなり 千年もの昔からこの地の移り変りを観てきた天神社 周りを高いビルに囲まれている現在をどう思うのでしょうね 


                  満開の桜より 五分咲きの桜のほうがいい

とは 私の友人の言ですが 散る心配より 満開に咲いてくれるか心配するほうがいいという




画像

                          ちなみに こちらが 正面です




                 おまけ
画像



画像



画像

お初天神脇に残る 曽根崎新地の一部 曽根崎新地といえば 北新地が有名だが かつては この辺りは繁華街で賑わった まるで 取り残されたかのように昭和の匂いが・・・・・







画像

で お初天神はこれくらいにして 私は本当の目的である 浪速の古本屋めぐりをしたいと思います(笑)



                                               ということで おしまい



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
お初天神に五分咲き桜を観に行く なぎさ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる