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zoom RSS 志賀直哉旧居 内部探索  奈良散歩その5

<<   作成日時 : 2013/11/15 18:38   >>

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さて 前回の二階から 一階の探索へ参りましょう 


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                     まずは 書斎から

6畳の部屋で畳を入れず洋式にした この書斎で「暗夜行路」を完結し その他の作品も書いた 住居の北側に位置し日陰であるが 日差しの変化が少なく落ち着く 窓から庭の樹木を通して御葢山 春日山 若草山等が眺望できる 部屋の天井は数奇屋風で葦張り すす竹 なぐりのはり等の調和がすばらしい 書斎西隣の納戸(6畳)を書庫にした 書斎へは関係者以外 子どもたち等も入ることを禁止した とのことです 机と椅子(複製?)だけだからでしょうか なんとなく殺風景です・・・私は本に囲まれていないと落ち着かない性分なので(笑)・・・

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この書斎も修復されて当時の状態に戻されています・・・・っていうか 志賀直哉旧居は 志賀一家が東京へ引っ越して行った後 昭和14〜21年までは 関信太郎(1884〜1964)が入居 22年〜26年までアメリカ軍に接収されて 将校用住居にされています この時点で家はかなり改造されてしまっています(周囲の壁もブロックや漆喰だった・・現在すべて土塀に復元) 復元補強工事は 平成20〜21年におこなわれました(旧居は復元される前から一部公開されていました・・・)


 復元についての詳しい経緯はこれを観てもらうことにします→ 志賀直哉旧居復元について



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風呂場や洗面所なども復元されています  お風呂は現代では珍しい角型の五右衛門風呂で使用可能!?だ そうです 私の田舎のお風呂も昔は五右衛門風呂でむきだしの鉄釜でした 中には下駄を履いて入りました




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          女中部屋から台所  このあたりもかなり様子が変っていたのを 復元しています



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                       台所も完全に復元されています 

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                           復元前の台所 平成19年



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台所から続く食堂・・・・食堂は9.84坪(約20畳) 白壁の天井 珍しい赤松の長押(なげし) 大きな牛皮張りのソファーなど数奇屋風 洋風 中国風を調和させ  美しくモダンな造りになっています ひっきりなしに訪れる来客はここで家族と一緒に食事をしました。また 子供たちの娯楽室でもありました 
・・・・取り付けられている照明器具は納戸から見つかった当時のもの  机や椅子は当時の写真を元にして複製しています  ここで志賀一家は食事をしていたのですね・・・食堂ですからあたりまえですが・・誰もいないので 私もしばし椅子に腰掛けてみました・・


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                         食堂からサンルーム


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サンルーム いわゆる高畑サロンと呼ばれた場所・・・サンルームは7.45坪(約15畳) 大きく明るいガラス張りの天窓があり 床は特注の瓦(磚)が敷かれています 部屋の隅には実用と装飾を兼ねた手洗いがあり 食堂からサンルームへの出窓とカウンターがモダンです この部屋に多くの文人画家が集い 芸術を語り人生を論じたり、麻雀 囲碁、トランプ等の娯楽に興じました そのような集いが人間的な交際の場や文化活動の核となり「高畑サロン」と呼ばれるようになりました
・・・ここに谷崎潤一郎や小林秀雄がやって来た・・・まあ 昭和文学青年に取っちゃあ聖地みたいなところですな・・・ここも当時のままに復元されていました

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                   天窓もガラスをはめ込み当時のままに復元



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              サンルームから裏庭を望む さて ここから 裏庭へ出ましょう




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裏庭からサンルーム  左側の木は柿の木です 柿が実っていました 自由に取ってかまいませんとのことでしたが 渋柿ですね・・干し柿にするといいですが・・そういえば 2階の書斎の窓に干してありましたね 



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              夫人の部屋(左)と子供部屋 庭から春日山が見えます




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                  庭も当時のように復元されたとのことです
敷地435坪(建物134坪)あるそうで 我が家の10倍返し!!・・(笑)の広さですな・・


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裏庭にはなんと!? プールがあります・・・直哉は 大正3年に結婚して昭和7年までの間に2男7女をもうけますが うち二人が幼くして亡くなっています この旧居では五女と六女が生まれています 直哉は子供たちのために 庭の一角に小さなプールを作りました 子供に対する愛情が窺えます  とのことですが 私には防火用水にしか見えなかった・・・・


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庭の方から 夫人の部屋・・・南側で日当たりが良く台所・食堂と子供の部屋との中間に位置し 健康的であると共に能率的な場所にあります 床板の下は竹が入れられ 床柱は美しい赤松 棚の天井は葦張りで 女性向きの優しげな数奇屋風の部屋です広縁の一部は畳張りとなっており 母が子供へ干渉し過ぎないよう 子供部屋の広縁とは壁でふさがれ行き来できない造りになっています 夫人は押入れ上段右側の小さい棚の上へ仏壇をまつっていたようです  とのことです この部分は志賀一家のプライベートな一画です


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さて 夫人の部屋から上がって子供の寝室(10畳)へ・・・子供たちの寝室は 湿気を防ぐために押入れの床を一段高くしています 窓は外側が桟がはめ込みになったガラス障子 中間を板戸 内側を障子にし 風雨や防寒に配慮した造りです  とのことです 4人の子供たちはこの部屋で雑魚寝をしていました



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子供部屋のとなりの直哉の居間・・・直哉の居間は中庭に面した明るい部屋です 子供たちの寝室とはふすまを隔てて続きになっていますが 子供たちは勉強部屋と直哉の居間との間にある踏込から出入りしていました 踏込の壁の下部には柵がついた窓を設け 風を通すとともに親の優しい心を通わせました  とのことです 実際 日当たりはよくないし狭い部屋です 日常に使う部屋ではなく 寝室でしょうね



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子供たちの勉強部屋(8畳)・・・・子供勉強部屋も夫人の部屋と同じく南側の庭に面したところにあります 床にはコルクを敷き、壁には腰板を張った、子供の活動に配慮した造りです  机 椅子を入れて 子供たちはこの部屋で勉強しました サンルームと離れた場所に配置することにより子供たち 来客の双方が気兼ねなく振る舞える点 夫人の部屋の広縁との境界を塞ぐ事により子供の独立心を養おうとした点など 直哉の子らへ対する細やかな配慮と愛情が窺えます  とのことです 私は家人や子供たちにここまで配慮しておりませんな・・まあ それほど甲斐性があるわけではないので・・・




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          さて 家の内部はこれくらいして 表庭の方へ 右側の塀も復元しております


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               表庭へ向かう方へは 散策できるように小道が造られています
  


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表庭は 裏庭ほど広くはないが 池があります 生き物らしきものはいませんが 当時は鯉?などが泳いでいたのでしょう



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さて ここらあたりで 志賀直哉旧居を辞することにしましょう  志賀直哉や文学に興味がなくても 今どきの住宅とは違う昭和初期の高級住宅!?とはどういうものか体験するのもよいでしょう いうまでもなく 旧居は以前のように修復ではなく 当時の様子を復元して公開されています

                                  開館時間 AM9:30〜PM5:30 (3月〜11月)
                                         AM9:30〜PM4:30 (12月〜2月)     
                                  休館日  毎週月曜日(貸切日)及び年末年始


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                         旧居近くの志賀直哉がよく散歩した道



                                                          おわり


おまけ
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                     帰りの近鉄電車から 平城京跡



・・・・・・おっと・・ここで終わってしまうと 志賀直哉旧居を紹介した どこにでもある・・失礼・・記事と同じですよね 他の紹介記事が 紹介していない旧居の場所・・・そこを紹介しておきましょう


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志賀直哉旧居の便所  さすが志賀直哉ですな 昭和初期??の最新式の水洗トイレ(復元??)です これだとライバル谷崎の陰影礼賛もたじたじですな・・・・(笑)


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私の書棚から探しだした志賀ものの文庫本・・私は志賀直哉のファンでもないので 志賀の文学についてどうこう語ることはしません あんまり 著書も読んでませんし(笑) で・・ もう時効なので・・書きますが 私は京都時代に京○女子大学の学生を相手に 講義レポートの代筆やらなんやらのボランティアを闇でしておりました・・・いや〜なかなかデンジャラスですな(笑)・・・まあ ほとんどの学生が 作家をそのままストレートに論じようとするわけですな・・これはなかなか書くのが難しい かなり読み込んだり 資料にあたらないといけないし 何より 自分自身の文学的感性がなくては おやっと思うような論文やレポートは書けません そこで私が アドバイスしていたのが 何かと比較して論じる・・・そのほうがわかりやすく 比較対象を変えることでバリエーションが増える!!(笑)し 書きやすい・・・例えば 志賀直哉なら 太宰治や織田作之助(太宰や織田は志賀を嫌っていた)と・・・いや これだとまだ大雑把なので 暗夜行路の時任謙作と夫婦善哉の維康柳吉の人物像の相違について・・・とか



と・・いうことで 次回は 織田作之助です・・・ってここにもって行きたかっただけですが(笑)



                                      口縄坂と織田作之助  大阪散歩その2へ


 

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