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zoom RSS 奈良坂あたりを散策その2  般若坂

<<   作成日時 : 2015/01/02 01:44   >>

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さて 前回の転害門前から 今回は旧平城京外京東七坊大路(東京極大路 京街道 現国道399号)を北へ向かいます


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もちろん 旧道は跡形もありません その昔はこの往来は奈良と京を行き来する人たちで賑わい 旅籠や飲食店が軒を並べておりました この道を歩きます


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    その前に 不案内の方には 転害門門前跡に 案内所がありますのでここで案内を乞うてください


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バス停のある今在家で国道と分かれて 左側の旧道を行きます すぐ佐保川の橋を渡ります 


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           佐保川 奈良時代からほとんど川筋は変っておりません

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橋を渡るとすぐに般若坂が始まります その昔佐保川の橋を渡り 浄福寺門前までのこのあたりは民家も途絶え 藪が広がる寂しい場所でした それもそのはずで 江戸時代 興福寺南大門前(猿沢池西側の三条通高札場)で

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                            三条通高札場 跡

罪状(斬首刑)を言い渡された罪人が ここまで引き回され 佐保川の橋のところで このあたりに住む「穢多 非人」に引き渡され 佐保川の川原や 街道脇の藪中で執行された 晒し首もあったというから 街道脇に刑場があったわけです

吉川英治の宮本武蔵 般若坂の決斗はこのあたりのことでしょう もちろんフィクションですが・・・映画(1962年版)では だだっ広い場所(ロケ地奈良公園)に十三重石搭?が小道具としてあったりして これは般若寺の石搭をイメージしたのでしょうが 当然ながら実際の場所とは雰囲気が違いますね

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                       街道脇の民家 屋根に鍾馗様が・・・



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            街道脇の細道・・・確かこの先に道標があったはずですが・・・寄り道します

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ありました・・・細道の坂を登りきった民家の脇に建っています 北面 左うぢ京みち 南面 是より大和廻りはせかうや道 東面 法花寺 西大寺 尼ヶ辻 大坂道 西面 すぐ うぢ 京道 文字はかなり読みづらいですが 文面からはここにあるのはおかしいですね 転害門門前あたりにあったものか?


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さて さらに般若坂を登ると 大正時代に建てられた旧奈良市水道計量器室(前方のレンガ造りの古い建物)のところで旧道は右にカーブしています 真っ直ぐに行くと・・・寄り道します


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奈良少年刑務所に行き当たります 元々は 明治34年に現在地に移転して来た奈良監獄(刑務所) この門をはじめ建物は明治41年に建てられた ロマネスク風?・・・建築です 当たり前ですが一般人は「矯正展」以外は中には入れません



さて寄り道これくらいにして 街道へ戻ります

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    先ほどのカーブのところ奈良市水道計量器室の前にあるのが 史蹟 北山十八間戸です 

北山十八間戸は よく知られていますので 詳しいことは省きます 癩病患者のための 保護や治療をする福祉施設というのが説明されています 建物は東西約38m 奥行き約3.9mの細長い棟割長屋で 約2畳の病室が18戸(東の一戸は仏間)に区切られている 江戸時代まで使われていました その後 大正12年に史蹟指定を受けました 現在の建物は傷みが激しかった建物を 復元修復したものです  


鎌倉時代の中頃、僧忍性(1217〜1303)が、不治患者救済のため、北山に宿舎を設けたもので、はじめ、般若寺の東北に建立されたが、永禄十年に焼けたため、寛文年間に、東大寺・興福寺の堂塔を南に眺められて、不幸な人々の養生にふさわしい今の地へ、鎌倉時代の遺風を承け継いで建てられたものである  奈良県教育委員会

ということですが 忍性が創建したとされる般若寺の北の鎌倉時代の癩病患者の宿舎が 現在地に移転したとされるのが定説になっていますが 北山十八間戸と関連付ける確かな史料がないのです それだけではありませんが 
北山十八間戸には謎が多いです 江戸時代 街道を行き来きする人々に癩病患者が物乞いをしていたといわれています そして 患者の世話をしていたのが 先述した「穢多 非人」でもありました 


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                 ここで亡くなった癩病患者の供養搭や石仏なのか・・・・       

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                                    裏戸



さてさて 北山十八間戸から 街道を先に進みます
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                        左側の石垣と白壁は浄福寺


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     そして 浄福寺の前にあるのが 夕日地蔵 1509? 永正6年4月興福寺住尼推律師の銘あり 
昇る朝日に顔を照らされる 朝日地蔵は数々あれど 沈む夕日となると・・・ね これも 般若坂ならではのお地蔵様ですね 今では 建物の間に囲まれていますが 往時は 街道の脇で存在感を出していたのでしょうね 會津八一(1881〜1956)が この地蔵を歌に詠んでいます

                 ならさかの いしのほとけのおとかひに
                             こさめなかるる はるはきにけり





                                         奈良坂あたりを散策その3 般若寺へ



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