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zoom RSS 奈良坂あたりを散策その3  般若寺

<<   作成日時 : 2015/02/01 19:23   >>

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さて 気を取り直して 先へ進みましょう 前回は般若寺手前の般若坂まで


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般若坂をだらだらと登ります それほど急な坂道ではありません 現在 般若寺の南側のこの坂道を 「般若坂」と呼んでいますが 古絵図などでは「千坊坂」と書かれていたりして(南都般若寺 四至境内古絵図 年代未詳 江戸時代初め頃? 永禄の変1565年以前の様子を再現か?)います


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やがて 坂はほぼ平坦になり 京街道は真っ直ぐに続きます まもなく 般若寺の楼門が見えてきますが 実は先述の「般若寺四至境内古絵図」には この京街道が般若寺の境内の中を南北に貫いて書かれています 三好三人衆らによる永禄の変(多聞山城戦1567年)で般若寺が焼失する前はかなり広大な伽藍の寺でした

 

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                      般若寺の楼門が見えました



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                        般若寺楼門  鎌倉時代  国宝

この楼門は1180年の南都焼き討ちの後 鎌倉時代に再興された中心伽藍の回廊門遺構 和様に天竺様式を取り入れた入母屋造・本瓦葺き 多聞山城戦での焼失を免れた 

現在 京街道はこの楼門の前を通っております(いえいえ 現在どころか古代?から通っております)ので この楼門を般若寺の正門と思われる方がおられますが回廊門です 今は伽藍はかなり縮小されており 南大門(正門)は別にありました 

般若寺は創建時期がよくわかりません 奈良時代にはこのあたりに寺院があったらしいのですが 本格的な発掘調査がされていませんので今の般若寺との関係がわかりません  ただ その昔(おそらくは戦国時代以前)は京街道(奈良時代は東海道 東山道 北陸道)をその境内に取り込んでいたということから 何か事があった時は 境内の門を閉め 中に南都寺院の僧兵が詰め 佐保川の橋を落して奈良(南都)を防御するという役割があったのでしょう 
般若寺は京と奈良を結ぶ主要街道が境内の中を貫いていたということから 以前から興味があった寺です 初めて京・大和街道の調査をしたのは40年ほど前の高校生の頃ですが 当然ながらその頃も痕跡はありませんでしたが・・・


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秋にはコスモスが咲き乱れる境内に建つ十三重石塔 鎌倉時代 重文 南宋から来日した石工・伊行末(?〜1260)の建立 伊行末を創始とする石工・伊派は奈良や各地に作品を残しています  般若寺といえばこの十三重石塔ですね 
現在 境内に伊行末の息子・伊行吉によって建立された笠塔婆 2基 重文 が残っておりますが 古絵図によると以前この笠塔婆は境内の外 南大門の横の門(京街道・南北が通っていた門?)の脇の道(現在の旧般若寺墓所へ向かう道・東西ですが 古絵図ではこれがかつての南大門前の道?)にあったようです 明治20年頃に境内に移動されました

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                            般若寺の拝観入り口 

 般若寺は度重なる兵火の焼き討ち 明治の廃仏毀釈などで荒れ寺になっていました 1960年代から本堂などを再建 コスモスが咲く秋頃に行かれることをお薦めします




                                   奈良坂あたりを散策その4  奈良豆比古神社


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