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zoom RSS フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展 京都市美術館

<<   作成日時 : 2015/12/10 00:44   >>

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師走に入り 今年も一か月を切りました みなさんのところにも マイナンバーが来ましたか なんか 胡散臭いもんですね 普通に考えて 我々には何のメリットというか 必要性がありませんね どこのだれかが得をして楽をするんでしょうかね・・・それでなくとも 私はクレジットカードからポイントカード ID番号からパスワードまで 様々なところの何らかのマイナンバー?を持っていますが ええ加減管理が大変というか なんというか・・・

というわけで 奈良 大阪に続き 京都です


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            フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展 
                               京都市美術館  2015年10月24日(土)〜2016年1月5日(火) 

京都市美術館は 8月のルーブル美術館展以来 今年は2度目です

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            本日 京都は雲一つない晴天です 風もなく穏やかな冬の日ですな


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                      お馴染みの京都市美術館    

さて 17世紀のオランダ黄金時代の巨匠ということで フェルメールとレンブラント・・・まあ この二人を押さえておけば 間違いないとでもいうような しかしながら二人の作品は一点ずつしか展示(レンブラントに帰属作品が一点あり)されておりません オランダ黄金時代といっても 1560〜1660年の100年ほどのことです ちょうど 日本は戦国〜江戸時代初めです 日本は鎖国に入りましたが オランダとは通商しておりましたね もし 日本が鎖国をせずに 世界に乗り出していたら(つまり 信長が生きていたら・・) オランダの黄金時代はなかった? ということで 本能寺の変と鎖国の黒幕はオランダだった・・なんてね


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       ラトナとリュキア人の農民 アブラハム・ブルーマールト 1646年 ユトレヒト中央美術館蔵

アブラハム・ブルーマールト(1566〜1651)は オランダのホルクム出身の画家 ユトレヒトで絵を学び 若い頃にパリに出て フォンテーヌブロー派やその他の影響を受けました 再び ユトレヒトに戻り この地で生涯を過ごします 真っ赤な服を着た 農民の女というのも 何かおとぎ話の絵のようですね それもそのはずで 古代ローマの詩人オウィディウス(BC43〜AD17)の変身物語がモチーフになっています


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  港町の近くにて コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン 1615-20年頃 ロッテルダム海洋博物館

コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン(1577〜1633)は オランダの画家 オランダのハールレムで生まれてハールレムで死にました 海洋絵画が専門で 風景画 だけでなく 歴史的な海戦などを主題にした絵も描いています この絵に描かれている帆船のようなのが 遠く長崎までやって来たのでしょうかね この時代がオランダの海洋国家として一番輝いていた頃です


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          ウィレム・カルフ  貝類と杯のある静物 1675年  財団美術館(オランダ)

ウィレム・カルフ(1622〜1693)はオランダ ロッテルダム出身の静物画専門の画家  細密描写(いわゆるスーパーリアリズム的な)つまり 静物にしても 風景にしても 人物にしても もちろん 寓話や想像画にしても いかに写実的に描いていたか・・当時日本にもオランダを通して 写実的絵画が紹介されていたでしょうが 日本には根付かなかったですね 観たものをそのまま描くのは当たり前で もっと工夫しろということですか・・・ 


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      上 男性の肖像 下 女性の肖像 イサーク・リュティックハイス  1655年 ロッテルダム美術館


イサーク・リュティックハイス(1616〜1673)は ロンドンで生まれのオランダ人画家です これらの肖像画は 裕福な階層の人たちの注文で描かれました 大きな屋敷に流行りの画家(パトロンになっている)に絵を描かせ 飾る・・というより 見せびらかすのが ステータスだったのでしょう 


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     女性と召使いのいる中庭  ピーテル・デ・ホーホ 1660〜1年? ロンドン・ナショナル・ギャラリー         
ピーテル・デ・ホーホ(1629〜1684)はロッテルダム生まれ この作品は日本初公開だそうですが 透視画法を使い 奥行のある画となっています 人物が中央と奥の通路に描かれ 何らかの意図がありますね 読み取れましたか   デ・ホーホはフェルメールと同時代の画家で お互い親交があったみたいで 同じ場所や構図の似た絵があります 


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      帽子と胴よろいをつけた男  カレル・ファブリティウス  1654年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
                  
カレル・ファブリティウス(1622〜1654)はアムステルダムのレンブラントの工房で絵を学んだが たぐいまれなる才能を発揮 後にデルフトへ移り 工房を立ち上げる しかし 1654年 火薬庫の爆発事故で工房も破壊され ファブリティウスも重傷を負い 32歳で亡くなる この事故で作品の多くが焼失 現存する作品は10点ほどです レンブラント ファブリティウス フェルメールと継承されていきますが フェルメールほど話題にならないのは 女性を描いた作品が殆ど残っていないから?   


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          水差しを持つ女  ヨハネス・フェルメール  1662年  メトロポリタン美術館
 
ヨハネス・フェルメール(1632?〜1675)の日本初公開作品です 以外と小さいものです 朝?の淡い光の中で清楚な女性の一瞬の動きをとらえています よく見ると はっきりとしたタッチで描かれていません 少し離れて観ることで そのぼけ具合が 朝の空気感を出しています このような画風が フェルメールの特徴であり万人受けするんですかね・・・

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             ベローナ  レンブラント・ファン・レイン  1633年  メトロポリタン美術館
       
レンブラント・ファン・レイン(1606〜1669)は言わずと知れた ヨーロッパバロック絵画を代表する画家です ですが 最愛?の妻のサスキアが1642年に亡くなると 人生が暗転します 持って生まれた浪費癖がひどくなり 愛人たちの確執 仕事への意固地などで とうとう 破産してしまいます レンブラントほどの画家が破産するのですから 相当破天荒なことだったのでしょう この ベローナはレンブラントの初期の作品で古代ローマの軍神マールスの妻?とされる戦争の女神です ポイントはメドゥーサの盾を持っていることですね 私の読み解きですが 戦いの女神がメドゥーサを持っているのです もう無敵ですね しかし メドゥーサはペルセウスの知恵によって退治されてしまいます つまり どんなに強い女も 男の知恵にはかなわない・・と ちなみにこの絵のモデルは サスキアとされています 

17世紀は オランダだけではなく スペインもイギリスもフランスもポルトガルも世界に乗り出して行った時代ですその中でも 東インド会社を拠点に オランダは飛躍的に発展しました 今回は60点ほどの展示でしたが まだまだ 17世紀オランダ絵画の世界は奥が深いですぞ・・・・ 


おまけ

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             さて 市美術館の前庭で発掘調査が行われておりました

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京都市埋蔵文化財研究所は 京都市美術館敷地内の発掘調査で 1128年に建てられた円勝寺と成勝寺(1139年?)の境界にあたる溝が見つかったと発表した 

六勝寺跡の発掘調査でしたね 六勝寺は一度に建立されたのではなく 最初に法勝寺が1077年に 今の京都市動物園付近に建てられたのが始まりです

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                             六勝寺復元図
円勝寺の規模については東西方向に2町(約240メートル)と1町の両説あったが ほぼ1町だったことが確認された

復元図の中央に円勝寺が 描かれていますが 復元図の方は東西2町になっています 右側の八角九重塔があるのが法勝寺


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 調査地は同館敷地の北西部分で 院政の時代に建立された法勝寺を筆頭とする「六勝寺」の造営地にあたる 見つかった溝(幅3.6m 深さ0.8m)は南北方向にのび 石や瓦が敷き詰められていた 溝を挟んで西側の成勝寺の敷地は30センチほど低く整地されており 築地塀の跡も確認された 円勝寺と成勝寺の間には道路を設けず 溝と段差によって境内を分けたと考えられるという

復元図では成勝寺との間に道路が描かれていますし 円勝寺が1町規模だったとすると 成勝寺の規模が大きなるのか・・どちらにしても 復元図とはだいぶ様子が違うようですね

また 調査地の北側では円勝寺北側の築地塀跡も見つかり これまでの調査と合わせて 円勝寺北側の道路の幅は約30mだったことが分かった 鴨川を挟んで西の二条大路につながる道路で 平安京の大路に匹敵する規模だったことが初めて確認された

 円勝寺北側の道路については ほぼ推測されていました ただ この道路が 当時の東海道(後の鎌倉道は別のルート ここでは 平安時代の東海道である法勝寺道のこと )とどう関係していたのか いないのか・・・

同研究所は「円勝寺と道路の規模が分かったことは大きい 白河街区と六勝寺を考える上で大きな手がかりとなる」としている

平安京(周辺も含めて)の発掘調査は 全体の10%もされていません 京都での発掘調査は市街地となっているために中々出来ません しかも もっと重大なことに 各時代ごとに遺跡が重なり より古い時代を発掘調査すると その上の時代の遺跡を破壊してしまう恐れがあります 平安京の発掘調査は 事前調査をしっかりして かなり慎重に行わなければいけません 千年の都ですから 何が出てくるかわからない・・・



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        ということで 帰りは四条河原町をぶらぶら 街はすっかり クリスマス


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   松竹南座では 吉例顔見世興行  〜26日まで  顔見世が終われば いよいよ 京都は晦日です



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