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zoom RSS 大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史  神戸市立博物館

<<   作成日時 : 2015/12/21 03:24   >>

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今年もあとわずかなりました ここ上方では師走ということで慌ただしいのですが 私どもはいつもどおりで マイペースを続けております 皆さまはの地方はいかがでしょうか・・・さて 奈良 大阪 京都とやって来た展覧会巡りも いよいよ神戸となりました



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               大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史  神戸市立博物館
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  三ノ宮 IKUTAロード  ギョェ〜ェ 寒いです 神戸は 六甲から吹きおろしの風と海からの冷たい凪が・・・天気はいいんですけど・・



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      寒いので早々に 神戸市立博物館へ ここへは マウリッツハイス美術館展に「真珠の耳飾りの少女」を観に行って以来です ついこの間のような気がしますが もう3年前なんですね




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100のモノが語る世界の歴史というのは・・英国・ロンドンにある大英博物館は 人類の文化遺産の殿堂として約700万点に及ぶ膨大なコレクションを誇ります 本展は、大英博物館館長ニール・マクレガーによる解説で人気を博したBBCのラジオ番組にもとづき 8つの全所蔵部門から厳選された100作品を通して「世界の歴史」をたどろうとする壮大な試みです・・だそうです 要するに 英国が世界中から分捕って・・失礼・・かき集めてきたモノを 小出しにお見せしますということです・・・ね




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              オルドヴァイ渓谷の礫石器  200万〜180万年前 タンザニア
礫石器は 動物の骨などを割る時に使われたモノだそうで 骨髄の脂肪分を取り出した 骨髄のような高カロリーの食料を得られる道具を作り出したことは人類の脳がより大きく複雑になるきっかけを作ることになっていくらしい まあ 私が見る限り 道具というより只の石ころとしか見えない それと気になったのが これが 「大英博物館」の最古のコレクションと書いてあったことだけど ロンドン自然史博物館を除いて最古のコレクションということですね
注・・ロンドン自然史博物館というのがあるが こちらも正式には大英博物館です つまり 現在大英博物館と一般に呼ばれているものが2ヶ所にわかれている 知らないでタクシーで行くときは間違いますよ




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                      縄文土器(深鉢)  紀元前5000年頃 日本      

私でも 一目見て初期の縄文土器だとわかりますが なんとこれには 木の蓋が付いていて 土器の内側に金張りがしてあります この鉢は 19世紀になって内側に金が貼られ 茶道の水差しに転用された 有名な医者で博物学者シーボルトの息子から大英博物館が購入した という どこで 出土したかわからないので 学術的には価値が少ないが 来歴的には興味深いですな・・・





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                 ウルのスタンダード  紀元前2500年頃 イラク

シュメール人の・・・ メソポタミアの古代都市ウルで 王家の墓から見つかった「箱」・・いや 「箱」なのかね? 「スタンダード(軍旗)」と呼ばれていますが どうも私には調度品の一部と思えるのですが・・ これは大英博物館でも有名な収蔵品ですね 発見されたときは もうボロボロでしたが 見事に修復されました まさに 修復の凄さも感じさせるものです




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             アッシリアの戦士のレリーフ  紀元前700〜前695年  イラク

これも よく見る有名な収蔵品ですね 時代的には 新アッシリア時代 強大な帝国を作り上げました  このレリーフは 古代アッシリアの王宮の壁を飾っていたもので センナケリブ王(紀元前705〜 681)の軍事遠征をたたえている 描かれているのは帝国内で徴収された近衛兵で アラム人の弓兵とレヴァント出身の槍兵とみられる   しかし 栄華を極めたアッシリアも 609年新バビロニアに滅ぼされる





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                  ガンダーラの仏像  100〜300年 パキスタン・ガンダーラ



これも 有名というか ヘレニズムの代表的仏像です これが 中国に渡り 朝鮮半島を経て日本にやって来た時は かなり違っていますね 仏像というと もう 当たり前的なイメージがありますが 一番最初に ギリシャ彫刻を見て 仏像を造ろうと想い立った人は 凄いね





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               モチェ文化の壷(戦士)  100〜700年 ペルー

南アメリカで最初に組織的な国家を築いたのは 現在のペルーに西暦100年から700年に暮らしたモチェ族だと言われている  モチェというと インカ帝国以前の アンデス文明の一つですね あの「太陽のワカ」「月のワカ」の神殿ピラミッドが有名です 後のインカにも影響を与えたと思われますが 何せ 文字がなかったので よくわからない謎の文明ですな 





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               聖エウスタキウスの聖遺物容器  スイス・バーゼル 1210年頃

古代ローマの トラヤヌス帝(在位98〜117)に仕えたローマの将軍であり殉教者 聖エウスタキウスの遺骨のかけらを納めるために作られた容器 いわゆる舎利容器ですな  聖遺物容器は9世紀ごろから生前の姿をかたどって表現されるようになり 贅沢な装飾は納められた遺物の神聖さを反映している 不謹慎で申し訳ないのだけれど これを見ているうちに なにやら 箱の上から 首がにゅうっと出てきたようで 可笑しくなりました






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                      柿右衛門の象 1650〜1700年 日本

佐賀県有田の柿右衛門工房で焼かれた 主に輸出用の焼き物 1644年 明が滅亡するとヨーロッパで人気のあった中国磁器(景徳鎮)の輸出が止まってしまう そこで東インド会社は日本に目を付けた 中国磁器は白地に青というシンプルな染付けだが 柿右衛門はさらに赤と黄の上絵付けを加えてカラフルにした それが ヨーロッパで受けて成功する 日本から運んだ最初のまとまった荷は1659年にオランダに到着し その品数は6万5千点に及んだ




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                ビーグル号のクロノメーター  1795〜1805年 イギリス
             
チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)が1831年に世界一周の航海に出た際 乗船したビーグル号に搭載されていたクロノメーター(機械式時計) だそうです これ 個人的に欲しいです 別に船など持っていませんが・・ 当時 船はロンドンのグリニッジから出航する時 グリニッジの時刻に合わせたので ここから グリニッジ標準時が生まれた もちろん ビーグル号もこのクロノメーターで時刻を合わせた 





さて 最後に 神戸市立博物館が選んだ101点目がありました
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                         石英ガラスの記録媒体  

この記録媒体は 歴史上重要な文化遺産や公文書の文字情報 画像データを後世に残すためのものとして 近年開発が進められています 石英ガラスは耐熱性 耐水性にすぐれ 常温で3億年を超えるデータ保存を可能にします・・・3憶年とはまた 凄いですね しかし 保存ができても それを取り出したり 活用したりする時に 電気がいるとか 何か特殊なツールが必要というのではいけませんね


イギリスのとにかく 集めて来い精神の 集大成としての大英博物館ですが 集めてから調べよう的なところもあるので 収蔵品の中には いつの時代やら どこで出来たやらがはっきりしないものが多い 学術的にどうのこうのと固いことは言わずに 世界中から集めた珍しいモノを おもちゃ箱から出して見せるような企画もいいでしょう というか大英博物館 いや イギリスの責務ですよ これは・・・  





追悼

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                        野坂昭如(1930〜2015)  享年85歳

タレントや歌手としても活躍した直木賞作家の野坂昭如氏が9日午後10時半ごろ 心不全のため東京都内の病院で死去した
「今日は 酔ってないんだ」と言って現れた 野坂さん しかし 目元はほんのりと赤みがかり 息が少し酒臭い・・酒は飲んでいても酔っていないということか(笑)・・私の父親と同じ世代の人 食事をしながらも本を読む 博覧強記の人でもあった つぶらな優しい目をしていましたが その目は一時期多くの見なくてもいいものを見てきた目でした しかし私とは始終 目線が合うことはなかった 


さて 神戸  野坂昭如といえば
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           「火垂るの墓」ですね 原作より アニメ映画の方が有名になっています(笑)


せっかく 三ノ宮へ来たので 「火垂るの墓」の冒頭 主人公の清太が 亡くなった「省線三ノ宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱」へ行って見ましょう


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                           現JR三ノ宮駅 中央口

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     原作では三ノ宮駅構内浜側の柱となっていますが 映画の方はどう見ても 山側の柱ですな  
   
省線三ノ宮駅構内浜側の、化粧タイルはげ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中丸めてもたれかかり、床に尻をつき、両足まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、清太のやせこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて、夜になれば昂ぶる心のおごりか、山賊のごとくかがり火焚き声高にののしる男のシルエットを眺め、朝には何事もなかったように学校へ向かうカーキ色に白いふろしき包みは神戸一中ランドセル背負ったは市立中学、県一親和松蔭山手ともんぺ姿ながら上はセーラー服のその襟の形を見分け、そしてひっきりなしに傍ら通り過ぎる足の群れの、気づかねばよしふと異臭に眼を落とした者は、慌てて飛び跳ね清太を避ける、清太には眼と鼻の便所へはいずる力も、すでになかった。 「火垂るの墓」


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映画の画面ではよくわかりませんが 浜側から 4〜5?本目の柱です 実際とは少し違っていますが 構図的に5本目の柱の位置でしょう  残念ながら 円柱は 現在耐震補強工事中でした

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             しかしながら 円柱の上部の飾りは当時のまま残っています


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               妹節子の骨が入った ドロップ缶が投げ捨てられた 駅前広場


清太の着衣調べた駅員は、腹巻きの中に小さなドロップの缶を見つけ出し、ふたを開けようとしたが、さびついているのか動かず「なんやこれ。」「ほっとけほっとけ捨てとったらええねん。」「こっちのやつも、もうじきいてまいよるで、眼えポカッと開けてるようなったらあかんわ。」むしろも掛けられず、区役所から引き取りにくるまでそのままの清太の死体の横の、清太よりさらに幼い浮浪児のうつむいた顔をのぞき込んで一人が言い、ドロップの缶持て余したように振ると、カラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼け跡、すでに夏草しげく生えた辺りの暗がりへほうり投げ、落ちた拍子にそのふたが取れて、白い粉がこぼれ、小さい骨のかけらが三つ転げ、草に宿っていた蛍驚いて二、三十慌ただしく点滅しながら飛び交い、やがて静まる。

昭和二十年九月二十二日午後、三ノ宮駅構内でのたれ死にした清太は、ほかに二、三十はあった浮浪児の死体とともに、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へ納められた。  「火垂るの墓」
 


                                                      おわり


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