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zoom RSS 第69回 正倉院展を観に行く 奈良国立博物館

<<   作成日時 : 2017/11/02 20:51   >>

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日増しに 秋も深まり・・・みなさんはどうお過ごしでしょうか そんな一日 奈良へ例年通り 正倉院展へ行って来ました 

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              第69回 正倉院展  奈良国立博物館 平成29年10月28日〜11月13日



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                   いつものごとく 近鉄で奈良へ


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     ここしばらく 上方は週末ごとに台風が来ていましたが 今日は奈良は 快晴です 実に快適です



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       奈博に向かって登大路をいきます 途中の興福寺境内の お鹿様も のんびりとしております



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     興福寺への近道(南円堂)が いつの間にか中金堂再建工事の為に通行止めになっていました



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         かなり 出来上がっているようです 来年10月に落慶法要が行われる予定ですが・・・ 



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現在 興福寺国宝館が耐震工事の為に休館中 じゃあ お宝物は観れないのかというと 仮講堂の方に移して公開しています 久々に阿修羅くんを観ようかと思ったのですが なんと 東金堂の拝観と抱き合わせの料金設定しかありません 当然ながら国宝館の時より高くなっています 東金堂のみの拝観券はあるのに・・・ ちょっと興覚めしました 滅多に奈良に来れない方達が 仮講堂のお宝物を観るために朝から並んでいました 興福寺さん タチが悪いですぞ 



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               というわけで 奈博に着きました



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    ジャスト9時 開館時間です 行列が出来ていましたが 待ち時間は15分です ほどなく入館・・・




さて 今年も10月4日に西宝庫で開封の儀が行われた正倉院  御物の総数9000点以上ありますが そのうち修復や調査整理の終わった約3500点が西宝庫に保管されています 原則 11月30日の閉封の儀までの間 宮内庁の専門スタッフが西宝庫の全ての御物を点検 曝涼します そしてその間に御物の一般公開が行われます 今回は初公開10件を含む全58件の展示です




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                        槃龍背八角鏡  北倉42 

元々 正倉院は北 中 南と倉が分かれておりましたが 北倉は聖武天皇 光明皇后ゆかり物 中倉は東大寺に関する生活用具や書類等 南倉は東大寺の開眼など儀式用具等と大雑把に分けられています この鏡は 国家珍宝帳に記載されている聖武天皇ご愛用の20面のうちの一つです  縁が8枚の花びらのような形になっている八花鏡で 背面の中央には亀形の鈕穴があり 亀の左右にはからみ合いながら 天に昇ろうとしている飛龍 その下には オシドリが飛ぶ山 その山からは 雲が湧き出ている まさに皇帝が持つに相応しい文様ですな 唐からの舶載品とされています 遣唐使が持ち帰ったものでしょうか・・ 1300年前 この鏡に聖武天皇 光明皇后が顔を映したのでしょうか・・実際には かなり大きな鏡で 日常に使うことはなかったのでは・・・




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                      木画螺鈿双六局  中倉172

ボードゲームに使用された装飾性豊かな盤 双六局の名称が付くが 中央がやや上に向かって蒲鉾状に湾曲する形状から 後世のおはじきに似た遊戯である弾棋に用いられた盤ではないかと推測されている 正倉院には双六盤と銘うつものが4つあります 4つとも明治になってからまとめて双六盤と名付けられました これはそのうちのひとつです 以前の正倉院展で別の双六盤を観ています 螺鈿は夜光貝の貝殻を使用していますが夜光貝は日本近海では採れず 奄美大島辺りから奈良へ運ばれたといわれており ということは 国産ですか・・





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                 羊木臈纈屏風 左  熊鷹臈纈屏風 右  北倉44

実は この二つ屏風は 2007年の正倉院展で観ています 羊木臈纈屏風はペルシャ風の巻角の羊が図案化されています ササン朝ペルシャでよく使われた図案(ゾロアスター教のウルスラグナ神か?)です しかしながらこの羊木臈纈屏風は 下端部に調絁銘と思われる墨書があり 天平勝宝3年(751)以降にわが国で製作されたことがわかる という・・・羊は599年に百済から推古天皇に献上されていますが それが巻角の羊だったかどうかわかりませんがね・・(笑) シルクロードの終点は奈良と言いますが 遠くペルシャの図案が奈良まで来ていたのですね  





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                       金銅水瓶  南倉24 

注ぎ口が鳥の頭をしている ちょっとユニークな水差しです この鳥は鳳凰だそうで よく見るとまさに 火の鳥でした(笑) 十数個に分けて銅板を叩き出した 部材を組み合わせ 金メッキをして仕上げています 一見見るとバランスが悪いように見えますが 実物は 実に形が良く安定しています どう叩き出しをすればこんなにきれいな曲線が出来るのか・・いい仕事をしていますね(笑)





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                       碧地金銀絵箱  中倉151         

仏・菩薩への献物に用られた 美しく装飾された箱 底裏に「千手堂」の墨書あり 東大寺法華堂の東南に営まれ 中世以降に廃絶したと考えられる千手堂にて用いられたものと考えられる  だそうです 正倉院にはこれと同種のものがもう一つ残っています 時の経過とともに多少の色褪せはありますが 往年の豪華さはわかります  いつも思うのですが 正倉院の御物は当時の一般の庶民たちにとって 当然のこと一生縁のない「宝もの」だったでしょう 





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                       伎楽面 迦楼羅   南倉1

迦楼羅とは古代インドの神話にでてくる毒蛇や時として龍を喰う霊鳥ガルダのことです あらかじめ粘土などで型を造り それに麻布を漆で貼重ね 漆が乾いたあとに型を取り除き 漆に木くずを混ぜたもので表面に細部を作り 色を塗って仕上げる「乾漆造」という技法で作られています 相当傷んでいたものを 修復しての初公開です 伎楽面は 東大寺から正倉院に収められたもの 東大寺や法隆寺に伝来したものなどが残っています





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                          臈蜜  北倉 97 

。「東大寺献物帳」の中の一巻「種々薬帳」に記載されている トウヨウミツバチの巣である蝋を丸餅状に固めたもの それを20個ほどで束ねたものだそうで いわゆる漢方薬のようなものです トウヨウミツバチというのは アジアに生息するミツバチですが 現在 日本でミツバチといえば 養蜂で広まったセイヨウミツバチですな 「種々薬帳」には60種類の薬物が記載されていますが 現在正倉院に残っているのは40種類とか  この臈蜜 実物は見た目よりもかなり大きい  直径10cm 重さ3kg 薬以外の使い道としてろうけつ染にも使用します 1300年の間度々使われたらしいですが 正倉院には600個ほど残っています 





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                     緑瑠璃十二曲長坏  中倉72 

美しい緑色をした楕円形の杯で 半月形の波襞が3段ずつ付いて それが坏のふちに12の屈曲をつくることから 「十二曲長坏」と呼ばれています 正倉院には ほかにも同じような形の器がありますが これが有名ですね 実は 前回の展示の時(2006年)あまりの人の多さに嫌気がさして正倉院展を観なかった(笑) 今回は待ち時間15分ですから・・・ さてこの緑瑠璃十二曲長坏ですが どう見ても デザインや図案が西域風(ペルシャ?)ですが 鉛分を多く含んでいることから中国製と考えられるという事らしいですが ササン朝ペルシャのガラス器にも同じ成分のものがあります どうしてもガラスの成分にこだわるのであれば 考えられる事は この器は型吹きではなくガラス片を溶かしてつくる鋳造でつくられており 原料に使用したガラス片が中国からのもの あるいは 中国製ガラス器を再利用したものかもしれませんね それと この長坏 シンプル過ぎませんか 元はペルシャのガラス器のように金属の台座や飾りがあったように思いますがどうでしょう・・





おまけ

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                               鴎外の門 

奈良国立博物館の北東隅にある 「史跡 鴎外の門」です なぜ 今更鴎外の門なのかというと たまたま この前を通ったら 修学旅行中のチューボーらしき男女数名が 「ここに森鴎外の家があったって」というのを聞いてしまいました そこでこの場を借りて真実を伝えておこうかと・・(笑) 小説家として有名な森鴎外は 大正6年に帝室博物館の総長に任命され 東京・京都・奈良の帝室博物館を統括する要職でした 大正7年から10年まで 秋になると鴎外は正倉院宝庫の開封に立ち合うため奈良を訪れており 滞在中の宿舎はこの場所にありました 宿舎の建物はすでに取り壊され ただひとつ残されたこの門だけが鴎外をしのばせてくれます ということです 自宅ではなく 宿舎・・と言っても豪華なものではなく 普通の民家であったと言われています 帝室博物館の総長とは・・・ 帝室博物館は当時は宮内省の管轄 鴎外は京都 奈良 東京の帝室博物館の総長兼図書頭であった・・今でいう国立博物館総館長です 鴎外は正倉院立ち合い4回と エドワード8世の日本訪問随行として計5回奈良に来ています 


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                門の裏 よく見ると かなり補修されています 



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                    敷地はそれほど広くはありません 



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                   当時の井戸の跡もかなり補修されて残っています




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                       森鴎外(1862〜1922)

鴎外は 漱石と並び 明治を代表する文豪として知られていますが 軍人(軍医総監)であり 役人(宮内省)でもあったわけです 奈良での公務の合間に社寺仏閣や名跡旧跡を精力的に訪ね歩きました その体験を 「寧楽訪古禄」「奈良五十首」として残しました 以下はその中で 宿舎を詠んだものです 

                 「猿の来し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり

  当時は明治初めに鹿が迫害されて数が減り 奈良公園には猿?がいたのですかね   ということで おしまい




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