「ウィーン・モダン展」 国立国際美術館

12月になり こちら上方もかなり冷え込んできました 


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ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道  国立国際美術館  8日まで


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中之島へ ウィーン・モダンを観に行きました 私が国立国際美術館へ行く時はいつもスッキリしない天気です(笑)

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国立国際美術館は 「バベルの塔」展 以来です 


今年(2019)は日本・オーストリア外交樹立150周年記念ということで・・しかも カールスプラッツのウィーン・ミュージアムがしばらくの間改装工事するので・・収蔵品たちに出稼ぎに行かすというわけです(笑) 本展は ウィーンの世紀末文化を「近代化(モダニズム)への過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です 18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていった軌跡をたどる本展は ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えますということだそうです 私はあまり クリムトやシーレに関しては興味はありませんが 世紀末ウィーンには多大に興味がわきますね その当時 ヨーロッパの文化 芸術 科学の中心は ロンドンでもパリでもなくウィーンだったんですね? クリムトの起こした芸術家による ウィーン分離派は ヨーロッパの芸術 文化の新潮流(アール・ヌーヴォー)のひとつとして建築 芸術に大きく影響を与えます さて 1907年そんな花の都パリ・・ではなくウィーンに芸術家?をこころざし ウィーン美術アカデミーに入学しようと一人の青年がやって来た 後の稀代の独裁者ヒトラー(1889~1945?)です しかしながら 2度も受験に失敗します ヒトラーがウィーンに来る前年には 年下のシーレ(1890~1918)が入学しており クリムトに認められて活躍をしております この時の失意が後のナチスによる「退廃芸術」思想を生み出し さらに 陸軍伍長として第一次世界大戦に従軍 惨めなドイツ敗北を経験する・・稀代の独裁者を形成して行くことになった原点として今回のウィーン・モダン クリムトやシーレの作品を観るのもよろしいかと・・




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グスタフ クリムト 第一回分離派展覧会ポスター 検閲後 1898年

グスタフ クリムト(1862~1918)が 1897年に結成させたウィーン分離派展覧会のポスターです これは検閲後のポスターですが 検閲前のポスターも展示してあり こちらは男性の大事な?ところが描かれております(笑)




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マクシミリアン・クルツヴァイル 黄色のドレスの女 1907年

マクシミリアン・クルツヴァイル(1867~1916)はクリムトと共に分離派に参加しております 第7回の分離派展覧会ポスターも描いていますね




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オットー・ヴァーグナー カール・ルエーガー市長の椅子 1904年

オットー・ヴァーグナー(1841~1918)も分離派の重鎮で建築家であり ウィーンの近代的な都市計画や建築に参加している





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カール・モル 書斎の机に向かう画家の妻アンナ・モル 1903年頃

カール・モル(1861~1945)も分離派 柔らかい陽射しの中の自分の奥さんを描いております





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エゴン・シーレ 自画像 1911年

シーレといえば 自画像を多く描いております 特徴のあるどちらかと言えば病的な作風ですな 退廃的です(笑) もちろんナチス時代にシーレの作品はドイツ軍に退廃芸術として没収されています 戦後 オーストリアは略奪された美術品の返還をドイツにしていますがね・・・





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エゴン・シーレ  ノイレングバッハの芸術家の部屋 1911年

もう ほとんどゴッホの影響を受けていますね 当時 フランスのアールヌーボーの中心は印象派 その影響をウィーン分離派も受けています 




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グスタフ・クリムト  パラス・アテナ  1898年

1897年に結成した分離派の初代会長を務めたクリムトは 1898年11月開館の新しい分離派会館に飾るために パラス・アテナを描きました 女神パラス・アテナは芸術と学術の庇護者として 手には「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」の化身を持ち 首には恐ろしい風貌のゴルゴンを纏った姿で描かれています





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グスタフ・クリムト エミーリエ・フレーゲの肖像 1902年

エミーリエ・フレーゲ(1874~1952)は 結婚をしなかったクリムトの生涯にわたってのパートナーというか 愛人です(笑) 詳しいことはエミーリエが クリムトの死後 資料を全て破棄しているのでわかりませんが 2人の出会いは 1891年にクリムトの弟エルンストがエミーリエの姉ヘレーネと結婚した頃です 17歳のエミーリエを描いた絵が残っていますね この絵のエミーリエは28歳です この頃エミーリエは 2人の姉と共にウィーンでモードサロンを経営する聡明な企業家で 女性をコルセットから解放した「改良服」をデザインすると同時に パリやロンドンか ら取り寄せた最新のモードを販売していました


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なぜか このエミーリエ・フレーゲの肖像だけは 写真撮影可でした(フラッシュ撮影はダメです)ので 私もパチリと撮影しました



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エミーリエ・フレーゲのドレス(再製作) 2008 年(オリジナル 1909 年) 

分離派とは関係ありませんが(笑) 今では当たり前な軽い服装も当時としてはかなり斬新で 保守的な地位の女性からは受け入れなかったかもしれません やはり エミーリエ・フレーゲもアールヌーボーな女性だったのでしょうか・・・なんてね



今回の展覧会は ほとんど予備知識がない状態でした 知っていたのは ヒトラーとシーレの関わりぐらいです(笑) 改装工事だからか知らないですが たいそうな数の出展品で 当時の世紀末ウィーンがよくわかりました ウィーンミュージアムさんありがとうございました


注・・・クリムトの絵画にまつわる話で興味の或る方は 黄金のアデーレ 名画の帰還 Woman in Gold 2015という映画がありますのでお勧めします

ということで   おしまい










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