高野山へ 高野街道 町石道 京大坂道不動坂  慈尊院~大門~極楽橋 その1

コロナウイルスの影響で 家の中にいることが多くなっています 毎昼夜 読書と映画鑑賞三昧では 贅沢なことですが少々気が滅入ってしまいます

というわけで 運動不足と気晴らしに古道を歩こうと思い 高野山へ・・・何もそこまで行かなくてもいいんですがね(笑)

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新今宮から 橋本行の南海電車に乗ります 河内長野 紀見峠などを通りますので ほぼ高野街道沿いに電車は走ります



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橋本で2両編成の赤い電車に乗り換えます



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紀の川を渡るとほどなく九度山駅に到着 ここからが歩き始めです



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駅に町石道のガイドが置いてありますので 初めての方は貰っておくように ただし かなりデフォルメして書かれていますし 所々間違いがあったりします 正確な距離で書かれている地図などもありますので 複数手に入れておけば良いでしょう



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取り敢えず 慈尊院に向けて歩き始めます 途中 善名称院があります いわゆる真田庵と呼ばれていますね 



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真田昌幸・信繁父子が流された草庵があったと伝わる場所に 1741年に大安上人が 地蔵堂を建てたという まあ 真田親子の住まいがどこにあったかはよくわからない   大河ドラマ特別展「真田丸」



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さて 町石道を歩く方たちは慈尊院を目指していきますが・・もちろん始めの180町石があるからですが・・ちょっと待ってください 紀ノ川の畔に出てみます ここは 平安時代からの船着き場のあったところで 伝1136年建立の下乗石がありました 現在は慈尊院の門の横に移築 空海も京 東寺から南海道(当時はまだ高野道はありません)を高野山目指して歩いて来て紀ノ川を舟で渡ると ここに上陸したと伝わる場所です 近世になると高野山の参詣者は大和街道や高野街道の高野口から渡し舟によって紀ノ川を渡り九度山町に入りました


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ということで 古道にこだわる私も 船着き場跡(町石道の出発地)から まっすぐ慈尊院へあるきます



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慈尊院へ到着 


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多宝塔 1624年  慈尊院は 簡単に言えば 高野山の表事務所のようなもので いちいち高野山まで登らなくてもここで事務処理ができるようになっている 空海の母親が 高野山に登れない(女人禁制)ので ここに滞在していたとき 空海は母親に会いに行くのに月に何回・・九度以上?・・も町石道を往復したので このあたりを九度山と呼ぶようになった・・なんか昔話みたいですな(笑) というわけで これに因んで女人高野とも呼ばれております


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慈尊院の築地塀も趣きがあります もちろんこれも文化財で世界遺産です 


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そんなことより 早く先へ進みましょう 石段を登ります 


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石段の途中に180町石の石柱(町石卒塔婆)があります いよいよこれから 町石を訪ね 拝む巡礼の道行が始まります 古道としては船着き場が出発地 町石巡礼としてはここからが出発地点です  時間は午前8時 大門まで約22kmです



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石段を登りきると 丹生官省符神社(元丹生高野明神社)があります 空海が創建したとのことですが 丹生という言葉を覚えておいて下さい これから何回も出てきます


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丹生官省符神社の境内を出て左へ曲がります


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そのまま 道なりに進みます


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古道らしき雰囲気になってきます 町石道はゆうまでもなく高野山に登るための参拝道のひとつです 紀伊山地の霊場と参詣道というくくりで 2004年に世界遺産に登録されました 慈尊院から高野山壇上伽藍まで 180の町石と呼ばれる石柱が一町(約109m)置きに建てられております 元々は木の卒塔婆の様なものだったのを 鎌倉時代に石柱に立て直した(1265~1285年)といわれています 今でも当時のものがほとんど残っています 後世破損したものはそのままにして その横に新たに石柱が建てられていたりしています



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しばらく 坂道をのぼりますが 途中 すばらしい景色がひろがります


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古道にはありがちなというか 定番の(笑) 無人屋台があります


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もちろん 歴史ある古道ですから 町石だけでなく 別れ道のそこかしこにさりげなく古い道標があります


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上部が破損してしまった154町石 その横に新しい・・と言っても江戸時代ですが・・石柱が建てられています 赤い鳥居は「稲荷宗五郎大明神」のものですが 朽ち果てた様子が永い歴史を感じさせます


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ここはよく間違えてしまう場所です 町石道は左側を登ります 標識があるのですが夏場なり始めるとは草や葉に覆われて見えなくなります 



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さて 六本杉と呼ばれる分岐まできました ここで三谷の丹生酒殿神社からきた三谷坂道と合流して丹生都比売神社へ行く道と分岐します 三谷坂道はもともと 丹生都比売神社へ行くための参拝道だったけれど 高野山が開かれると高野山の参拝道として取り込まれてしまいます 町石道より近道になり 町石道が整備されるまでは こちらの方が高野山参拝のメインルートになっていました 丹生都比売神社は天野の集落にある神社ですが 大変立派な神社で天野集落ともども一見する価値があります 私は以前 車で行ったことがあります 空海とこの丹生都比売神社との関わりは詳しいことはわかりませんが 伝承によれば 空海が高野山を開く時にその土地を丹生都比売神社から分けて貰ったということです 空海は宗教者としても立派な人ですが ビジネスマンとしてもしたたかで有能でした 丹生都比売神社と提携して高野山ビジネスを展開しています 町石道を整備し もともと高野山とは関係ないのに丹生都比売神社に参拝してから 高野山にという意識付けをしました 丹生都比売神社も高野山と一蓮托生になり 立場が逆転 平安時代の終わりごろには 高野山の傘下に入ります しかし 丹生都比売神社もしたたかです 高野山の威を借りて 鎌倉時代ごろには 紀伊国一宮を称するようになります



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六本杉から古峠を過ぎてしばらく行くと 二つ鳥居があります  これは丹生都比売神社の2柱の祭神の鳥居です 丹生都比売大神  もうひとつは 高野御子大神です(鎌倉時代ごろに丹生都比売神社は4柱の祭神になった) 空海が建立したと伝えられています 最初は木造でしたが 朽ちやすく何度も作り変えて 1649年に今の石造になりました 丹生都比売神社に寄れない人々のために空海がここから拝めば丹生都比売神社に行ったのと同じになるように気を使っていますね 因みに高野御子大神ですが 名前のごとし高野山に関係のある神様です もともと丹生都比売神社は祭神はひとつです ちゃっかり丹生都比売神社の祭神にしています(笑) ここから 天野の里が望まれたといいますが 今は全然見えません


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二つ鳥居を過ぎてすぐに 白蛇の岩があります 町石道の沿道には数々のいわく付きの物件が点在していますが これもその一つです 昔々丹生都比売神社へ行く僧が この岩に住む白蛇に悪戯をしたら 帰りにこの蛇が近くの木に巻き付いてこの僧を待ち構えていたそうです 僧は驚いて 詫びを入れ 再度丹生都比売神社へ戻り 祈祷をしてもらって戻ると白蛇は消えていたという それからというもの この岩に住む白蛇を見ると幸せになるという 残念ながら私は遭遇しませんでした



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白蛇の岩を過ぎると なんと 紀伊高原ゴルフ場が町石道のすぐ脇に広がります 考えてみるに慈尊院からここまで 誰一人と会わなかった やっと人と会えたのがゴルフをする人とは・・・しかし 世界遺産の古道にゴルフ場が隣接するってなんとかならないのか・・



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しばらく ゴルフ場の施設やグリーンやらの横を歩くと 神田の里が見えてきました いや なんか懐かしい風景ですね 穏やかな陽射しと風が心地よいです



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神田の里の神田とは 丹生都比売神社に米を献納する神田があった処から来ています 神田の里人たちは 古道のすぐ脇に地蔵堂を建て 高野山の参拝人たちの休憩所としました 戦前まで この堂で参詣者がお茶の接待を受けていたといいますから 四国八十八ヶ所の接待の原点ですね さてこの地蔵堂と言えば 滝口入道ですね 平家物語では 父親の横やり・・身分違いを理由・・に美人で男扱いのうまい横笛と別れさせられたうぶな斎藤時頼は 失意のあまり出家してしまいます 度重なる横笛のストーカー行為にとうとう女人禁制の高野山静浄院に逃げ込みます それを知った横笛は取り乱して 自殺したとも出家したともいわれていますが 高野山多聞院縁起によりますと 横笛は丹生都比売神社のある 天野の里に住み着き この町石道を通るだろう斎藤時頼つまり滝口入道を わざわざこの地蔵堂まで毎回やってきて待ち伏せしていたという いや~怖いですね 因みに映画では 横笛を環歌子が演じていましたが 美人ですね




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さて 寄り道はやめて 先へ進みましょう


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90町石です やっと半分ですか 少しペースをはやめましょう




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本日 町石道を歩きながら 薄々は懸念していたことなのですが 船着き場跡から歩き始めてまだ誰とも会っていません つまり今 町石道を歩いているのは私だけという事ですよ・・どうしてそんなことが言えるかというと 69町石のところで なんと 天然記念物の日本カモシカと遭遇しました 熊じゃないですよ カモシカ! カモシカは非常に警戒心の強い動物で まず人が通っている道に降りてきません 本日町石道に人がいないと油断したのかもしれません 

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私に気付くと なんで人がいるんだよ~と驚いて山へ駆け上っていきました 私がマタギだったら一発で仕留めていますね



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笠木峠を越え みまもり地蔵が・・もうすぐ矢立です



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一旦 道は国道に出ます 手前右側に砂捏地蔵尊祠に行く石段がありますが そこまで行く元気がありません


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ここには 矢立茶屋があります 国道を渡りここで休憩させてもらいます 誰もいません ベンチに座らせてもらい 少し早いですが 家人の作ってくれた弁当を食べます ここには 名物やきもちがありますが 午前11時頃から売り出します


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腹ごしらえも出来ました 元気モリモリです 出発しましょう 矢立茶屋の脇道 民家の間を抜けます


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山に入る手前に六地蔵が この辺りから 高野山までほぼ坂道が続きます ここからが踏ん張りどころです 無理な人は矢立からバスで大門まで行くといいでしょう あまり無理はしないように


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坂道にクラっとしますが 中高年の私ゃまだまだがんばりますよ なんせこの後 大門から壇上伽藍 旧不動坂道を歩いて極楽橋までいきますからね どちらかというと旧不動坂道を歩くというのが今回のメインです(笑)  町石道は 古道の状態をよく残しております 切通しになっているところが多く 崖側の切り盛りが崩れ補修されているところもあります 切通しの左右両面及び路面が岩盤になっているところは 町石道が作られた当初の道幅のままと思われます かなり狭くなっており 高貴なお方も輿に乗ったままというのは無理でしょうね(笑)


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袈裟懸け石  弘法大師が袈裟を掛けたといわれておりおります なぜ袈裟を掛けたかはわかりませんが(笑) この石を境に高野山の清浄結界になります 結界とは簡単に言うと 高野山のパワーの及ぶ範囲ということです ここからは高野山に関係ないものは持ち込まない 関係あるものは持ち出さない


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袈裟懸け石は潜り抜けると長生き出来るといわれていますが 普通の大人では潜るのは無理ですね 赤ちゃんや小さな子供を潜らせたのではないですか


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袈裟懸け石から少し行くと 押上石があります これは親孝行の空海が慈尊院の痴呆症?の母親の介護をしながら 町石道を歩いていると 何を思ったか母親が結界を乗り越え入山しようとしました この時仏罰?で激しい雷雨が母親を襲いました 親孝行の空海はこの大岩を押し上げ母親を雷雨から守ったという その時の空海の手形も残っているということですが 私にはわかりませんでした それより この岩の表面が黒ずんでいました これこの岩の下で火でも焚いた後じゃないですかね 磐座?


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天気もいいし 空気も心地よい 森林浴 も出来て 歴史も堪能できる これぞ古道歩きの醍醐味です 因みにコロナウイルスもゼロです


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鏡石  尿面が鏡のように平らになっているのでという事ですが 鏡のようにとは言い過ぎですね(笑) ただ 大きな石が自然の状態で平らであるというのは 珍石という事ですね


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まだまだ 道は続きます 町石道は 慈尊院からしばらくは登りがつづきますが そのあとはアップダウンを繰り返します 比較的歩きやすい平坦な道が多いですが 所々 瓦礫や切通の歩き難い道もありますので 靴はしっかりしたものを履いてください 因みに私は New Balanceのトレッキングシューズ です


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高野山 800m近くの高さからの眺めは素晴らしです もう僅かです 


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9町石 古道上に残る石柱はこれが最後です 8町石はこの上の国道脇にあります 推測するに現在の町石道は 9町石から真っ直ぐに旧道の坂道が大門前まであったのだけれども 国道の建設などで 古道を左にカーブさせて取り付けたようですね 大門は創建から鎌倉時代まではここにはなく この9町石より下った九折谷に鳥居を建て それを総門としていたという 寺に鳥居というのもおかしいが 元々この土地が丹生都比売神社のものだったということを言いましたね 最初のころは丹生に気をつかっていたわけです(笑) しかし時代を経ていよいよ高野山が威勢をつけると 木製の卒塔婆を全て 御影石で作り変えて 現在の地に大門を建てました 丹生都比売神社へ廻る参拝道には町石はないよね・・



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したがって 不自然に曲がった坂道が大門前まで続きます 


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左右に曲がりくねった坂道を登り切り 国道に出ると 目の前に 総本山金剛峯寺の大門・・1705年再建 重文・・が山中の木々の色に慣れた目に場違いのような朱色が鮮やかに飛び込んできます 気分が変わりますね いつ見ても見事な演出です さすが高野山


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さてさて まだ終りじゃありません 大門を潜り 1町石を目指します

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誰もいない高野山町を歩きます コロナの影響か騒がしい外国人観光客がいません 高野山は本当はこういった落ち着いた場所なんですがね


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1町石に到着 午後1時です 案内版がありますが ほとんど人が大門まで来てほっとしてここまで来ないですね さて これから私は 不動坂口から京大阪道を極楽橋まで歩きます


                    
高野山へ 高野街道 町石道 京大坂道不動坂  慈尊院~大門~極楽橋 その2へ続く





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